2017年12月19日火曜日

株式会社梅の花サービス西日本 代表取締役COO 吉田 訓氏(旧姓 児玉)登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社梅の花サービス西日本 代表取締役COO 吉田 訓氏(旧姓 児玉)登場。
本文より~

小学6年生。4人でパーティを組み、300キロの旅にでる。

「こだまく~ん」。グランドにいると校舎の窓から歓声が降ってきたのは、高校時代の話。中学は卓球部。恋の話もある。仲間といっしょに自転車で300キロの旅をしたのは、小学6年生の時。
「いま、こうしてお話しているといろんなことを思い出しますね」と、今回、ご登場いただいた株式会社梅の花サービス西日本、代表取締役COO、吉田訓氏。ちなみに、吉田氏は旧姓を児玉という。戦国武将である毛利家の末裔なのだそう。冒頭と、以下は、そちらの児玉の姓で話を進める。
「父方の祖父は、下関で学校の校長などを務めた人です。父は、生命会社で勤務」。父親の仕事の関係だろう。広島県の福山市に落ち着くまでは、転勤もそれなりにあったそうだ。
「もう1人の母方の祖父は、国鉄で勤務。福岡では要職にも就きますが、48歳で早期離職したと聞いています。私はこの福岡の祖父に溺愛されて育ちました/笑」。
初孫なのだという。記憶にはないが0~3歳の頃は、特別に新幹線の運転席にも座ったことがあるそうだ。当然、鉄道が大好きになる。
「小学校に上がってからは、夏休みになると決まって1人で新幹線に乗って、母方の祖父の家に向かいました」。駅では、祖父が今か今かと待っている。そして、児玉氏は、丸々、1ヵ月、祖父の家で過ごした。
「小学校時代のいちばんの思い出は、仲間4人でパーティを組んで、自転車で300キロの旅をしたことですね。そうです。福山から下関まで。パンクして泣くわ、帰るといって駄々をこねる。そういうのをなんとかなだめすかして」。
高速道路ならわずか3キロの道のりが、一般道のため15キロ。アップ・ダウンの坂を上り下りしついた先の、高速道路の出口には自転車70円と書かれていた。そんな笑い話もある。
「とにかく、そうやってですね。祖父の家につくんですが、最初、みんなでやったことは風呂に入って、尻が3つに割れていないかどうかを確認することでした/笑」。
尻はサドルにこすられ、ヒリヒリしていた。
中学は、1人の少女に憧れ、彼女とおなじ卓球部に。しかし、「好きだ」という思いを口にすることなく、卒業する。
「中学の時は、ちょっとくすぶった時代ですね。だいたい、児玉っていえばこういう奴ってイメージがついていて」。なかなかはっちゃけることができなかったそうだ。5歳からピアノを習っていて、学校で演奏もした。なんとなく、児玉氏がいわんとすることがわかる。「そう、それで高校はみんなとはちがう、離れたところにある学校に進学しました。イメージ一新ですね/笑」。

突然、目覚めた。「オレは医学部にいく」。

高校時代の児玉氏は、バイクに、バンドに、バイトに忙しい。もっともバイクといっても暴走するわけでもなく、バンドといっても、時々、ボーカルで歌っただけ。しかし、入学早々、かっこいい男子2位というランキングがつけられたほどのスタイルとルックス。ボーカルで歌うだけで、校舎から歓声が降ってきた。
バイトは、ファーストフード店で。「3年つづけ、3年生の時に店長が倒れられたので、かわって3ヵ月ですが店長の業務をしていました」。
高校3年といえば、まだ16~17歳である。彼からすれば20代でも、おばさん。そんな子どもが、同年代はもちろん、20代以上のアルバイトやパートを動かす。
「いい勉強になりました。いま、思えばね。ただ、まさか飲食の道に進むなんて思ってもいなかった。人間ってわかんないですね/笑」。
「表向きは、高校を卒業してすぐ、梅の花となっている」と児玉氏。隠しているわけではなく、説明するのが面倒だから。で、今回は、その面倒をお願いした。
「高校自体は進学校だったんですが、ぜんぜん勉強もしていませんでした。高校を卒業してからも何をするわけでもなく、ただ、ぷらぷら。時々、ファーストフード店でバイトしたりして。ええ、お店からも『うちに就職しないか』と勧めていただきました。でも、その気にもなれない」。
もともと内向型なのだという。「プラモデルをつくったり、映画をみたり、1人でいるのが好きなタイプ」。そういう一面もあるのだそう。
それが1年つづき、2年目の春に突然、「医者になる」と思い立つ。福山の親元を離れ、下関の大好きな祖父の下へ向かい、相談する。
「国立の医学部です。とんでもないですよね。それまで勉強なんかしてこなかったわけですから。でも、祖父は、否定せず、逆に背中を押してくれました」。寮のある予備校に進む。それくらい追いこまないと追いつけないと思ったから。
「成績ですか。最初は偏差値も下のほうだったんですが、最終的には、高校時代にもやっていなかったから独学なんですが、生物が80以上で、トータルでいえば70には迫っていました」。
センター試験は9割、取れた。しかし、医学部。それで当然だ。「二次試験であがっちゃって。数学の試験なんか、どうだったのか記憶にもないんです/笑」。
第二志望の、工学部には合格した。しかし、本位ではなかった。それで、2年で大学を辞めた。
・・・続き

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