2015年6月2日火曜日

株式会社boucila 代表取締役 高橋智行氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社boucila 代表取締役 高橋智行氏場。
本文より~

あのチームには「高橋兄弟」がいる。

「高橋兄弟」と知れ渡っていたらしい。今回、ご登場いただいた高橋氏の子どもの頃の話である。「兄は、エースで四番。私は快速の一番バッターでした。小・中の話ですが、けっこう強いチームで、なかでも私たち兄弟は、あのチームには高橋兄弟がいると言われていました(笑)」。
スポーツ万能な兄弟2人。ケンカもしたが仲も良かった。
弟の高橋は、1976年11月14日、東京の府中に生まれる。
「父親はわりと大きな米屋で勤務していました。勤務先で母親と知り合って結婚したそうです。我が家は放任主義で、私ら兄弟は特に何か言われたことはありません。代わりに自己責任。だから、放任主義と言っても甘やかされていたわけではない。けっして裕福ではありませんでしたが、家族全員、仲が良かったと思います」。
子どもの頃になりたかったのは、新幹線の運転手。飲食の仕事に就こうと思ったのは、ずいぶん大人になってからだった。
「新幹線の運転手」。淡い憧れのもう一方に、現実があった。「お金がないわけですよ。家に。だから、お年玉も没収されてしまう。そうこともあって、私ら兄弟は私が3年のときかな、それくらいから新聞配達をはじめました。野球もやっていたので、朝刊のみです。それでも、子どもにとってはいいお金になりました(笑)」。
中学になってからは、運送業者で勤務した。むろん、バイトだが、月に数万円。高校生になってからも同じ運送業者でバイトし、月20万円くらいにはなったそうだ。
少年の頃から、高橋は、独立志向があったという。たしかに、当時から「自立も、自律も」経験していた。
ちなみに、本文とはあまり関係がないが、小学生時代、最後の野球の試合で、高橋はトンネルをする。そのエラーが、決勝点となって惨敗。足元をすり抜けたボールの軌跡をいまも高橋は忘れていない。

でかいカブト虫とでっかい海。

父方の田舎に行ったことも、子どもの頃の記憶として鮮明に残っている。
「父は秋田出身。田舎というか、秋田のなかでも、さらに山奥。良く言えば、大自然のなか。でっかいカブト虫とかもいたりして…。虫取りとかにも熱中していました」。
新幹線の運転手になりたいと思ったのは、この時に乗った東北新幹線の車上でのことかもしれない。
ところで、小・中と野球漬けだった高橋。高校に進学すると、ラグビーに鞍替えしている。野球とはまた違ったスポーツを試してみたかったそうだ。
高校を卒業した高橋は、大手印刷会社に就職する。「喰うに困らないだろう」という動機。この会社には、22歳まで4年間勤務している。
大学進学は考えなかったのですか? と聞いてみた。「お金があれば、100%進学していました(笑)」と少し悔しそうな表情をする。「進学するなら、自分で働いて」というのがご両親の指示だったらしい。「結局、私は就職するのですが、この頃から独立への思いが大きくなりました」。でも、何をして独立すればいいかわからない。だから「ひとまず就職した」というのが本音。「喰うに困らないだろう」という選択肢もわからなくもない。
では4年で、やりたいことがみえてきたのだろうか。
「海が好きだったんです。そういうこともあって、2つの選択肢がありました。海外を一周するか、海に関わる仕事をするかです」。で、後者を選択する。自然を相手にしようと思ったあたり、少年の頃に大自然のなかで遊んだ記憶があったからだろうか。
ともかく、高橋は海上保安庁への転職を決意する。海猿である。「あ、海猿とはちょっと違うんです。私がめざしたのは、海中でモノを探したり、橋桁の工事をしたりする仕事です。それで、潜水士の資格も取得しました。でも、ダイビングの経験が足りなかったんです。それで、沖縄の宮古島へ。早く、経験を積んで、海上保安庁に転職しよう。それが、目的だったんですが(笑)」。

楽園で、みつけたものは?

宮古島は沖縄本島より、更に南に位置する離島である。本島からも、300キロ近く離れている。もちろん、南国の楽園。気候は「亜熱帯」である。
「ちょうど住み込みで働かせてくれる店があって。そちらで、そうですね、宮古島では3年半くらい暮らしました。最初は彼女も残してきていたんで、とにかく早く帰ろうと思っていたんですが…」。
南国に魅了された? 「そうですね、とにかく、アホでした。ソウルバーみたいなところでバイトしていた頃は、アフロで、ピチピチのラメ入りシャツを着て、おねぇさんや奥さんたちと踊るんです」。アフロ? 「そう、アフロです。アホでしょ」。
アホはともかくとして、潜水はどうなったのか、聞いてみた。「もちろん、回数経験するために、インストラクターもしていたんですが、趣味を仕事にしているようなもんでしょ。ある意味では天職とも言えるんですが、だんだん冷めてきてしまったんです。仕事というより海に対して」。
「その一方で、飲食の仕事に惹かれ始めたんです。きっかけは、20席くらいのカウンターが、私のお客さんで連日、一杯になったからなんです。当時の私は、完璧な人見知り人間でした。にもかかわらず、いつの間にかたくさんのお客様の心をつかむことができた。それが凄く嬉しくて、飲食に惹かれていったんです」。
急いで帰ろうと思っていたが、いつしか、その必要もなくなった。南国の夜は、毎日、客との会話でふけていった。
そして、飲食で独立しようという野望が、夜空にかがやき始めたのである。

・・・続き
株式会社boucila 代表取締役 高橋智行氏
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