2019年10月24日木曜日

株式会社ネオ・エモーション 代表取締役会長 石橋幸男氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ネオ・エモーション 代表取締役会長 石橋幸男氏登場
本文より~

海のことは知り尽くしている。

三浦半島の先っちょに、城ヶ島という小さな島がある。戦国時代に、ある武将が城を築いたことからこの地名になったらしいが、これには諸説あるようだ。黒潮の影響で冬でも温暖。とはいえ、いったん天候が荒れだすと、人を寄せ付けないほど厳しい表情をみせる。
「私も、父も、母も城ヶ島出身で、父は漁師です」。黒潮に乗り、脂がのったさかなを獲る。天候がいい時はいいが、いったん荒れ狂うと手がつけられない。漁師という仕事はそういう意味で過酷である。気が荒い漁師が多いのは、そういった仕事が影響しているのだろうか。
「父に似たんでしょうね。私も小さな頃は、やんちゃ坊主です。小学4年生までは島の分校で育ち、5年生からは市の学校に進みます。運動神経はいいほうだったと思いますね。でも勉強はぜんぜんやらない。ただ、うちの仕事は毎日やりました」。
海が好きだという。泳ぎは得意。潮の流れ、さなかの群れ、悪天候の時の、海の怒り。海のことは知り尽くしている。遅くなったが石橋氏が生まれたのは、1947年。一般的にいう終戦から2年後のことだ。
ちなみに、城ケ島の南側の海沿いは、ウミウやヒメウ、クロサギの繁殖地となっているそうで、これらは神奈川県の指定天然記念物となっている。ともかく、大自然にはぐくまれ、石橋氏は育つ。

行商の仕事にのめり込む。

「高校では囲碁将棋部です。いまでも、やっています。囲碁をすると読みが深くなる。といっても、私はその時々のひらめきで動くんですが、これってたぶん経験があるからだと思うんです。つまり、直観の正体は、経験なんです」。
なるほど、という話だ。
高校を卒業した石橋氏は印刷会社に勤める。むろん、地元の会社である。「あの頃の三浦市じゃ、漁師になるか、工場に勤めるか、それくらいの選択肢しかなかったんです。それで印刷会社に勤めるんですが、2年くらい経った時、これじゃ将来もないな、と/笑」。
若い血が騒ぐ。
それでガソリンスタンドですか?
「そうです。当時はマイカーの黎明期ですからね。ガソリンスタンドもかっこいい仕事だったんです。この時、ガソリンスタンドにいらしていたお客様に紹介いただいて、行商の仕事をはじめます」。
行商とは、産物などの商品をもって相手先に行って販売するスタイルのことをいう。店舗をもたないことが、行商の意味でもある。
「社長は40歳くらいだったと思います。社長といっても個人で、私にとっては、師匠。この人との出会いが、いちばんの転機です」。
師匠のもと、仕事をはじめると、お客様との会話も楽しく、何より頑張ったら頑張ったぶんだけ稼げるのが、性に合った。次第に仕事にものめり込む。
・・・続き
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