2014年12月24日水曜日

レストランカンテサンス/restaurant Quintessence オーナーシェフ 岸田周三氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”レストランカンテサンス/restaurant Quintessence オーナーシェフ 岸田周三氏登場。
本文より~

料理と母の笑顔と。

小学生の頃、「じゃがいものグラタン」を作った。一口食べると、料理好きの母親が相好を崩した。
ミシュラン3ツ星のフレンチレストラン「restaurant Quintessence」のオーナーシェフ岸田が料理を始めたのは、母から凄いと言われたいという想いがキッカケだった。
「母は料理学校に通っていたことがあったくらい、料理が好きで上手でした。そして、私たち兄弟にも料理を教えようとしていました。母も仕事を持っていましたから、子どもたちにも家事を手伝ってもらおうと思っていたみたいです。ある日、子どもが参加できる料理教室に私たち3人が揃って連れていかれたこともありました。母は母で子どもと一緒に好きな料理をしたい気持ちがあったんです」。
「でも男3人のうち兄2人は、全く料理に興味を示しませんでした。そのなかで、末っ子の私1人が母の思惑通りに料理好きになって、最終的に我が家のコックになりました(笑)」。
母の横で小さな少年が料理と格闘する。料理好きな母はそれだけで嬉しかったことだろう。
しかも、息子にはセンスがあった。
「料理を手伝うと母が『料理、凄い上手いじゃない。手伝ってくれてありがとね。』って良く言ってくれました。それが嬉しくて。そもそも私が料理に興味を持ったのは、母が褒めてくれたことが理由なんです」。
母から教わった料理。それは母を喜ばす手段でもあった。冒頭の「じゃがいものグラタン」も、当時の岸田が作った会心の一作である。

中学生の選択。

中学生の頃には、もう料理人になろうと決めていたそうだ。料理科がある高校に進学したのも、料理勉強の為だった。
働きたいレストランがあった。それは、最初の修業先となる志摩観光ホテルのレストラン「ラ・メール」だった。地方で成功している唯一のフランス料理店であった。
母親が「この方は凄い!」と本屋で「ラ・メール」の高橋忠之料理長の記事を探し出したのだった。岸田も直ぐに共感した。
そして、料理人の応募をする前に、味を確かめようと家族全員で押し掛けた。
「文句なしで、大変美味しかったですね。働きたい気持ちが一層強くなりました」。
岸田は、高橋氏が作る料理を食べ、心の底から魅せられた。まだ中学生の出来事である。中学生に過ぎない少年が、料理のクオリティを推し量る。才能なくして出来ないことだろう。
「ただ実際は、コネも何にもないので、夏休みに住み込みのアルバイトをしたりして顔を出していました。それで何とか就職することができたんです」。
卒業を待って、単身で店に乗り込んだ。
ところで、何故フランス料理を選んだのかも伺った。
「子どもの頃は、当然、日本人だから日本料理だと思っていたんです。でも、私の誕生日にフランス料理店に連れて行ってもらったことがありました。そこで料理はもちろんのこと、初めて外国の文化に触れたということもあり相当カルチャーショックを受けたんです。それがフランス料理を志す決め手となりました」。


・・・続き

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