“飲食の戦士たち”で株式会社ブリッヂウィン 代表取締役 玉井亮佑氏を取り上げました。
はじまり。
「隣のコースは、未来のオリンピック選手、北島康介さんだった」と、玉井さんは笑う。
1981年生まれ、インタビュー時で45歳。株式会社ブリッヂウィンの代表だ。
「巣鴨の近くですから、とにかく下町育ちです。北島選手といっしょだったのは、水泳教室です。父は大手商社に勤め、母は専業主婦でした。兄弟は3人。小さい頃はやんちゃで、下の弟とはしょっちゅうケンカをしていました。ただ、父が怖くて、父が帰ってきたのがわかると、ケンカをやめて、蜘蛛の子を散らすように自分の部屋に駆け込んでいきました(笑)」。
小学校の頃から足がはやかった。学校では負けたことがない。だから、サッカーも好きだった。右ハーフ。運動量が半端ないポジション。
「じつは」と玉井さん。
「小学1年生のとき、車にはねられて15メートルぶっ飛んでいるんです。あと2、3センチ飛んでいたら縁石に頭をぶつけていたそうです。幸い、かすりキズだけで済んだのは、ほんと奇跡でした」。
九死に一生を得るとはこのこと。ただし、これだけじゃない。では、いつも通り、波乱万丈と背中合わせの玉井さんの人生を追いかけてみよう。
高校まで。
「小学2年で警察のお世話になった」と玉井さんは苦笑する。
警察?と驚くと、頷きながら経緯を話してくれた。
「ともだちとザリガニ釣りに行っていて、ザリガニは釣れたのにカゴがなくって。それで、『オレ、カゴ取ってくるわ』って。ちかくにあったコンビニに行くと、ちょうどいいのがあって」。
―――言葉通り、取っちゃった?
「そう、ぜんぜん悪気はなかったんです。悪気がなくても許してくれませんよね。店員さんにみつかって御用です」と玉井さん。
警察沙汰とは、大人げない気もしないではないが、大人たちは、教育のつもりで、簡単には許してくれなかったのかもしれない。
中学ではどんな感じだったんですか?
「あまり勉強はできませんでしたね(笑)。中3で初めて塾に行くんですが、進学した高校は、偏差値が低い男子校でした」。
そこしか受からなかったわけではない。
「友達が行くんで『じゃぁ、オレも』って。で、学校に行くまで、男子校だって知らなくて、『おい!男ばっかりじゃないか!』って(笑)」。
ただし、高校時代について聞くと「めちゃくちゃ楽しかった」と声を弾ませる。
高校時代と、卒業後の進路。
「中学ではサッカー部がなかったんですが、高校にはちゃんとあったので、もう一度、サッカーを始めます。そのときのポジションが右ハーフです」。
「とんでもないバケモンがいた」と玉井さん。
彼の活躍もあって、東京都でベスト32にまで進んでいる。もちろん、玉井さんもピッチを何度も往復。右ハーフだけあって運動量は相当なもんだった。
ちなみに、小学生のころ、ボーイスカウトで自然のなかで生きることを覚え、中学の時には、家をでて1ヵ月帰らなかったことがある。
話を聞いていると、小さな頃から自立した少年の姿が浮かび上がってきた。
カリスマ美容師へ。独立に向かって、スタートを切る。
「当時、流行っていたカリスマ美容師のTV番組を観て、それまで漠然としか将来を考えていなかったんですが、『これだ!』って」。
3年制の専門学校に通い、美容室で働いた。
「結構、ハードでした。仕事も、勉強もした半面、その反動じゃないんですが、遊んじゃって。相当な借金をつくります」。
「よからぬ会社からも借りた」と苦笑する。こちらも大ピンチの一つ。
当時、20代前半の青年がつくった借金の額を聞いて驚いた。借り手はもちろんだが、貸し手にも責任がある。もちろん、飲食の戦士たちでよく出てくる独立資金や運転資金のためではない。借りたお金は、夜の街に消えていった。
「けっこうヤバかった。15メートル飛ばされたとき以上に、精神的にはヤバかったかもしれません。だって、麻痺して、お金を借りることが止まらないんです」。
子どもの頃からいつも頼っていた祖母に頭を下げた。
「おばあちゃんには感謝しかない。ぼくだけじゃなく、兄弟全員、世話になっています。もちろん、それ以来、事業資金以外、金融機関から借りたことはありません」。
―――美容師のほうはどうなりましたか?
「じつは、父が50代で独立して『タリーズ』のフランチャイズショップをオープンするんです。そのとき珍しく頭を下げて、『いっしょにやってくれないか』って」。
父が頭を下げ、飲食の道がはじまる。
―――美容師とはちがう道ですね。
「そう。将来、独立するつもりでしたから、半年間、回答できませんでした」。
―――たしかに、難しい選択ですね。
「頭を下げてくれた父をムゲにできません。でも、独立もぼくにとっては大事な未来だったんです。最終的には、いくつか約束をして、父の下ではたらきはじめます」。
―――他社のインタビューでお父様に影響を受けたとおっしゃっていますね。
「タリーズをオープンしてから、ちかくで仕事をする父の姿をみます。父はスタッフより早く出勤して、毎日、店の周りを全部掃除するんです。前を通る人だけじゃなく、20メートル先の人にまで元気な声で『おはようございます』って声をかけて」。
―――普段のお父様とちがいましたか?
「初めてみる姿です。父がタリーズをオープンしてから、街の朝が一変するんです。『一人の人間が、朝の空気まで変えるんだ』って感動したのを覚えてます」。
―――その感動が、今の玉井さんをかたちづくっている?
「そうかもしれません。間違いなく、影響は受けています。ただし、フランチャイズでしたので、自由度がなくて、ぼくはそれが物足らなくて、父とちがう道を歩み始めます。父の下ではたらいたのは、けっきょく4年程度でしたが、この4年がぼくの人生にとって大きな意味をもっています」。
美容師から飲食へ。背景には、たしかに父の影響があった。
しかし、職業だけの話ではない。父の背中は、玉井さんに仕事の意味、人生の意味を教えたにちがいない。
「その後、複数社で勉強をさせていただき、39歳のとき、そのとき勤めていた会社を引き継ぐというかたちで独立しました」。
―――ちょうど、コロナのときですね?
玉井さんは、黙って頷く。
・・・続き
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