2022年12月9日金曜日

株式会社遊鶴 代表取締役社長 橋本 毅氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社遊鶴 代表取締役社長 橋本 毅氏登場。

本文より~

中学生の麺職人。

今回、ご登場いただいた株式会社遊鶴の代表取締役社長である橋本氏は、食材の宝庫でもある北海道小樽市に1961年に生まれている。
小さい頃は海が遊び場だったというから海からも近かったのだろう。
「ただ、私が6歳の頃に札幌に引っ越しています。もともと小樽で製麺業を営んでいて、札幌の製麺工場を買い取って札幌に移ったようです」。
当初は業績も順調だったそうだが、次第に厳しくなる。
「私が、中学に進学した頃からでしょうか、大型スーパーや学校給食など大量生産能力が必要となってきましたが、設備投資もままならず経営が厳しくなっていったようです。今の基礎となる蕎麦屋の第一号店もこのころ開店しました。私も、家業を手伝うために厨房に入り仕事を始めます。学業との二足の草鞋ですね笑」。
父親について橋本氏は職人気質で厳しかったと言っている。幼少期は母子家庭みたいなものだったとも。ただし、中学を卒業する頃には一人前の麺職人、父親ともいっしょに過ごす時間が増えた。
しかし、中学生の麺職人とは、ちょっとイメージが追い付かない。

製麺業から飲食業へ。

「家業の手伝いばかりではなく、大学にも進みました。地元の大学に進学したんですが、じつは、飲食のアルバイトが楽しくなって途中でリタイアしています」。
それで、どうされたんですか?
「若かったこともあって、『東京だ』と思って、東京でロシア料理のコックになりました。当時は家業を継ぐ気持ちはぜんぜんなかったですね」。
ただ、そうは言っていられない事態になる。
「ちょうど自社新工場を建設するということになって、住居といっしょに、今の本店ですが、蕎麦店もオープンしようと。ただ、その計画が動きだした頃に、父親が倒れてしまい、私も急いで実家に戻ります。父親は亡くなり、母親が社長に就任しますが実質の運営は自分でした。その頃、負債は2億円くらいだったと思います」。
マイナスからのスタートですね?
「そうです。でも、危機感はそうなかったですね。投資のための2億円だから、うまく回転させれば、当然、2億円以上の利益を生むわけですから。もうちょっといえば、母親が社長だったこともあって、私自身、お金のことまで危機感がなかったというのが正直なところですね」。
億単位の借金があり、父親という羅針盤もないなか、先の見えない製麺事業からの撤退を決意する。
「もう、製麺では立ちいかないと思っていましたから。だから、飲食業に舵を切るんです。私自身、いわば麺職人でしたし、ロシア料理の経験もある。ただ、なんとかなるとは思っていましたが、ここまで繁盛するとは、まったくの想定外でした」。
蕎麦づくりは、橋本氏の仕事。むちゃくちゃ目がまわった。
「うちの店がヒットしたのは、当時の蕎麦屋では珍しいセットメニューを数多くお出ししたからだと思っています。私自身が東京でそういったお店を経験していたものですから、その方法を北海道にインポートしたわけです」。
本格蕎麦の旨さと多彩なセットメニューが、口コミで広がった結果、オープンして数日で目がまわる、うれしい状況になったそうだ。

麺職人の矜持。

橋本氏は、クリエイト・レストランツ・ホールディングスのHPに掲載しているTOPインタビューで、当時を振り返り、次のような趣旨の話をしている。
「大量消費の時代が訪れたことで食品添加物が流行りだします。添加物を入れれば、長持ちし、ロスも少なくなります。利益だけ追い求めれば、それが正解です。ただ、そうしたくなかった。だから、市場に卸すのではなく、直接、消費者の皆様にという思いこそ当社が飲食店に転身した理由でした」。
メインは「ごまぞば」。同インタビューで、「当時全国では全く存在しない、札幌でもまだまだ珍しかった『ごまそば』を選択した」と言っている。
「ごまそば」はいまも看板メニューだ。
もっとも、負債もある。経営手腕が問われるところだ。「とくかく財務体質を立て直すのが喫緊の課題だと思い取り組み、社長就任から5年後には改善しました」。
「旨い」だけでは、もちろん生き残れない。だが、旨いの一言を追求する志は消費者に伝わった。消費者の信頼があったからこそ、財務体質もまた改善できたに違いない。言い換えれば麺職人の矜持が、すべてを凌駕したということだろうか。
「財務状況が改善していくなかで、もう一つ、人材という飲食にとっては本質的な問題がクローズアップされてきました。いまから大きくなるためには、どうしたらいいか。やはりそこには『人』という問題が立ちふさがります」。
じつは問題は、それだけではなかった。
「家族で温泉に行った時に脳梗塞を発症し倒れ、入院の手続き諸々で自宅に戻った時にもう一度倒れます。いまは、まったく不自由もなく毎日10キロ走っているのですが、後遺症で1ヵ月ほど、左半身が麻痺。息子はまだ大学を卒業して間もない頃だったので、M&Aかなと思ったんです」。

・・・続き

株式会社遊鶴 代表取締役社長 橋本 毅氏

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