2019年10月15日火曜日

日本サブウェイ合同会社 社長 角田 淳氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”日本サブウェイ合同会社 社長 角田 淳氏登場
本文より~

今日のランチに、サンドイッチをつくろう。

自分好みのサンドイッチをカスタマイズできる。サブウェイのサンドイッチのことだ。
まず、サンドイッチの種類を選択。つぎにパンをチョイス。そのあともいろいろ選べて、オリジナルのサンドイッチをつくっていく。
私の例でいうと、たとえば、ローストビーフを注文したとする。パンは基本、セサミ。トーストしてもらって、トッピングはなし。野菜は、苦味と辛味が欲しいのでピーマンとオニオン多めで、ピクルスを追加。サンドイッチは、その日によって違うが、ドレッシングはお決まりの、わさび醤油。
サンドイッチはポーカーをやりながらも片手で食べられる便利な食べ物であるが、サブウェイのサンドイッチの場合は片手とはいかない。両手でワシっとつかみ、かぶりつく。小食の人ではなくても、レギュラーで満たされる。難点を一つ挙げれば、口をひらくので顎が多少疲れることくらい。(フラットブレットを選べばその心配もないだろう)
さて、今回、ご登場いただくのは、このサブウェイを運営する日本サブウェイ合同会社の社長、角田 淳氏だ。
じつは、2011年、当時の社長、伊藤 彰氏にもインタビューさせていただいている。当時はまだサントリーホールディングスの子会社だった日本サブウェイ株式会社が運営していた。あれから8年、サブウェイにも、いくつかの変化があった。最大のものといえば、運営会社がサブウェイ本体にかわったことだろう。そして、変革の時期を迎えている。その点もうかがってみた。

サブウェイの歴史。

「最盛期は470店舗に及んだんですが、現在は約240店舗です。運営がかわったのは、2016年にサブウェイがサントリーと結んでいたマスターフランチャイズ契約を更新しなかったから。サブウェイとサンドイッチのことだけを考えているスタッフによる運営体制に変わったのです。韓国では数年前に店舗を整理したあと、もう一度出店を加速し、現在は過去最高の店舗数です。日本もこれからそのフェーズに入ると思っています。現在、店舗の売上・利益も回復傾向にあり、様々な改革が実を結んできています」。
サブウェイの基本戦略は、フランチャイズ。パッケージとしては出店コストも低く、ロイヤリティは8%だが、他のチェーンと違い、野菜などの食材にはいっさい上乗せがないから実は条件がいい。角田氏自身も「初めてFC店を経営しようという個人の方にも向いている」と言っている。
法人だけでなく、個人でも経営しやすいのが特徴というわけだ。さすが、世界中に広がっているだけはある。
今後は、首都圏、近畿、中部エリアを中心に展開を強化するとのこと。サブウェイのサンドイッチを食べた人も多いエリアだけに、拍車がかかることだろう。むろん、指揮をとる角田氏の手腕が問われるのはいうまでもない。
では、長くなったがいつも通り角田氏を生い立ちから追いかけてみよう。

中学からはじめた寮生活。

「私は、1971年生まれです。小学校入学直前までブラジルで生活していました。母は、南米出身です。最初はポルトガル語で、つぎにスペイン語、実は日本語をマスターしたのは、日本で暮らすようになってからです。姉が1人います」。
重工系の仕事をされていたからだろう。父親は海外出張も多く、グローバルに育った子どもたち。姉は高校からアメリカへ、角田氏もまた大学からアメリカで過ごしている。「だから、いちばん日本にいるのは、外国出身の母でした(笑)。私は中学から寮生活に入ったので、家にいるのは、もっぱら母1人でした」。
中学から寮生活?
「そうなんです。小学校の校長先生に勧められて、静岡の学校に進みました。入学してからは担任に勧められ、ラグビーをはじめます。練習量は多くないものの、成績は良かったですね。グランドでも寮でもいっしょですから、チームワークが取れていたんだと思います。あの時の学生生活は私にとって財産です」。
週に1回、お菓子をもとめ下界に降りた。それも、いまになれば楽しい思い出だ。
・・・続き
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