2015年6月23日火曜日

野川麺業株式会社 代表取締役社長 野川博史氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”野川麺業株式会社 代表取締役社長 野川博史氏登場。
本文より~

昭和31年、法務省内に「蕎麦屋」出店。

野川氏は、1953年5月15日に神宮前で生まれた。以来、神宮前が氏のホームグラウンドになる。2人兄弟の長男である。
「当時は、神宮前といっても田圃ばかりだったんです。私も、真っ黒になってあそんだ。自然も豊かだったんです。今では、ちょっと想像できないと思いますが」。
「私の父は元々キングレコードでディレクターをやっていたそうなんですが、母方が代々続く蕎麦屋だったものですから、会社を辞め、蕎麦屋の修業を始めたと聞いています。代々、続く格式のある蕎麦屋だから、そういう選択を迫られたんでしょうね」。
「縁あって、修業を終えた父が法務省内に、今の『日豊庵』の前身となる蕎麦屋を出店したのは昭和31年のこと。これが、お役人さんたちにも喜ばれたんですね。それで、次々と『うちにも』という声がかかるわけです。そうですね、親父の代で、5店舗。法務省、農林水産省、国土交通省(当時の建設省)、衆議院、参議院の計5店舗です」。
「出店にあたって、父は日常食であることにこだわりました」。
「日常食べる蕎麦だから、とにかくローコストじゃなきゃいけないでしょ。だから、手間暇かけた旨い蕎麦なんですが、毎日、食べていただけるような値段に設定しました。これが、評判になりました」。
たしかに、仕事の合間に食す「蕎麦」は、早く、安く、旨くが、鉄則である。しかも、野川氏の店では一切、添加物を使用しない。

添加物はいっさい使用しない、背景。

添加物を使用しない。これには、息子の野川氏も一枚かんでいる。小学校の頃には「医者になりたい」と思っていたそうだ。「まぁ、当時は憧れみたいなもんですね。だからなりたいと思ってもそう勉強もしなかった(笑)」。
経歴を言うと、中高一貫の芝学園に入学し、卒業後、医学部を狙うが、結局、東京薬科大に進学する。「薬学部」である。たしかに、医学部ほどではないが、薬学部も、そう簡単に入学できるところではない。しかも、「東京薬科大」である。
大学に入学した野川氏は、父の勧め通り、食品衛生を勉強する。添加物は、この時にでてくる話である。
「あの頃、親父にやるなら食品衛生だって言われて。私も、いつか親父の会社に入るつもりだったもんですから、素直にそちらを専攻したんです。マウスを使った実験も、何度もやってね。だから、添加物の恐さは良くわかっているんです」。
その恐さを知っているから野川氏の店では、いっさい添加物は使用しない。「蕎麦はデリケートなんですよ。1日もたてばすっぱい匂いがしてきます。でも、添加物を混ぜれば、そうはならない。いいかどうかは別にして、うちでは、出したくない、蕎麦です」。
ちなみに野川氏は薬剤師の資格も持っているそうだ。

・・・続き

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