2014年7月17日木曜日

株式会社NAOC 代表取締役 髙木信介氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社NAOC 代表取締役 髙木信介氏登場。
本文より~

サッカー小僧。

髙木は、1981年6月10日、熊本県熊本市に生まれる。2人兄弟の長男で、弟とは1つ違い。父親の影響もあって、少年は2人ともサッカーが大好きだった。
「もともと父は熊本で仕事をしていたんですが、私が中学3年生の時、転職をして静岡県に引っ越ししました」。
静岡と言えば、サッカーが盛ん。髙木は高校に進学してからもサッカーを続けた。
髙木の父の夢もサッカー選手だったそうである。小さな頃は、サッカーの試合を観に出かけるのが休日のお決まりコースだったそうだ。
1年中、サッカー。父に、長男に、次男。話題もサッカーのことばかりだったのではないか。そんな髙木家である。高校生になっても髙木がサッカーを続けるのは、既定路線だったのだろう。
ちなみに、1歳下の弟は、早くから才能を認められ、2014年、現在、「清水エスパルス」に所属。MFとして、トップチームで活躍している。
一方、髙木は、帝京大学に進学する。
「帝京大学から合格通知が来たのは、高校3年の1月でした。ほかの大学の結果も残っていたんですが、もういいやって(笑)。それより早く東京で独り暮らしを始めたかったものですから」。
東京で独り住まい。サッカーを続けるつもりならまた違ったのだろうが、髙木のサッカー人生は高校で終了した。
だから、なのだろう。とにかく、「東京」と「独り住まい」というフレーズに心を躍らせた。「卒業を待たず東京に出て、住まいも決めた」とのことだ。
結局、弟はプロリーグに進み、兄の髙木は、大学へ。
2人のサッカー少年の道は、ここで分かれることになる。

遊べや、遊べ。

「大学に行ったらな、死ぬほど遊べ」。
大学生となる息子に父が贈ったアドバイスである。父の言葉通り、入学早々、車の免許を取得。バイトとともに遊び、三昧の日々が始まった。
バイトを始めたのは、むろん、金のため。父の言いつけを守ろうとすれば、それだけで金がかかる。
「宅急便のヤマトさんでバイトをして、そのほかにも何やかやと掛け持ちして、月に41万円くらい儲けていました。41万円もあれば、たいていのことはできます。旨いもんも腹いっぱい食べて」。
福岡や青森まで1人旅を楽しんだのも、学生時代の思い出の一つ。バックパッカーに憧れ、タイにも渡った。これは、4年生になってからの話で、まだ卒業には間があったが、就職戦線は、もうスタートしていた時だった。
それでも、かまわず出かけた。所持金、15万円。レートを考えれば、少ない額ではない。予定は2ヵ月。余裕で生活できるだけの額だった。
とはいえ、遊びに行けば、1日でなくなってしまうくらいの額でもある。この違いなど、考えもしなかった。しかし、海を渡り出会った現実は、その差をリアルに映しだしたものだった。・・・続き
株式会社NAOC 代表取締役 髙木信介氏
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