2015年6月16日火曜日

アイネットグループ 代表取締役社長 岩田純明氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”に伝説のお化け番組“スター誕生”出身の元フォーク歌手だったアイネットグループ 代表取締役社長 岩田純明氏登場。
本文より~

1950年、彦根市、生まれ。

彦根市は、琵琶湖に面する滋賀県の主要都市の一つである。古くは彦根藩があり、京都周辺のなかでも有数の城下町だったそうだ。今回、ご登場いただいた岩田氏が、この彦根市に生まれたのは1950年のことである。3つ年の離れた兄が1人いる。
「私のうちは自転車屋さんでした。父はとても子煩悩な人で、裕福ではなかったですが、楽しく、仲のいい家族でした」。
「やんちゃで…。そうですね、人を笑わせるのが生きがいのような少年でした」と岩田氏。音楽も好きで、鼓笛隊に所属。いま振り返れば、その頃からタレント性があったのかもしれない。
「いつ頃だったかな。父は、ギャンブルかなにかで大きな借金を抱えるんです。うちにも、へんな人が取り立てにきたこともありました」。
そういう問題もあって、夜中になると両親が「取っ組み合いのケンカを始めた」らしい。兄と岩田氏は、その度に、飛び起き、小さな手で仲裁に入ったそうだ。
 「借金は完済して、問題はなくなるんですが、それでも父はパチンコが好きで、それだけは止められなかったようです。父だけじゃないですが、みんなハマっていた時代ですよね。父は、私がハタチを越えてから亡くなるんですが、今いちばん会いたい人です。私が大学で家を出てからほとんど話もしなかったから。あんなに私を可愛がってくれた人なのに…」。
 子煩悩な父の下で、岩田氏は、独立心旺盛な少年に育っていく。可愛がりながらも、束縛はしない。それが、岩田氏の父流の教育方針だったのだろう。

ヨット部。琵琶湖で風を受け、「チン」を繰り返す。

「中学はバトミントン、高校はヨット部です」と、中・高の頃に話は移った。特にヨット部の思い出は鮮烈なようで、今も、当時の様子が映像となって浮かぶ。
「雨の日も風の日も、ヨットに乗りましてね。そうですね。何度『チン』したかわからない。ヨットと言っても、私たちが練習するのは、琵琶湖。『湖』?だって思うかもしれませんが、波もけっこう高いんです」。
滋賀では、ヨット部のある学校が3校あったそうだ。岩田氏の学校は、頭一つ抜けていて、全国大会には決まって出場していたという。日焼けした、可愛いセールマン。高校3年まで、岩田氏は、そんな言葉が似合っていたはずだ。

シンデレラボーイのため息。

「このあと、私は大阪の大学に進学して、そちらを2年くらいで中退して、東京に向かうんですが、私の人生のターニングポイントは、そこではなく、高校3年の時なんです」。
高校3年の時に、近隣の近江八幡市の公民館で、ある歌手のコンサートが開かれたそうだ。「たしか、100円コンサートだった」と岩田氏。100円をにぎりしめて向かったコンサートで、岩田氏は人生をひらくカギを手に入れた。
「『岡林 信康』さんのコンサートでした。昔から、音楽が好きだったこともあったんでしょうが、すっかり、魅了されてしまいましてね。それからギターを独学で勉強して…」。
「昔のことだから」と言って、岩田氏は、はにかむ。ここから先の話は「詳しく言いにくい」という思いがあるようだ。
たしかに、インタビューの内容を忠実にトレースすると、有名人やアイドルの名前を次々と記載しないといけなくなる。
そういうこともあって、ここから先、ふたたび彦根に舞い戻るまでは、ざっくりと話を進めよう。
高校を卒業した岩田氏は、大阪の大学に進学。学費も、生活費も1人でまかなかったそうだ。バイトをしまくる一方で、ギターを抱えて、TVやラジオのコンテストなどに参加。あるTV局関連の人から「東京でやらないか」と誘われ、2年で大学を中退し、上京。大物スターも数々生み出した、伝説のTV番組「スター誕生!」に出場し、優勝する。
まるでシンデレラストーリーだ。
「今でも、私のことを覚えてくださる人がいるようです」。
華々しくデビューしたが、結局、レコードを5枚だし、楽曲も何本か提供して、ほぼ、岩田氏のタレント生活は終わる。
代表曲には「ダメおやじの唄」(作詞作曲/すみあきくん)がある。
シンデレラボーイは、スターだった時もあるし、そうでない日もあった。
「今でもね、あの時、こうしていたらもっと売れていたようなって、思いますよ」と言って岩田氏は、悔しそうに、笑う。
悔しそうな表情ができるのは、逆に後悔のない表れなのかな、と思ったりもした。

・・・・続き


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