2014年7月25日金曜日

株式会社京樽 代表取締役社長 森下裕一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社京樽 代表取締役社長 森下裕一氏登場。
本文より~

高校時代までの森下。

森下が生まれた長野県栄村は日本有数の豪雪地帯である。冬には4メートルほど雪が積もる、と当然のように森下も言う。調べてみると村を横切るように千曲川が流れている。
千曲川は、信濃川が長野県に入った時点でそう言われるようになるそうで、河川法上では、千曲川と信濃川を合わせて、信濃川と呼ばれ、日本で最も長い川となっている。
森下の父は公務員だったが日曜日になると畑に出て野沢菜を育てておられたそうだ。2人姉弟で、姉とは5歳離れていた。
小学校は1クラス20人。学校の帰りにスキー板を付けて、滑って帰ったこともあるそうだ。「良くおばあちゃんと石臼を挽いて本格的な蕎麦を作って食べていました。そして近所はみんな繋がっていました」。
古き良き日本の風景。中学校も、1クラスしかない小さな学校だった。陸上、野球、バレー、色々なスポーツをした。夏は自宅から通えたが、11月末~3月の冬の時期は降雪が凄く、先生の家に下宿させてもらっていたという。
「高校は長野高校に進学したかったのですが、結局、飯山北高校に進学しました。電車の本数が無くて、早く帰らないと電車が無くなっちゃう。本当は、体育会の部活に入りたかったのですが、練習があってすぐに帰れないので、生物部や写真部に入っていました」。
消去法的に選択したクラブだったが、案外面白かった。「特に生物部は全国でも有名でした。岐阜蝶の観察を行ったりしていたんです」。
「保護観察官」の資格を取得したのもこの時。時には森にテントを張って、乱獲者を監視したりしていたそうだ。「文化部だったわけですが、体育会の要素も少なからずあった気がします」。
高校時代からバイトも始めている。「旅館で働いていました。水力発電所の夜間バイトも経験しました。トンネル内の虫掃除が仕事だったのですが、1回で1万円もいただけたんです」。1晩、1万円。悪くない。バイト代はどうしたんですか? と尋ねると「銃が好きで、モデルガンを買ったりしていた」という。

長野県警、勤務。

「早稲田に行きたかったんです。でも、不合格になってしまって。しかたなく、浪人生活を送ります。この時も色々なバイトを経験しました。この浪人中のことですが、銃が好きでしょ。自衛隊なら銃が持てると気付いて、自衛隊に入隊しようと試みたこともあったんです。でも、目が悪くて、不合格。なら、警察だと。こちらは合格して、一時、長野県警で勤務していたことがあるんです(笑)」。
その当時の様子も伺った。
「朝起きて、腹筋、腕立てを300回。毎日、20キロのランニング。銃を撃つこともできたのですが、こちらの訓練も相当、きつかった。一升瓶に砂を入れてね。それを1時間、手を挙げて持っていなければいけないんです。拳銃の腕前は、良かったですよ(笑)」。
「辞めるつもりはなかったのですが、半年で膝を壊してしまいました。それで、退職。警官時代は、たった半年。練習は厳しかったですが、銃も撃てたし…。貴重な経験をさせてもらったと思います」。
警察を辞め、しきり直し。2浪の末、中央大学に進学した。・・・・
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