2019年10月9日水曜日

株式会社SANTA CALA 代表取締役 望月貴史氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社SANTA CALA 代表取締役 望月貴史氏登場
本文より~

サッカー、サーフィン、そして、飲食。

旨いラーメン店がある。某グルメサイトでベストラーメン賞を6年連続受賞。賞の名目は変わったが現在もラーメンの名店として選ばれ続けている店。素人の声はプロの評価に劣らない。庶民の食べ物であるラーメンなら尚更だ。
今回ご登場いいただいたのはそんな無類に旨いラーメン店の店主、望月貴史氏。1971年生まれ。
「うちは先々代から飲食です。もともとは別の場所で喫茶店をしていたのですが食堂を経営する際にここに引っ越してきました」。
望月家の歴史が刻まれた「中華そば 麺や食堂」で取材は始まった。
ホームページによれば移転は1955年「食堂ブラジル」としてリニューアルオープンと書かれている。無論、望月氏が生まれるずっと前だ。
望月氏は1971年に生まれご両親の愛情を受けすくすくと育っていく。小・中学時代はサッカーに没頭するスポーツ少年だった。「ただ、サッカーは高校2年生の時に辞めました。10年間も続けていたので…。それにサッカーだけっていうのもな、と思って。」。
それでサーフィン?
「はい。湘南が近かったですし、当時はサーフィンが格好良いスポーツだったので」。
しかし日本の海だけでは満足できず、高校を卒業した望月氏は半分サーフィンをするためにアメリカに渡る。名目は語学留学。
「うちの仕事を始めたのは帰国した時だから20歳ですね。人がいなくなって手が足りないというのが理由です。もっとも私の給料は5万円。最初は、何でだ?って思っていたのですが、台所事情を知ると文句も言えなくなった/笑」。

食堂には、メニューがいっぱい。

「あの頃は言わば私の修業時代です。5万円じゃさすがに足りず夜はアルバイトをしていました。なんとか売上をアップさせようと弁当もスタートしたのですが、なかなか利益が出ませんでした」。
食べていくだけでやっとという時代。
「ただ食堂だったのでメニューは多いです。カレーにカツ丼、野菜炒め、とんかつ、生姜焼き…。おかげで野菜のカットや肉のセレクトなど貴重な経験ができたのも事実です。今でもその時の経験が私の財産になっています」。
ただ頑張っても売上は低空飛行が続く。
「食材や調味料を見直すなど試行錯誤を重ねましたがバブル崩壊の影響もありなす術が無かったのが正直なところです。無我夢中で必死に仕事をしましたが浮上のきっかけも掴めず身体もボロボロでした。いよいよ店を閉めなければならなくなった、それが丁度私が28歳の時です」。
ラーメン一本で勝負すると決めた時だ。
「一品で勝負しようと決意しました。この時は2人目の子供も産まれたというのもあり崖っぷちに立たされてました。でも、そのままズルズルやっていくのも許されなかった。ラーメンで失敗したらもう終わり。祖父の代からつづけてきた家業も畳まなければなりません」。
勝算があったわけではない?
「勝算はありませんでした。反対する親父をなんとか説得して。ただ、リニューアルするにも金がない。この内装も実は手づくり」。そう言って店内を見渡す。
「最初は私が素人なりにやっていたのですが、内装をやっている友達やお客さんまでもが見るに見かねたんでしょうね。『何しているの?これじゃだめ。』と言いながら手を貸してくれて。ラーメンそのものは父親が作っていた味をベースに、新たに食材を加え調味料を調整しました。このラーメンは私が小さい時から食べ続けてきたラーメンです」。

食べ続けてきた馴染みのラーメンで最後の勝負。

我が家の味?
「我が家の味と言えばそうなるのでしょうか。実は昔から食べ続けてきたせいでラーメンは嫌いだったのです/笑」
お腹が空くと、母親が「ラーメンでいい?」と、ラーメンをテーブルに置いたそうだ。忙しく働く両親の背中を見ていると嫌とは言えなかった。
「ただ、この時ラーメンで勝負しようと思ったのは、いろんなメニューがある中で父親が一番大事にしてきた料理ですし、私にとっては小さな頃から慣れ親しんできた味だからです。これで駄目なら諦められる、と」。
考えてみれば祖父から続く3世代の結晶でもある。
「ラーメン店をオープンしてからは今まで以上にがむしゃらに働きました。5年間休んだ日は1日もない。それでも売上は伸びずこれといったスープもなかなか作れませんでした」。
「きっかけは一杯のラーメンです。すごく旨いラーメンでした。今までは『食堂ブラジル』のラーメンがベースでしたが、このままではいけないと気づきました。それからですね。父親としょっちゅう喧嘩しながら、TVでラーメンの特集が流れると知れば録画してTVにかじりつくように観たり、それまで以上にラーメンにつかる日々。ようやくカタチができたのが30歳の時です」。
しかしそれでも業績はなかなか改善しない。そんな中、週1日を休みにして食べ歩きに専念したのは友達がラーメンを食べて言った一言、「普通」。。 何がなんでも普通じゃないラーメンをつくる!。 そうやって苦労に苦労を重ねて出来上がったのが、今やグルメサイトでもトップクラスに評価される望月氏のラーメンだ。。 「最初は特別なオレだけのラーメンだと思っていたのですが、いろいろ試行錯誤して『普通でいいんじゃないか』って思うようになるんですね。うちのラーメンを上からみると分かるのですが麺が川の様になっています。有名店でも見られるような綺麗な盛り付けは実はうちが発祥なんです。お金がないから平ザルですくって入れていたら、時にすごく綺麗に盛ることができて。コレ、いいじゃん!ということに。そんな偶然から生まれたのです」。。 今やインスタントラーメンのパッケージの麺もそうなっている。「ラーメンは嗜好品なんです。うどんや蕎麦と比べればわかりますね。奇抜なラーメンが許されるのは嗜好品だからなのです。ただうちは普通で言わば王道です」。。 確かにメニューを見れば望月氏が言わんとすることも理解できる。
・・・続き
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