2014年5月27日火曜日

株式会社タウンクライヤー 代表取締役 嶋 啓祐氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社タウンクライヤー 代表取締役 嶋 啓祐氏登場。
文より~

北海道砂川市、生まれの少年。

北海道砂川市は、札幌市と旭川市を直線で結び、その線を二等分したような場所に位置する。炭鉱町、そして上砂川や歌志内に行く起点として古くから栄えた町で、嶋家は曾祖父の代から移り住み、駅前で旅館を経営されていた。
この駅前旅館に、嶋が生まれたのは1963年のこと。市のHPを調べると、嶋が生まれる数年前の、1959年に人口が3万2495人となり、これが市制開始後の人口のピークということだった。
嶋家が経営する旅館も、炭鉱の町とともに衰退したはずだが、それでも数年前まで経営を続けられていたそうである。
しかし、ご両親は、3人の子どもらには「早く町を出られるように」と言われていたらしく、長男である嶋も家業を継ぐことなく、明治大学への進学に合わせ東京に出てきている。

明治大学に進学。

「中学からサッカーをはじめ、高校の2年まで続けていました」と嶋。
それ以降は、勉強に精をだした。「ただし、いくつか受験したものの、合格したのは明治だけ」といって笑う。
「学生時代は、とにかくアルバイトに明け暮れた」と嶋。その言葉通り入学式を済ませた翌日から弁当屋でバイトを開始している。「渋谷の大衆キャバレーとか、スキーのインストラクターもしました」。
ちなみに、高校時代の得意科目は、英語と世界史。All Aboutのプロフィール欄を観ると趣味・特技として、「洋食調理と日本神話探求」が挙げられていた。

マルチなタレントの持ち主、経営者嶋ができること。

1986年、明治大学を卒業した嶋は、リクルートの関連会社である「東京リクルート企画」に就職する。アルバイト誌のフロム・エーなどの営業を務めていた。もう、その当時には30歳で起業という目標も念頭にあったそうだ。
東京リクルート企画で1年2ヵ月営業を経験した嶋は、「電通国際情報サービス」に転職することになる。
電通国際情報サービスは、1975年に電通と米国のGEが共同で立ち上げた会社である。
「人事の枠がぽっかり空いたらしくて」と嶋。まだ23歳、経験よりも、将来を嘱望されてのことだろう。
「それから37歳まで勤務しました。電通の子会社でもあるわけですが、電通より先に上場も果たしました。上場を経験できたという意味も含めて、この会社に転職して良かったです」。
嶋が37歳ということは、2001年のこと。電通国際情報サービスを退職した嶋は、その年の10月「大手町サンケイビル」6階に本格的なブリティッシュパブを開業する。これが嶋の飲食人生のスタートである。
ところで、それよりも10年前、つまり1990年から嶋は、副業でブライダルコーディネーターや式場での司会、また式のビデオを撮影・編集し、販売していたそうだ。「だいたい1年で30~40組を撮影しました」と嶋。
多彩なタレントを発揮するのは、この頃からだろうか。ともかく、多彩。いまの現在の話になるが、All Aboutで行っているフレンチのガイドもそうだが、今度、島根県雲南市が作成する、カレンダーのデザイン、コピーライティングも社長業のかたわらで行っている。これ一つからも、マルチタレントぶりが伺い知れようというものだ。
1985年、フランス旅行でワインとフレンチにのめり込み、独立した2000年には、「フランスワイン完全ガイド(小学館)」も監修出版している。ちなみに、これらすべての経験が、ブリティッシュパブの開業につながったことはいうまでもないだろう。・・・続き
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