2016年4月3日日曜日

新人営業マン、社会人インターンのおかげで3月は社長取材月20件以上。

新人営業マンのS君と社会人インターンU君のおかげで
なんとこの1ヶ月で社長取材通じて新たなご縁19社長と出来ました。
よく皆に話しています、『飲食経営者の生き様まで直接聞いてるネットワークは日本一』 と。
これも皆、現在・過去と営業マンのおかげです。
なんと上場会社も3社、たいしたもんです。

"飲食の戦士たち"も531連載。既に40社ほどは取材済みのため1,000連載への見通しは立ちました。
未知の2,000連載までは現役で取材する予定です(笑)

96x96







戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

HUB様2016年の新入社員の入社式、なんとイギリスで!!

入社式が行われたのは約300年の歴史を誇るロンドンのパブ「The George IV」。 
太田剛社長は「この地で『ハブ人生』のスタートを切られたことは意義深い」と新入社員を激励した。 

NHKニュースにも取り上げられたようです。
本場のパブを入社時から体験させていかれるとは、本当に素晴らしい会社です。
2017年新卒採用はコチラ→マイナビ2017  リクナビ2017

96x96











願いは叶う!! 父親少しずつ少しずつ回復してきています。

昨年11月11日、父親が脳梗塞で意識が無くなり、一時は厳しい状態でした。
もちろん、瞳孔も開らいたままで、動くことも話すことも食べることもできませんでしたが、うちの父親はすごく生命力強いです。
意識はあり、手も少しだけ動くようになりました。
先週、うちの家内の提案で昔の写真をDVD撮ってベッドに置いてあげようと京都出張時に入院先に行ってきました。
すると週末姉が病院にいった際、姉が『お父ちゃんわかる?』って聴くと『わかる・・・』っ超えだしてくれたようです。
手足も以前と比べるとすごく細くなりました。
でも必死に回復しようとしてくれています!!
やはり、父親の好きな東京にあと1回最低でも連れてやらねば・・・。
願いは叶う!! 
 (日本刀持って満足げの父親)
(DVDに写っている写真を真剣に見てる父親)
(姉が言葉かけたら返事してくれた父親)
(若き頃の父親、お気に入りの1枚)

2016年3月30日水曜日

祝・祝 うちの営業のツートップが相次いで結婚・披露宴挙げました。

祝・祝 うちの営業のツートップが相次いで結婚・披露宴挙げました。

祝

2月20日にはHR事業部第1営業部(求人広告部門)部長の石毛が結婚披露宴を・・・。

祝

祝

3月19日にはHR事業部第2営業部(人材紹介部門)部長の江川が結婚披露宴を・・・。

祝
祝

本当にうれしいです。
めでたい!めでたい!

96x96
戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2016年3月29日火曜日

株式会社小肥羊ジャパン 代表取締役 青山 浩氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社小肥羊ジャパン 代表取締役 青山 浩氏登場。
本文より~

火鍋、そのルーツ。

小肥羊。「しゃおふぇいやん」と発音するそうだ。「小肥羊は1999年、中国・内モンゴル自治区の包頭(パオトウ)市で誕生した火鍋専門店です。1号店がオープンするやいなや行列ができる人気店となり、2003年までの4年間でフランチャイズを含め、中国全土に約700店舗を開店するに至ります。私が小肥羊に出合ったのは2005年で、日本に第1号店をオープンしたのは、2006年9月です」。
日本でもすっかり馴染になった火鍋。そのルーツは、この「小肥羊」と言えるかもしれない。今回は、株式会社小肥羊ジャパンの代表、青山 浩氏にお話を伺った。

名門、灘中学にて。

青山氏は1973年、大阪市住吉区帝塚山に生まれる。兄弟は、兄と弟。父親は大手百貨店のグループ会社で勤務されていたそうだ。
「好奇心旺盛な子ども」。少年時代を一言でいうとそうなるらしい。勉強が良くでき、名門、灘中学に進学している。
小学校では塾でも、学校でも群を抜いていたはずだが、「灘中に入ると、勉強ができる奴ばかりで」と青山氏。
成績は上から数え3分の2くらいを行ったり来たりしていた。天才がふつうの生徒になる。しかし、その順位に甘んじる青山氏ではない。中学3年になって、一念発起すると、成績はみるみる上昇し、最終的には上位10位に食い込んだそうだ。
「中学3年の時には、めざすものがあったんです。野口英世さんです。彼に憧れ、京大に入り、医師になるつもりでした。しかし、彼もけっして英雄だったわけではないことを知って幻滅してしまうんです」。
「幻滅」。多感な少年にとって、重い二文字である。少年の心は、いたく傷ついたに違いない。しかし、青山氏は、すぐに方向転換した。

野口英世、改め官僚。

「医師を辞め、次にめざしたのは官僚です」。
「東大」「官僚」。野口英世の話にしてもそうだが、一般の私たちからすればホラにも吹けない話がバンバンとびだし、腰が引ける。
とにかく、話を進めよう。
青山は、エスカレーター式で灘高校に進学する。むろん、めざすは東大。しかし、勉強ばかりの青二才ではない。
甲子園球場でビールを売り歩くバイトもした。
挫折も経験している。
「バイトも含め、さまざまなことに手を出していたもんですから、結局1浪してしまいます」。
青山氏が赤門をくぐったのは、高校卒業の翌年。法学部に入学している。住まいは池ノ上に借りた。月5万円のアパート。初めての独り暮らしでもあった。

官僚、断念? 富士銀行(現みずほ銀行)就職。

「思ったより、国家一種の試験のカベは高かったですね」と青山氏。当時は猛烈な買い手市場。そのなかでも、大手都市銀行に就職しているからすごい。
「結局、富士銀行に入行しました。勤務したのは約3年です。その後、友人に誘われてインターネットのベンチャー企業を設立しました」。
2000年、ITバブルに向け、ネット関連の企業が次々、設立された時だ。うまくいった会社はそう多くない。青山氏がつくった会社も、その一つだったようだ。
「なかなかうまくいきませんでした。結局、1年くらいで撤退。転職活動、開始です(笑)」。

・・・続き
PRバナー

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)

来期はリーダー育成し、今までより強い組織に!

この数年、営業リーダー不在というか特に弱体化してたんでついつい動いてしまうが、
ここは任せた以上は、今の若手リーダーたちに全てやらせてみようか。
真のリーダーになってもらうには、自ら考え、自ら行動してもらわないと…!
営業は本当に力付けてくれている。
やはり人で組織は変わります。
わかっちゃいるが、痛感してます!
96x96
戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2016年3月22日火曜日

株式会社KATSU NUMBERS 代表取締役社長 宇敷勝巳氏登場。

本文より~

フレアバーテンダー、世界チャンピオン。

今回、初めてフレアバーテンダーという職業を知ったので、調べてみた。酒やジュースを注ぐ【ポア】。酒やジュースを溢れさせる【スピア】。ボトルやシェーカーなどをつかんで受け止める【キャッチ】。回転をかけて放る【フリップ】…、いろんな技の名称がでてきた。
今回、登場いただいた宇敷勝巳氏は、2010年、カナダ、バンクーバーの世界大会で、フレアバーテンダーの世界チャンピオンとなった人である。HPによれば、日本・アジア・世界、すべてのタイトルを制覇。フレアバーテンディングで5本ジャグリングの世界記録を樹立し、2015年現在も、その記録は破られていないという。
フレアバーテンダーでは初の東京都公認パフォーマンス資格を獲得。世界最高峰のサーカス団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のオーディションに合格し、登録パフォーマーとして在籍とも書かれていた。
では、その世界的なパフォーマーになるまでの道のりを追いかけてみよう。

野球推薦で、進学するも、中退。

宇敷氏が生まれたのは、1982年。出身は群馬県。父親は、鉄骨溶接の仕事をされていたそうだ。両親は、宇敷氏が小学6年生の時に別居。18歳で、離婚。宇敷氏は3つ離れた兄とともに母に引き取られた。
「母は別居してから、旅館の掃除、ドライバー、配膳、内職と朝昼問わず働いていましたが、けっして弱音は吐かず、私たち兄弟を育ててくれました。にもかかわらず私たち兄弟は、兄弟そろってやんちゃな道に進みます。とはいえ、兄は中学を卒業して、寿司屋で住み込み、仕送りをしてくれました。私も、兄同様、高校に行かず働こうと思っていたのですが、教師の勧めもあって野球推薦で高校に進学しました」。
野球は小学校の時から始めている。小学生の時はキャッチャー、中学ではサード、センターを守っていた。野球推薦をもらうくらいだから、運動神経に恵まれていたのだろう。
「しかし、結局は退学します。理由は、バスの定期代で6万円以上かかったことと、当時つるんでいたグループが不祥事を起こして、連帯責任を取らされ停学をくらったからでした。そのあとは、2年間ほど住み込みで大工の見習いをしました」。

西新宿のバーでみつけた未来の種。

宇敷氏が上京したのは、18歳の時。最初は渋谷に住むつもりだったが、大家に断られ、大宮で暮らすことになる。
「テレフォンアポイントをして生計を立てていました。バーテンダーの世界を知ったのはこの時で、西新宿のバーに知り合いに連れて行ってもらったのが、はじまりです」。
人には、多かれ少なかれ歴史が動くターニングポイントがある。この時の宇敷氏がまさにそうだった。
バーテンダーの仕事に心惹かれた宇敷氏は、その場で「雇ってください」と頼み込んだそうだ。HPのプロフィール欄にある、新宿サントリー/クラシックジガーバーが、その時のバーである。
「そのバーで勤務している時に、もう一つのターニングポイントが訪れるんです」。
ある日、1人の客に、フレアバーテンダーの映画を渡された。トム・クルーズ主演の映画「カクテル」である。この映画を観て、フレアバーテンダーに興味を持った。
独学が始まる。

国内大会、優勝。

「フレアバーテンダーに興味を持った私は、とにかく道具だと、横浜の協会で教えてもらった店に行き、購入しました。それからは、独学です」。
何度も映画を観て、練習した。師匠がいるわけではないから、どれだけのレベルかわからない。
「私のレベルがわかったのは、ある大会に出場した時です。ルーキー戦があって、2位になりました。それから、日本チャンピオンシップに出場し、優勝もしました。それが20歳の時です」。
当時、フレアバーテンダーの人口が日本にどれだけいたのかはわからない。ただし、大会は大掛かりで、出場した選手は少なくなかった。そのなかで宇敷氏は優勝したばかりか、最年少記録も更新した。
その後、宇敷氏は、世界に目を向け始める。
行くなら、本場カナダだ。
宇敷氏は、1人、カナダに向かった。

・・・続き

PRバナー

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)