2013年6月26日水曜日

株式会社ナチュラ 代表取締役 河合倫伸氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ナチュラ 代表取締役 河合倫伸氏登場。
本文より~

「坊主はモテねぇぞ」の一言で、バスケットボールへ転向。

姉と兄2人、兄弟はいまも仲がいいという。
両親は保険会社を経営。末っ子の河合の面倒は、姉と兄たちが良くみてくれた。河合を含め男兄弟3人は、スポーツが得意で、水泳選手だった長兄は小学生時代に選抜され、渡米までしているそうだ。次兄はサッカー。河合、本人は野球を選択した。
「ファーストとか、ピッチャー、キャッチャーもやったし、サードもしました。打順は5番。それなりに強いチームだったので、入学前から中学の野球部から特別扱いを受けていました」。
ところが長兄の一言で、野球を断念しバスケットボールに走る。野球部入部が既定路線だったこともあって、一時期、先生や顧問、監督などが騒然としたらしい。そんな騒動のきっかけとなったのは、「坊主はモテねぇぞ」の一言だった。
そんな経緯もあって、中学からはじめたバスケットボールだが、こちらでも頭角を表す。ただし、学校自体は弱く、大会で勝ち残るような成績を収めたことはない。もっとも河合は、選抜にも選ばれている。
なかなか勝てないうっぷんを晴らしたのは高校時代。県大会でも、つねに優秀な成績を残すことができた。
「たまたまなんです。ぼくらより1つ上ぐらいから、選手を集め始めたそうなんです。最初はそれを知らないもんだから、弱くはないけど、それほど練習もきつくない学校に入ったつもりでいたんです。でも、ぜんぜん違うんです。先生たちの目の色からして違いました。もう、唖然とするばかりです(笑)」。
「ぼくらが一応、最強の世代と言われるようになるんですが、試合前の練習から他のチームとはぜんぜん違います。190センチオーバーの選手がバンバンダンクを決めるんですから。そりゃ、相手チームは勝てる気がしなかったんじゃないですか。練習も厳しかった。それに、ケガをしないようにバスケット部員は、体育祭にも出られないし、海水浴に行くのも許されなかったんです(笑)。正直いうと、何度も辞めさせてくれって思いました。でも、いま振り返ると、あの時のことがあるから、たいていのことにビビらずに喰らいついていけるんだと思います。『しんどい』ことでも、たいてい平気ですから」。

スポーツトレーナーをめざして。

「でも、もう一度、あれをやれ、って言われても絶対できません(笑)。体罰ってあるでしょ。やっていいかどうかは別にして。ぼくらの時代はあたりまえでした。ぼくなんか、体育館の端から端まで、下がりながらピンタを喰らいつづけたこともあるぐらいです。それでも好きだからできていたんでしょうね。でも、実は、最後の最後で、部も、学校も辞めることになるんです」。
卒業まで残すところあと半年。友人らと駅のホームにいたところ人違いで同じ高校生から文句を言われた。相手は人違いに気づかず殴ってくる。ケンカにならないほうが不思議なシチュエーションだった。しかし、罰則を受けたのはこちら。部も辞めさせられ、学校も退学。推薦で決まっていた大学の話もパーになる。
処分が下ってから問題の発端が相手だったことも分かったが、文字通り後の祭り。他校に編入し、高校は無事卒業できたが、もう進める大学もない。そこで、河合は声をかけてくれたスポーツ専門学校に進学することになる。
その学校には、当時、もっとも有名なスポーツトレーナーも講師として在籍していた。そういう講師陣からも刺激を受け、河合自身も在学中からフリーのスポーツトレーナーとして、著名な格闘家のトレーナーを務めていたそうだ。名前はだせないが、TVにも何度も登場するような選手だった。
卒業後は、精神病院に勤務した。重度の精神病患者を相手にトレーニングを行っていたそうだ。1年契約。契約終了後に、一本の電話がかかってきた。・・・・続き
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