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2026年8月7日金曜日

株式会社Numbers 代表取締役 達川京平氏登場。

   “飲食の戦士たち”株式会社Numbers 代表取締役 達川京平氏を取り上げました。

本文より~

京平さんは、大学進学のため、バイトに精をだす。

父にも母にも敬語を使っていた。弟たちからは「京平さん」と言われていた。曽祖父が起こした達川グループは、地元の京都府福知山では有名な企業グループだった。
「ただし、うちは富豪でもなんでもなかった」と断った後、「それでも、父には『お父さん』じゃなく、『社長』。母には『母』でも『達川』でもなく、旧姓で話しかけていました」という。
ちょっと変わった話が、始まった。
「兄弟は私を筆頭に男4人。弟たちも私には『京平さん』でした」。
「父は私が2歳の時に、祖母が経営していたお好み焼き店を継承して、飲食業を本格的にスタートします」。
お父様が飲食を開業したのは、やはり、福知山。
その福知山が、今回、ご登場いただいた、株式会社Numbersの代表取締役、達川 京平さんの生まれ故郷。
生まれは1999年。2026年のこのインタビュー時点で、まだ27歳。この年齢も少し頭に入れて読み進めて欲しい。
「父の飲食業は、福知山から北近畿に広がります。私が高校生の時には20店舗ありました」。
息子たちと、一緒に会社も育っていった。
父の教えは「兄弟全員、船主になれ」だった。船主はもちろん1人。「兄弟で、おなじ会社を経営するな」という教えである。この教えを小学生の兄弟は、頷きながら聞いていた。
「私は、小学校から水泳やバスケットボールをやって、勉強もそれなりにやって、福知山のなかでは進学校に進みます」。
<将来、船主ですもんね?>
「そうです、そうです。ただ、高校生の時には、起業とかそういうことじゃなくって、田舎者だから東京に憧れて。大学は『青山か、明治か』なんて考えていました。実は、東京の大学に進むために、中学生の時からバイトでお金を貯めていたんです」。
4人兄弟だから、高校も公立。父母の言うことは、絶対。反対されても行けるよう資金を準備した。その額、300万円。
「父のカバン持ちもしていて、飲食の経営者にもお会いしました。こちらは将来の起業のためですが、父の会社の書庫にあった『日経レストラン』や『月刊食堂』など、外食の経営本を片っ端から読んでいました」。
<大学進学と起業。まずは大学進学ですね?>
「ふつうなら、そうなんですよね」と、達川さんは笑う。

社長は、高校3年生。

「小さな頃から父の仕事をみていましたし、店でアルバイトもしていたんで、飲食だったらだいたいわかるんです。高校生くらいになると独学の効果もあって、解像度が上がってきます。すると、父の店の問題点にも気づいて『オレなら』という気持ちになっていくんです」。
「根拠はまったくないですが、自信だけあって。実は、高校3年生に進級した春、父を説得して、業務委託で飲食事業をスタートするんです」。
<高校3年の春? 学校は?>
「高校は続けました。もともと禁止されていたアルバイトも、私だけ特別にOKだったんです。その延長で(笑)」。
「居酒屋を経営します」と聞かされた先生は、さぞ目を丸くされたことだろう。
「うちの社長は、高校生」。
やはり、おかしい。
「お酒を飲めないのに、お酒を勧める高校生だった」と言って、笑う。
創業メンバーはご近所さんの幼馴染。今もナンバー2として、達川さんをサポートされているが、当時は2人とも高校生。
「さすがに、高校生2人ですから、父のところからサポートで、スタッフさんに来ていただいていました」。
家賃は15万円。父には月60万円を支払った。
しかし、どうして、進路が大きくかわったんだろう?
出向で来られていた方は、達川さんを「社長」と呼んだのだろうか?
それにしても、大学に通いながら社長になった経営者にはインタビューで度々、出会ったが、高校生で社長になったのは、今回の達川さんが初めてかもしれない。
果たして、高校生社長はどんな結果を残すのか。経営は空想のなかで、経験したのみ。店の業績は、下降気味で、月商100万円前後で推移。駅から徒歩30分のロケーション。
常連さんは、少年の店主を受け入れてくれたのだろうか?
話を急ごう。

父が設定した、高いハードル。

「実は、その店は父の会社の創業店で、さっき言った祖母が経営していたお好み焼屋だったお店です。突然、店長が姿を消し、月商も下がって100万円程度だったので、『倉庫にするか』『社員に譲るか』という話があって、それが私の耳にも入るんです」。
<思い出のあるお店だった?>
「創業店といっても、私が2歳のときですから、思い出うんぬんじゃなく、『やってみたい。オレなら業績をあげられる』って。眼の前にニンジンをぶら下げられた馬の気分で、もう、大学どころじゃなくなったんです(笑)」。
<高校生によくお父様もOKをだされましたね?>
「簡単じゃなかったです。父からは『社員に委託するよりハードルを上げる』と言われました。社内で、独立希望者も少なくなかったから、当然ですね。それで、月商100万円程度の店で、家賃15万円、使用料で月60万円です」。
<固定費75万円?>
「当然、赤字です(笑)」。
社員の給料もある。大学に進学するために貯めていた300万円を運転資金に回した。それが、みるみる減っていく。
「でも、ぜんぜんビビってなかったです。父がバックにいるとか、そういうんじゃないですよ。実際、バックにいたわけではないですし。オレなら、絶対、いけるって」。
高校生が、赤ら顔の大人たちに料理をだし、酒を勧める。福知山、ローカルなエリアだ。なかには、おなじ高校出身のお客様もいて、盛り上がったかもしれない。交わされたのは、部活の話か、未来の話か、酒の話か。
<お店に来たら、お客様も若返ったんじゃないですか?>
「15坪の小さな店です。お客さんとの距離はめちゃくちゃちかいです。影響は、あったかもしれませんね(笑)」。
おっさんと高校生がカウンター越しにキャッチボールする。
「当時の福知山ですから口コミです。いけるかどうかは、カウンターの向こうにいるおじさんたち次第です。まさか、高校のともだちに来てもらうわけにもいきません(笑)」。
<業績は上がりましたか?>
「なかなか上がらなかったですね。半年くらいで貯金が底をつき、首が回らなくなりました。でも、タイミングを測ったかのように、その頃から、ぐっと業績がアップしていくんです」。
高校生、実践にもとづいた戦略、戦術はない。
「週イチだったお休みをやめて、毎日17時~24時までフルタイムで働きました。父のところから出向で来ていただいていたんで補助輪付きですが、なんとか、かんとか、軌道に乗り始めます」。
「月商は350万円になった」という。
自身は給料もとらずに資金をプールして、出店を重ねた。
「未成年ですから銀行が貸してくれない。だから、3店舗目までは自己資金でオープンしていきます」。
<4店舗になったときは、さすがに高校を卒業されていますよね?>
「ええ、そこは、当然」。
<改めて、大学に進むという考えはなかったですか?>
「ないですね。ますます飲食に惹かれて、有名な飲食の経営者のブログを読み漁っていました」。
友達も、お酒を飲める年齢になっている。飲食店の若きオーナーを、友達は、どういう目で見ていたんだろう?

・・・続き

株式会社Numbers 代表取締役 達川京平氏


キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)