2014年5月22日木曜日

株式会社人形町今半 代表取締役社長 高岡慎一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社人形町今半 代表取締役社長 高岡慎一郎氏登場。
本文より~

明治28年創業の老舗の名店。

牛鍋とは「すきやき」のこと、と言っていいのかどうか判らないが、ともかく牛鍋は、今の「すきやき」の原型ではあるようだ。森鴎外の著書のなかにも「牛鍋」という作品がある。小説にも登場するくらいだから「牛鍋」は昔から尊ばれていたのかもしれない。
調べてみると、牛鍋は幕末の頃に初めて登場している。
「今半」が創業したのは、明治28年。曾祖父が牛鍋屋を開業したのが始まりである。
「当時の牛鍋は、ビール1本よりも安かったそうです。今のように高級ではなく、大衆食だったんですね。曾祖父が開いた『今半』は、かなりの人気店だったようで、金メッキの鍋で提供したりしていたと聞いています」。
「食」は、その時代の文化なり、思想なり、経済なりを極めて正確に映し出す。明治から大正にかけ、日本の食文化がほどよくこなれてきた様子が、今半の当時の様子からも伺える。
曾祖父が、開業した「今半」は、祖父の代で「浅草今半」を生み、次男だった高岡の父が「人形町今半」を設立したそうだ。その意味でいえば、高岡は、「今半」の4代目であり、「人形町今半」の2代目店主となる。
今回は、この「人形町今半」の2代目店主、高岡慎一郎の足跡を追いかけた。

人形町今半2代目店主への教育。

大人しく、目立たない性格だったと高岡は、幼少期を振り返る。高岡が生まれたのは1958年11月6日。四谷生まれ 荻窪育ちだそうである。2人兄弟の長男で、次男はいま副社長を務めているとのことだ。
「両親とも仕事をしていましたので、私はお手伝いさんに育てられたようなもの。私が小学4年生の頃からでしょうか。母が初の支店である有楽町店の責任者となり、、ますます忙しくなりました」。
「両親共忙しい仕事の合間を縫って、外食にはよく連れて行ってくれました。今でいうなら星付きのレストランです。私や弟の舌を鍛えるためと言っていましたが、父本人が、旨いものを食べたかっただけだったかもしれません(笑)」。
まだ子どもである。旨いかどうか判断する材料はない。それでも、子どもの頃の味覚は、生涯を決定すると言ってもいい。
父にすれば、これも「食育」の一つであったのだろう。ただ、この時、高岡が魅せられたのは料理よりも接客だったそうで、「クオリティの高い接客を受け、幼いながらにも憧れた」と言っている。
母からは「勉強しろ、塾に行け」と、よく尻を叩かれた。父は、特段何も言わない人だったが、テーブルマナーについては、色々言われたそうである。
かけっこが不得意。運動音痴だと思っていたと笑う。
それでも小学生の時には、スケート、剣道をかじり、高校では柔道を少し経験している。「高校生になって人並み程度には走れるようになって。ちょっとスポーツにも自信がついた」と高岡は大声で笑う。・・・続き
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