2017年9月28日木曜日

株式会社FOOTOP 代表取締役 山本優輔氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社FOOTOP 代表取締役 山本優輔氏登場。
本文より~

北海道からの贈り物。

「北海道」という響きから想像するのは、雄大な自然と豊かな恵み。どこまでもつづく道。何ヘクタールもある農園。トウモロコシ、じゃがいもなどの農産物。厳冬の海から次々と陸揚げされる毛ガニなどの海産物。とにかく「北海道」は旨い。
その北海道から送られてくる数々の食材を用いた料理と旨いワインを楽しめるのが、直産酒場「北の国バル」。今回、ご登場いただいた山本優輔氏が経営する株式会社FOOTOPのメインブランドだ。北海道出身かと思って、そう伺ったが、「埼玉出身だ」と笑う。
「知り合いが、北海道で大学の先生をしていて、ある町の町おこしにもかかわっているんです。以前から、そちらの食材を使って『東京で何かできないか』って相談されていたんです」。
もともとは話をふられても、はぐらかしていたそうだが、起業しようとした時に「北海道」がオリジナル業態のキーワードに躍り出たという。
「北海道フェスタとか、どこもかしこも北海道っていえば盛り上がるじゃないですか。にもかかわらず、北海道の食材メインに謳った飲食店が少ない。前職では300店舗の出店を前提にブランドを開発していたもんですから、食材の量の確保とかが難しくて、相談されてもできなかったんですが、独立すれば、そこは自由です。これしかないな、と。その知り合いともう一度、話をして」。
産地直送の食材は、とにかく旨い。北海道となれば、尚更だ。シーズンを感じながら食すと、その美味しさは一段と増すだろう。
では、もう一度、北海道からの贈り物を想像しながら、「飲食の戦士たち」らしく、山本氏の足跡を追いかけてみることにする。

福祉の道を進むため、東北福祉大学へ。

山本氏は、1974年5月22日、埼玉県久喜市に生まれる。子供どもの頃から運動神経がよく、スポーツでは目立った少年だった。小・中・高とバスケットボールをつづけ、高校の時にはベスト8まで勝ち進んだ経験もある。
大学は野球やゴルフでも有名な「東北福祉大学」へ。もっともスポーツではなく、純粋に福祉を勉強するためだったそう。
「子どもの頃、特別学級の子どもと仲がよかったんです。でも、高校の時、偶然、町で出会ったんですが、彼はぜんぜん覚えてくれていなくって。それが、福祉を学んでみようと思ったきっかけです。福祉の大学は、名古屋と東京と仙台しかなくって。東京の大学がだめだったもんですから、名古屋と仙台どっちにするかってことで、仙台を選んで東北福祉大学に進みます。名古屋のほうを選択していたら、どうなっていたんでしょう」。
仙台。アパートは大学から自転車で20分くらいの距離。車を駆れば、同じくらい時間で雪山に到着した。

散々なデビューとプロへの道。

「飲食でバイトを始めるのは、大学時代。同じように大学でスノボーデビューをするんですが、散々なデビュー戦でした」。なんでも、怪我までして担架で運ばれたそうだ。「それが悔しくって」。
もともと運動神経はいいほうだった。だから、許せなかったのかもしれない。「その年のお年玉で、用具一式をそろえて。そこからですね。本格化したのは」。
プロになる。いつしか、そう思うようにまでなった。実際、スチール撮影のモデルになったり、レポートを書いたりして、それなりの報酬も受け取った。
「大学を卒業しても、もうスノーボードです」。
夏は、南半球の「ニュージーランド」に渡った。渡航費など最低限の費用はスノーボードのメーカーからでたそうだ。「1~2年目ですね。最初は言葉もしゃべられなかったですが、少しは意思疎通もできるようになって」。
「当時は英語も普通にできた」と笑う。ただ、いつまでもスノボーの世界に浸っているわけにはいかない。報酬があるといっても生活はカツカツである。
「27歳になった時点で、貯金ができるようになっていなかったなら、あきらめようと思っていました」。
実際は、26歳のシーズンで骨折し、プロの道は断念した。山本氏はかなりあっさりとそう言ったが、苦渋の決断だったにちがいない。
雪山を滑走する、翼を折った。
・・・続き

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