2015年2月17日火曜日

ジェイアール東日本フードビジネス株式会社 代表取締役社長 明智俊明氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち” ジェイアール東日本フードビジネス株式会社 代表取締役社長 明智俊明氏登場。
本文より~

エキナカに新時代を!

「駅はね。日に2回は使われるんです。乗車駅として、また降車駅としてね。それだけ、人の行き来がある。それが駅なんです」。
そう言われると、日々、何気なく通り過ぎる駅の風景が頭に浮かんだ。時には急ぎ足で、時には疲れた足取りで通っている、いつもの「駅」。そこでは、私たちの気づかないところでさまざまなドラマが生まれているのだろう。
さて、今回、お話を伺ったのは、この「駅」を主な舞台として事業を展開しているジェイアール東日本フードビジネス株式会社の社長、明智俊明氏。
同社はJR東日本の各「駅」でみかける、コーヒーショップの「BECK’S COFFEE SHOP」、ハンバーガー&サンドイッチの「Becker’s」、ジューススタンドの「HONEY’S BAR」など、「エキナカ」にある、さまざまな飲食店の企画・運営を行っている会社である。
私も良く利用する。朝、取材先に向かう前、会社の最寄りの駅のカフェに駆け込んで、お腹といっしょに元気を充電する。スピーディな朝食だが、これがいい。現代人にとって、「エキナカ」のショップは、便利このうえない存在だ。
しかし、「エキナカ」という言葉自体、まだ定着して日が浅い。これから「エキナカ」はどうなっていくのだろうか。
「エキナカに新時代を!」。
新たな時代に歩み始めたジェイアール東日本フードビジネス株式会社。その舵を取るキーパーソン、明智俊明氏の話に耳を傾けてみよう。

新潟県小出町には、ローカル線の始発駅があった。

「父親はゼネコンに勤める技術者です」と明智氏は切り出した。
「私が生まれたのは新潟県の小出町という町です。いまは合併して魚沼市となっています。この町には只見線というローカル線の始発駅があるんです。親父は、当時、黒又川ダムの建設を行っていて、その時、私が生まれたんです」。
当時は水力発電が主流で、旺盛な電力需要を背景にダムも次々に建設されていったはずだ。一つのダムが完成すると、新たな現場に向かうことになる。
明智氏は小出町で生まれたが、育ったのは父と母の故郷でもある北海道である。
「小学校に上がるときに、引っ越しました。父親は、仕事の関係上、単身赴任も多く、私たち兄妹は母に育てられました」と言って明智氏は笑う。
ちなみに、兄妹は妹が1人。2歳、離れているそうだ。
長男の明智氏は、むろん、父の影響を受けて育った。

やんちゃ坊主。半年で転校させられる。

「小学校1年生の時、半年で田舎の学校から転校しているんです」と明智氏。どうしてですか? と尋ねると、氏は笑いながら「授業にならないんですよ、私がいると」と答えてくれた。なんでも、先生が問題を出すとあてられてもいないのにスグに答えてしまったそうだ。「だから、授業にならない(笑)。それで、もう少し都会の学校にということで、転校させられてしまったんです」。
 最初に書いておくと、明智氏は東京大学を現役で合格している。当時から頭脳明晰だったのだろう。もっとも本人は、「やんちゃだったから」と笑うだけなのだが。
少年野球に入って野球もした。「当時は、野球しかなかったもの」という。
中学2年生の冬、父の転勤で、一家は東京に出てくることになる。「2年生の1月です。もうそろそろ受験に備えなければいけない時でしょ。北海道では、あの学校と決めていたんですが、引越しちゃったからまたイチからです」。
北海道から来た、やんちゃな少年。言葉のカベもなくはなかった。「いじめられていたわけじゃないけど、みんなに訛りがあるとからかわれた、そんな記憶があるな」といって笑う。ともかく、明智少年は、東京で新たなスタートを切った。

・・・・続き

ジェイアール東日本フードビジネス株式会社 代表取締役社長 明智俊明氏
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