2026年3月26日木曜日

株式会社WaltStein 代表取締役 森岡 嵩氏登場。

 “飲食の戦士たち”株式会社WaltStein 代表取締役 森岡 嵩氏を取り上げました。

本文より~

中学卒業まで。転校生と、たった2人のバレー部員と。

集団生活は苦手。子どもの頃にはイジメにもあったそう。今の森岡さんをみていると、どちらも不釣り合い。
「イジメといっても小学校1~2年のときだけ。親が学校に来て、それからすぐになくなったので、長くつづいたわけではありません」。
おなじ学校に3つ離れた兄がいたから心強かった。
「父親が転勤族だったので、小学校の1~2年は静岡、3~4年は福岡、5~6年の時に熊本、そして、中学1年から東京の町田と転々としました」。
「大人しかった」と幼少期を振り返る森岡さんだが、空手を習い、ちょくちょく優勝もしたそうだ。
一方、転校に話をふったが、「転校はそう苦にならなかった」と笑う。
「母は過保護、父は見守るタイプ」。
ご両親の話を聞くと、そんな回答だった。なんでも、母方の祖父はスズキベンチレーターを開発した人だという。相当な資産家だったとのこと。
ともかく、小学校は転校を繰り返した森岡さんだが、中学から町田に住み、そちらがホームになる。
「案外、素直だったんでしょうね」と森岡さんは目を細める。
話は、中学生の森岡少年の話に移った。
「2年生の担任に言われるままバレー部に入ります。部といっても、その先生がつくった部で、部員は、私と、もう一人」。
 <つまり、2人?>
「そう(笑)。部員2名ですが、1人じゃなくてよかったです。2人だったら、『トス!』とか、『スパイク』とか!って、練習もできますからね」。
空手で優勝していることからもわかるように運動神経はいい。ただし、バレー部では大会にでることもなく、卒業する。

桜美林へ。バイトをしすぎて、就活に乗り遅れる。

高校は、地元の町田を離れ、世田谷区の学校まで電車で通学した。「転校を何度も経験したからでしょうか。ポジティブに新たな出会いをもとめて、地元の仲間がいない高校を選択しました」。
ともだちは、だれもいない。だから、新たにつくればいい。といっても、集団生活は、やはり苦手。
「それで、けっきょく学校も行きましたが、ちかくのキックボクシングのジムに通います」。
空手からキックボクシングへ。格闘技は今も好き。
高校2年になって、もう一つの「好き」ができた。
「桜美林大学に進むんですが、高校2年のときに好きな子ができて、彼女が『CAになるために桜美林に進む」といったからなんです」。
彼女は、学年でも5位以内に入る才女だった。森岡さんはオール3。行くといってもハードルが高かった。
「最初は、ぜんぜんダメだったんですが、彼女に英語を教えてもらって、受験の作文では、頭のいい兄のちからを借りて。無事、合格。彼女といっしょに桜美林に進み、じつはいっしょにカナダへも留学しています」。
大学生活は、バイトもいい思い出の一つ。
「『びっくり寿司』ってお寿司屋さんでバイトしまくりました。留学も、そのバイトでためたお金で。もっとも、カナダでのカジノで使っちゃうんですが(笑)」。
帰国後もバイトをした。「お金を稼ぐことが面白かった」と森岡さん。ただ、面白すぎて就活に、出遅れる。

現実逃避と、キックボクシング。

「ちょっとヤバいなってなって。でも、父親が転勤族だったこともあって、もともとサラリーマンはやだなとも思っていたんです。だからといって、サラリーマン以外になる、アイデアもありませんでした」。
<就職はしなかった?>
森岡さんは頷く。
「大学を1年休学して、もう一度、キックボクシングを始めるんです。就職できないのはカッコ悪いけど、キックボクシングでプロをめざすといったらカッコいいでしょ。まぁ、現実逃避なんですが(笑)」。
現実逃避と言っても、真剣だった。だから、逆にプロとの力の差を知った。
「もう一歩でプロってところまではいったんですが、さすがにプロで食べていくには、ちからが足りなかったです。びっくり寿司でバイトをしながらですが、むちゃくちゃ真剣にやっても、プロは遠かったです」。
<それで、復学ですか?>
「大学に戻るんですが、色々あって、今度は役者になります。オーディションで情熱を評価していただいて、いい役もいただいて。今度は6ヵ月休学です(笑)」。
「いつかTVに出て」と、妄想もしたが、こちらもけっきょく役者の道からも外れ、復学。そんなとき、偶然、「店舗流通ネット」という会社を知る。

店舗流通ネットと、新入社員がみた風景。

「びっくり寿司のパソコンがこわれちゃって、直しにきた人が店舗流通ネットの人で、『オレもう23歳なんですよ。サラリーマンにはなりたくないんですが、大学も5年生だし、どっかいい就職先ないですか?』なんて、半分、あいそ代わりにそういったら、『だったら、店舗流通ネットはどうだ』っていうんですね」。
<当時の店舗流通ネットと言ったら給料もハンパない時代の話ですよね?>
「そうです。びっくり寿司とも関係がある会社だったんで、店長に口をきいてもらって、無事、新卒で採用していただきます」。
<どうでした?>
「むちゃくちゃ面白かったです」。
森岡さんは声を弾ませる。
「サラリーマンはいやだったし、なかでも営業なんて、ペコペコするだけで、絶対、なりたくなかったんですが。店舗流通ネットの営業は、そんな私のイメージをいい意味で裏切ってくれたんです」。
1000万円以上の社員も、周りにゴロゴロいた。サラリーマンというイメージには、おさまらなかった。
「なかでも部長は、いい時計もしていて、むちゃくちゃカッコよかったです」。
部長を追いかけた。初契約こそ、遅れを取ったが、すぐに契約件数でトップに躍り出る。部長の指導通り、電車のなかでもテレアポをつづけた。
結果を残しつづけ、同期を部下にした。部長からの評価も高い、高い。
「辞めるなんて選択肢はなかったんですが、赤字を唯一垂れ流している横浜のオフィスにいくことになって、そこでむちゃくちゃがんばって、黒字化するんですが、サラリーマンのカベを知って、退職を決意するんです」。
<サラリーマンのカベ?>
「はい。ある契約で、支社長がOKといったので、話を進めていたら、支社長がおうかがいを立てたんでしょうね。部長がNOだと。それって、やっぱり、カベでしょ。OKをださなかったのは、私が好きで、リスペクトしていた部長だったんで、そのぶん、落胆したのかもしれません」。
森岡さんが、退職すると、2人の部下も辞めるといった。支社長を入れて4人だったから、支社長だけとなり、せっかく黒字になった支社がなくなった。
じつはお金もなかった。
「年収はいいんですが、部下にぜんぶ奢っちゃうから(笑)」。「旅行だって、ぜんぶ、奢り」だったそう。
「だから、ぶらぶらもできないでしょ。部下も、いっしょについてくるっていうし。それで、飲食店をスタートするんです」。
びっくり寿司7年のキャリアはあったが、飲食の経験はそれだけ。とくに飲食が好きというわけではなかった。それでも、やるしかなかった。
店舗流通ネットの在籍は、4年。けっして長くはないが、だれよりも奮闘した濃厚な4年だった。

「加盟金50円です」。部下の一言と、ツルハシと。

「最初は、1人でラーメン店をしようと思っていたんですが、部下もついてきたんで、じゃぁ、居酒屋でもと」。
ラーメンかなと思っていたが、業態は、じつは何でもよかった。
「私はお金を儲けるのが好きなだけで、飲食が好きってわけじゃなかったんです。だから、業態にはそう詳しくなかったんです」と、森岡さん。
「でも、部下は正反対で、飲食が大好き。その、飲食大好きな部下が、『鶏ヤロー』を教えてくれたんです」。
「鶏ヤロー」は、この「飲食の戦士たち」にも度々登場する。加盟金50円、ロイヤリティ50円。
「今はちがいますが、ちょうど7年前くらいだったんで、たしかに50円でした(笑)。ノウハウも、お金もない私らにはいちばん。ただ、いくら50円といっても、店は用意しないといけません」。
店舗流通ネットの経験があるから、相場もわかるし、どこがいいか、おおよそ、ロケーションの見当もつく。しかし、先立つものがなかった。
「税理士にも相談させてもらって。税理士は、とにかく、むちゃくちゃ稼いでください』っていうんです」。

生まれて初めて、ツルハシをふるう。朝も、夜も。「あのときが人生でいちばんきつかった」と森岡さん。
手を休めれば怒号がとぶ。朝8時からスタートし、17時に終了。3時間休憩し、森岡さんは、夜のローテーションに入る。
「20時から朝5時です。5時からまた3時間休憩して、8時から」。
寝る時間も惜しんだ。どうして、そこまでできたんだろう。「気合と根性」と森岡さん。
もう大人しい少年の姿はどこにもなかった。
「半年たった頃に、『大和でいい物件がでた』って連絡が入るんです。その物件を押さえて、現地調査をして。そういうのは前職で経験していますから得意です。よし、これなら月商300万円はいけるだろうと」。
寝ずにはたらきためたお金、100万円をぜんぶ、ぶちこんだ。もちろん、それだけじゃ雀の涙だ。
「2フロアで25坪、家賃は20万円。でも、スケルトンからですから、造作も含め、ぜんぶで1300万円。幸い、金融機関から融資が下り、晴れて、私たちの『鶏ヤロー』がオープンします」。
飲食店の経験なし。1200万円の借金を抱えて、気合と根性だけで「鶏ヤロー」がオープンする。
これが2019年7月のこと。初月200万円、ギリギリ利益がでた。低空飛行がつづくが少しずつ利益ものびた。しかし、年が明け、2020年になると、状況が一変する。

コロナと、コロナ後と。

2月になって緊急事態宣言が発出される。コロナ禍の幕があけた。
「でも、状況は一変しても、ぜんぜんお金がなかったから閉めるわけにはいかなかったんです。鶏ヤローの社長の和田さんにも了承していただいて営業をつづけさせていただきました」。
当初は、助成金もなにもなかった。ただ、「営業するな」と、飲食店は悪者にされた。
「2~3週間したくらいでしょうか。だんだんお客さんがいらっしゃって。なかには、応援してくれるお客さんも現れて。居酒屋なのに50人待ちの行列までできて。もう、泣いちゃいそうでした」。
「のちのち和田さんの本体も営業を開始して拡大していくんですが、最初から営業をつづけたのはうちくらいじゃないですか?」。
気合と根性、それしかなかった証。幸い、感染者もでなかった。
「コロナのおかげではありませんが、利益もでるようになり、大和の鶏ヤローは今も好調です」。
2026年現在は、業態も広がり、鶏ヤローに、均タロー、豚ギャングなど11店舗を展開している。
「そのうち直営は2店舗だけで、あとは、部下だった人間に業務委託で店を任せています。この手法で、バンバンみんなで儲けていく予定だったんですが、最近は、家賃も上がり、原価もむちゃくちゃ高くなったから、計画通りうまくいかなくなってきました」。

・・・続き

株式会社WaltStein 代表取締役 森岡 嵩氏


キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)  

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