2021年6月29日火曜日

株式会社デフ イート 代表取締役 高村峻允氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社デフ イート 代表取締役 高村峻允氏登場。 

本文より~

ダンサー、もしくは、公務員。

ダンサーで食べていけるとは思っていなかった、と高村氏。15歳からダンスをはじめ、進学校に進むも大学ははやくから断念。街にくりだしては、ストリートで踊った。
「横浜のビルの下、アパレルのショーウィンドウにすがたを映しながら、練習していました。大会には出場していません。イベント中心です。大手事務所から仕事をいただいたりもしました」。
当時は、まだダンスで食べている人はいなかったそう。だから、冒頭の言葉になる。けっきょくダンスは、23歳で卒業している。
「20歳でダンスチームを解散して、それからは個人で活動をつづけます。その頃、アメリカに行こうと思い立つんです。そのためには英語がしゃべれないといけないでしょ」。
どうするか、と思っていた時、先輩が声をかけてくれた。「だったら米軍基地の両替所でバイトすればいい」と。これが、第二のストーリーの始まり。
なんでも、面接でしゃべったのは「マイ ネイム イズ」だけだったらしい。それでも、合格し、21歳で社員にもなっている。立場は、副公務員。
基地は、東京ドーム10個がすっぽり入るくらいの広さだったそう。副公務員というのは、両替書を運営していたのが防衛庁だったから。いうなら、ダンスを踊る、公務員だ。

開業。ともだちに誘われ、社長になる。

高村氏は1984年、横浜に生まれている。いわゆるジャパニーズスラムの、団地っ子だった、と笑う。ダンスは、姉の同級生から影響を受けてはじめたそう。
スポーツは野球を少し。「大学に進む気はなかったですが、理学療法士がいいかな、と専門学校に進むことも考えました」。
けっきょく、ストーリーは既述の両替所につづく。
結婚は24歳の時。独立は28歳の時だそう。
「私たちは、副業がOKだったんです。だから、基地での仕事と並行して飲食の仕事もしていました。この店は、28歳の時に、同級生2人と創業した、もつ肉の立飲みです」。
同級生が「のれん分けで独立するから、いっしょにしないか」と声をかけてくれたそう。おもしろい話をする。「その時ね、社長になりたかったし、『社長にしてくれるならいいよ』って言って。それで、私が今も社長です/笑」。
高村氏は飲食未経験だが、なぜか調理師免許を取得していたという。本人曰く、「米軍基地時代に暇だったから、独学で取得した」んだそう。結果、それが役立ったから、人生わからない。
「基地の仕事を辞めるのは30歳ですから、2年ちかく、二足の草鞋です。オープンから半年は、給料をとってなかったですね」。
オープンしたのは、ホームグラウンドの関内。1・2階合わせ、15坪の立飲み。「安定したのは、半年くらい経った頃ですね。2年目になって2号店、最初から、3年で3店舗と計画していました。私も基地を辞めて、こちら専業に」。
リスクはさして感じていなかったようだ。

コロナ禍の模索。

「もし、最初のメンバーだけなら、3店舗でよかったかもしれません。ただ、そのあとも同級生が3人参加することになって。だったら、3店舗では少ないでしょ」。
創業は、2012年。インタビュー時で9年が経っている。「最初は、都内へ、なんて思ったこともありましたが、いまのところ全店、横浜の中区です」。
5業態、7店舗すべてですか?
「そうです。だいたい遠くに行くのが苦手な性格なんです/笑。経営は楽じゃないですね。5月で10周年になりますが、いちばんたいへんだったのは、昨年(2020年)の4月。都や国のサポートもぜんぜん整っていなかったから」。
「とても不安だった。今は、雇用助成金などもありますから、なんとか」とつぶやく。
全店ではないが、長らく閉めている店もあるそう。とはいえ、指をくわえているわけではない。振興会から依頼を受けて、療養ホテルに療養患者向けの弁当をつくり、配達している。多い時は、夜だけで100食ちかくになったりするのだそう。
新ブランドのラーメン店も始めるそう。「都内の有名なラーメン店と組んで仕掛ける予定です」とのこと。着々と布石は打っている。
「じつは、この会社の前にも、いろんな事業をしているんです。パーソナルジムのトレーナーとかね」と、高村氏。そういう経験があって、逆に飲食は未経験からスタート。その経歴を紐解けば、コロナ禍のなかでも、一般の飲食店とちがうアプローチができるかもしれない。
「飲食店=店舗展開というのも、ちょっとヘンだなと。だから、通信販売や卸売り、スーパーさんにも販路を広げていければと思っています」。
いまはまだ模索中のことも多い。

・・・続き

株式会社デフ イート 代表取締役 高村峻允氏

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2021年6月28日月曜日

6月26日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」第8回“ラーメンジャーニー”立ち上げられたイートアンド様を取り上げました。

6月26日(金)発行の夕刊フジ「飲食業 新時代への挑戦」は冷凍麺で食感を再現し名店の味を家庭でと“ラーメンジャーニー”(お取り寄せサイト)立ち上げられたイートアンド様を取り上げました。

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

顧問業務。

ありがたいことに今期になって顧問業務を6社ほど依頼受けてます。

うれしい限りです。

最近、企業様と企業様つなげることが主になってます。

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

6月26日(土)、宮迫博之の超大型料理番組『有頂天レストラン』第二弾が配信されました。

6月26日(土)、宮迫博之の超大型料理番組『有頂天レストラン』第二弾がYouTubeにて配信されました。
おもしろいので是非ご覧ください。
チャレンジャーの五味祥夫シェフの会社を背負ってモンスター澤田州平シェフに挑戦する姿勢と実力に感銘しました。

この飲食業界を応援するYouTube番組は本当にすごいです。

2021年6月25日金曜日

5月23日(土)、宮迫博之の超大型料理番組『有頂天レストラン』がYouTubeにて配信されました。

5月23日(土)、宮迫博之の超大型料理番組『有頂天レストラン』がYouTubeにて配信されました。

コロナ禍で苦境に立たされている飲食業界を応援したいというこの企画は本当にすごいです。
こんなこと普通はYouTubeではやらない・やれないですから、きっと伝わると思います。
おもしろいので是非ご覧ください。
解説の森田さんはさすがの一言!
またチャレンジャーの永瀬シェフは、モンスターシェフに挑んだ料理含め素晴らしかった!
私どもも、飲食業界を盛り上げていくため貢献していきます。

2021年6月24日木曜日

株式会社ビースマイルプロジェクト 代表取締役社長 桑原 豊氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ビースマイルプロジェクト 代表取締役社長 桑原 豊氏登場。 

本文より~

親会社はカミチク。その会社なら知っている。

最後の3年間は香港やカンボジアだったと社長も務めた事があるワタミ時代を振り返る。
「ワタミの社長を退任し、ワタミインターナショナル社長に就任します。むろん、渡邉とは情報を共有していました。ワタミグループを退社するのは香港から帰国し数ヵ月した時です。元々起業するつもりでしたので、それがこのタイミングになったと言う事です」。
「起業することをすかいらーく創業者の横川 竟さんに報告すると『やめておけ』と言われます/笑」。
「少なくとも『今すぐじゃないんだろうから』と、人材紹介のエージェントに会うよう勧められました。私も半年位はインターバルをみていましたし、尊敬する横川さんの勧めなので一度会ってみるかと割と気軽な思いでエージェントにお会いしました。その時に紹介されたのが、今私が社長を務めるビースマイルプロジェクト(以下、BSP)だったんです」。
「BSPと言われても全然ピンと来ませんでした。聞いた事も無い社名でした。ただ、親会社の話になった時には、逆にピンと来て『それってカミチクでしょ』って言ったら『そうです。よくご存じですね』と/笑」。
実は7年前に、桑原氏は「カミチク」と出会っている。
「皆さんもご存じだと思いますが、ワタミは1次産業も行っています。酪農・畜産もその一つで、私が代表の時も北海道で広い牧場を経営していました」。
いち早く短角牛の飼育も行い、牛は全部で900頭いたと言うからスケールもでかい。
「かなり投資もしていたんですよ。有機の牧草で飼料から吟味していましたので、チーズやアイス等の乳製品にも自信があった。当時肥育数の少なかった短角牛にしてもパイオニアです。A5ランクのサシ入りより、赤身系の体にいい、牛もダメージを受けていない牛肉がいいだろうと短角にいち早く目をつけたのがワタミです。短角だけで200頭はいたんじゃないかな」。
山の向こうまで続く広大な牧場。牧草は全て有機。牛達は、その牧草を食みながら育つ。「ただ、お金をかけると言っても、メイン事業ではない分限界がある。ワタミは1次産業に進出する事で、循環型のスタイルを作りたかった訳ですが、メインはやはり3次産業ですから」。
視察の度に苦笑する。
「牛舎が汚い」と桑原氏は笑う。
「屋根には穴が開いている。匂いもきつい。とはいえ、飼料も有機で育てて貰っている事からも分かる通り、『想い』がない訳じゃない。ただ思いだけでは収益は上がらない/笑。生産性も含めて、事業としてやって行くにはどうすればいいか、それが当時ワタミの経営者であった私の悩みでした」。
確かに資本力があっても事業化は難しい。それが農業である。
「その時、ある農機具メーカーさんに『お手本になる会社はないか?』と尋ねます。勿論、当社と同程度の規模で、尚且つ収益をきちんと上げている会社です。そうしたら『日本に1社だけある』って言うんですね。そう、その日本に1社の会社が『カミチク』だったのです」。

7年ぶり。縁は繋がっていた。

縁があるとはこう言う事なのだろう。
「カミチクは鹿児島の会社です。『早速、1泊2日で行きましょう』と言う事になります。初日に鹿児島の繁華街『天文館』で鉄板焼を頂くんですが、それがカミチクの牛肉との最初の出会いでした」。
いい肉だった。むろん、文句なしで旨い。
「翌日、牧場に行く訳ですが、その場に降り立って『え?』って首をかしげます。牧場に行く時はいつも覚悟して行くんです。匂いがきついでしょ。でも、カミチクの牧場は全く匂わない。微かに漂っている位で」。
当時、訪問した牛舎では、約3000~4000頭の牛を飼育していたそうだ。
「それ以上に驚いたのは多数の若い人達が働いている事。すれ違う度に『お元気様です』って、独特の挨拶をしてくれる。礼儀も正しい。同じ牧場なのに異なった世界を観ている感じでした」。
牛舎も綺麗に掃除されていて、これにも驚いたと桑原氏。
「正直、驚きの連続でした。視察が終わり、最後に社長(カミチクグループ代表 上村 昌志)にインタビューさせて頂くんですが、その話を聞いて絶句しました」。
飼料も契約農家にお願いして、自社で作っているとの事だった。「しかもね、耕作放棄地を使っているとおっしゃるんです。耕作放棄地を使って、牛の為の米やコーンを育ててもらう。しかも、年間契約で全量買い取り。その結果、耕作放棄地も蘇り、安定的に収益が上がるから後継者も育つ。牛の飼育は勿論ですが、土地も、農業も、人も蘇生する」。
「絶句」と言うより、「気絶」と桑原氏は表現する。生産性からしてまるで違う。お手本というより、理想。その時、もう一つ質問を重ねている。
「巧くいく秘訣は?とストレートに尋ねました。そうしたら『農業が難しいと思うのであれば、やめた方がいいですよ』って言われるんです」。
農業は難しい。片手間ではできない。ひょっとしたら上村氏はそう言いたかったのかもしれない。
「その後私も海外に赴任しますから、その後のお付き合いはありませんでした。ただ、酪農は勿論ですが、当時から海外に目を向ける等、先進的な会社と言うイメージは残っていました」。
「カミチク」と言う社名もインプットされた。
その会社に再度、出会う事になる。
今度は銀座で。
それが2018年の事。

上村氏と渡邉氏。

「『副社長』と言うお話でしたが、私は起業を計画していたので、顧問として携わりたいとお願いします。2018年7月の事です。色々とお手伝した中で、一つ挙げるなら、2019年12月渡邉さんと上村さん・・・つまり、ワタミとカミチクとで合弁会社を作るんですが、そのきっかけを作ったのが私です」。
2人は同い年だし、どこか似ていると両者を良く知る桑原氏は言う。経営理念やビジョンも近い。それで一度、セッティングしようと思ったそうだ。しかし、会って5分で合弁会社設立の話がまとまるとは、きっかけを作った本人も驚いている。
「渡邉さんが先に興味を持って、事前に上村さんには合弁会社の話を伝えてはいたんですが、さすが創業者同士ですね。会って5分。相手をみるなり『やりましょう』となり5分で構想が固まります。桁違いのスピードです」。
それが「かみむら牧場」ですか?
「そうです。合弁会社を作り、海外戦略も含めやっていこうとなります。いわば、生産のプロと飲食のプロががっちり手を握ったと言う話です」。
上村氏は事業化が困難な農業でいくつもの答えをだしている。一方の渡邉氏については今更言うまでもないだろう。
カミチクのホームページには「日本の農業に、答えを。」と言うキャッチフレーズが掲げられている。ただ、農業だけですべての解が揃う訳ではない。ワタミとの合弁会社は、新たな解の一つに加わるに違いない。
「すでに相乗効果が生まれています。元々渡邉さんも農業を憂慮されていましたから、積極的に動かれています。かみむら牧場は東南アジアを皮切りに北米にも進出予定です。それをきっかけに最終的には日本の畜産を向こうに持って行く。これが、お2人の構想です」。
壮大なスケールだ。
BSPでも、この「かみむら牧場」を運営している。肉の質は言うまでもなく文句なし。グルメサイトの評価も高い、高い。
ちなみに、カミチクでは2年半ほどあれば飲食店が売りたいスペック通りの牛が作れると桑原氏は言う。「ブランドにマッチしたオリジナルの牛肉ですね。餌と血統を組み合わせて作ります」。つまり、肉質は勿論、お肉の味も好みに合わせて作ることができるのだ。
「かみむら牧場」では、こうした上質の牛肉をリーズナブルな価格で提供する。
「回転ずしのしくみを採用する事で実現した生産性の高い食べ放題が、『かみむら牧場』の基本コンセプトであり、スキームです」。
肉は黒毛和牛をメインに、輸入牛もカミチクで加工し、使用する事になっている。
「私どもが今運営しているのは大阪の守口と深井の2店舗です。来春には福岡にも出店予定です。かみむら牧場の出店はフランチャイズをメインにするつもりです。カミチクにとっては肉を卸す先が拡大します。それ以外にも兵庫県の丹波にカミチクの新たな工場ができたのですが、元々はワタミの工場だったところを、従業員も一緒に譲り受けたものです」。
経営スタンスが近いからスタッフも困惑する事なく異動できたそう。カミチク、ワタミ、いずれにもメリットがあったと桑原氏。
桑原氏が落とした一滴の水は波紋をつくり、農業と外食の世界に広がっている。
ところで、社長に就任されたのは2020年の事ですよね?
「そうです。コロナ禍の最中です」。
一番難しい時だったのでは?
「大変な時はどこに行ってもある。大事な事は、どう乗り越えるかです」。

・・・続き

株式会社ビースマイルプロジェクト 代表取締役社長 桑原 豊氏

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2021年6月20日日曜日

6月17日(木)、渋谷クロスFM【ALICE矢沢透の飲食応援団! 】に、弊社の武田あかねが出演しました。

6月17日(木)、渋谷クロスFM「オーナーズ11 〜飲食の戦士たち」プレゼンツ【ALICE矢沢透の飲食応援団! 】に、弊社の武田あかねが出演し、「オーナーズ11」誕生秘話を話しました。
また、今回の飲食経営者のゲスト出演はclassic(クラシック)の萱場社長でした。

MCの矢沢透さんも創業35年になりますが、おしゃれな串焼き屋”阿雅左(あがさ)”を経営されております。