2013年6月11日火曜日

“ラーメン大”の株式会社フューチャーファクトリー 清水照久氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“ラーメン大”の株式会社フューチャーファクトリー 清水照久氏登場。
本文より~

少年、清水がみた魔法使いたち。

清水が生まれたのは1961年。戦後の復興の足音が高らかに響き渡る頃だ。といっても、清水が生まれたのは鳥取県。父親の転勤、転職に伴い広島や島根にも住むことになる。
料理人、清水の原点は母方の実家にある。「母親の実家は何百年も続く、老舗の旅館だったんです。小学生になってまとまった休みが取れるようになると、その度に泊まっていました。当時の楽しみがその旅館の『厨房』だったんです。板前さんたちの凛とした立ち振る舞いはもちろんのことですが、子どもの私には、彼らが魔法使いのように思えました。野菜や魚が、みたこともないうつくしい姿に生まれかわるのですから」。
少年清水は、料理が出来上がるたびに目を丸くした。これが、料理人清水の原風景ともいえるものだ。

3メートル超のそら高く。

父母からは「勉強しろ」とよく言われたが、勉強は得意な方ではなかった。代わりに運動は、群を抜いていた。
「勉強はしないから、得意になるわけもないですよね。でもね。スポーツは好きで、そこそこの成績をおさめました。中学から始めた棒高跳びでは、市大会で優勝しています。もっとも県では3位。記録は3メートル20センチでした」。
3メートル20センチ。想像してみて、うえをみあげた。ビルでいえば、2階まで軽々、届くような高さである。
「もともとは水泳部に入ったんです。でもある日、陸上部の選手が棒高跳びの練習をしているのをみてやってみたくなったんです」。
「棒高跳びは、ジャンプ力があればいいという単純なスポーツではありません。助走のスピードがあればいいというわけでもないんです。当時からグラスファイバーを使っていましたが、あの棒がしなって、そら高くほうり上げてくれる、そのタイミングが難しいんですね」。その難しさにハマったのだろうか。
空中高く舞い上がる、たしかに気持ち良さそうだ。・・・続く

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