2026年3月17日火曜日

有限会社D&Cクリエート 代表取締役 本山雄貴氏登場。

“飲食の戦士たち”有限会社D&Cクリエート 代表取締役 本山雄貴氏を取り上げました。

本文より~

社会人になるまでの本山さん。

なんとなくだが、ターフの記憶があるそうだ。
「ちっちゃな頃の記憶です。競馬好きの父親に連れられて観たんだと思います」。
お父様は、その頃すでに「焼肉もとやま」をオープンされていた。
「もともと喫茶店をオープンして、そのあと、焼肉をはじめたそうです」。
破天荒な人で、酒と、ギャンブルが大好き。
競馬の賞金で、家族みんなで、ハワイ旅行に行ったりもした。
「勝てばいいんですけどね」と苦笑するのは、今回、ご登場いただいた本山さん。「ターフの記憶がある」といった、破天荒な父のご子息である。
本山さんが生まれたのは1977年。東京都台東区。なんでも、「当時は今よりにぎやかだった」そう。事業をしている家庭が多く、その多くが零細だったが、そのぶん、あったかく、にぎやかなコミュニティをつくっていた。
「もとやま」にも、その零細企業の社長さんや従業員さんが来られていたんじゃないだろうか。
<本山さんは、どんな少年でした?>と、シンプルな質問をすると、にっこり笑って「小学校高学年までは普通の子だった」と回答。
つまり、それからは、普通じゃなかったということだ。
小学校から空手をはじめ、高校までつづけている。高校になるとバイクの免許を取り、バイクに乗った。18歳になると、今度は普通車の免許を取り、「たまに学校まで車で乗り付けていた」と笑う。
だいたいこのくだりで、どんな少年だったかが想像できる。
空手と、バイクと、車と。
父同様、破天荒で、仲間思い。スポーツは得意だったが、勉強は苦手。
大学進学は頭になく、専門学校へ進むが、1年で退学。マスコミに行きたいと、フジテレビの子会社に就職。番組の制作会社で、本山さんの仕事は営業だった。
<社会にでてどうでした?>
「いままでチャランポランな人生を送ってきて。たまたまフジテレビの子会社に就職できただけで、特別なスキルなんて何一つありません。しかも、高卒で、周りは大卒ばかり」。
「でも、負けたくはないし、自分が劣っているって認めたくもない。だから、とにかく働いて、働いて(笑)。そしたら、1年半くらい経った頃ですね。さすがにからだを壊して、入院して、そして」。
<退職?>
「ええ」と本山さんは頷く。
まだ、なんの実績も残していない頃の話。

焼肉の聖地、大阪・鶴橋へ。

仕事を辞めた本山さんは、家業を手伝い始める。
「飲食の戦士」への第一歩と言いたいが、本山さんが希望したわけではなく、お父様から強くプレゼンされ、しぶしぶ手伝い始めたそうだ。
熱心に誘ったお父様だったが、いざ親子で始めると、口ゲンカが絶えなかった。
「それでも、2年くらいかな。それくらいは親父といっしょに仕事をして。私自身も、だんだん飲食の面白さにハマり始めたんです。ただ、そうなったらそうなったで、今まで以上に口を出すことが多くなって」。
お互い似ている。破天荒な者同士。ついに、本山さんは実家をでる。
お父様のプレゼンは、2年後、空を切ったことになる。
「なんかね。父親ともそうですし、それ以外の人ともつながっていることが億劫になって、いったん線を引こうと、単身、知り合いもいない大阪へ向かいました」。
「パチンコで生活しようと思っていた」と本山さんは笑う。何の取り柄もないといったが、さすが父親譲りのギャンブラーである。
「だけど、規制がかわっちゃっていて。ぜんぜん、うまくいきませんでした。パチンコがダメになると、また、何も思いつかない(笑)」。
空手と、TV番組制作と、ギャンブルと…。
「そう、一つだけあったんです」。
<焼肉?>
「そう」。
本山さんの声が弾む。
「大阪には、『鶴橋』っていう焼肉の本場があるんです」。
やるならと、そのなかでも「トップを争う焼肉店の門を叩いた」そう。
「飲食は楽しいと感じていましたし、実際、働くと厳しいことも言われましたが、仲間もできて、めちゃくちゃ楽しかったですね。将来、店を継ぐかですか? それは、まったく考えてはいませんでした。ずっと働くつもりだったんです」。
<つもりだった?>
「そう、何事も希望通りにはいきません」。
「BSE」と本山さん。
マスコミがこぞって、BSE問題をピックアップし、そのたびに客はいなくなった。
「実家も、大打撃を受けました。その時、唯一、信頼している叔父がいるんですが、その叔父から『帰ってこい』と言われて」。

閑古鳥はまだ鳴いている。

「閑古鳥鳴いていた」と、本山さんは笑う。
実家のフロアに立ち、驚愕する。
「月商は、100万円いくか、いかないか、くらい」。
本山さんは、いったん「焼肉もとやま」をクローズして、本山さんが買い取り、新たにスタートする。
<「焼肉もとやま」新バージョンですね? いかがでした?>
「焼肉の聖地『鶴橋』仕込みですから、『そりゃ、』と大きなことを言いたいんですが、BSEになんて勝てるわけがありません(笑)」。
今なら、笑い声もでる。淡々と語ることもできるが、たいへんな苦労をされていることがつぎの話からわかった。
「当時、私は25歳です。とにかく、私が経営者になって、父と母と3人で新バージョンの『もとやま』を運営します。従業員はいません。3人だけです」。
客は来ても数名。月商は80万円。レジをシメるたびに、ため息がでた。生活もカツカツだったし、借金も少なくなかったから、なおさらだ。
「営業中」の看板を下ろすと、本山さんは夜の街に向かった。遊ぶためじゃない。アルバイトのためだ。
「5年間は、うちの仕事とバイトの毎日でした。バイトで稼いだぶんは、借金の返済にあてました。当時、妹もいれて家族4人で、1週間の食費が1万円でした」。
昭和の話じゃない。
ギャンブルはしなかったという。かわりに生き様がギャンブルになった。せっせと働いたが、だからといってなんとかなる保証はなかった。
そう、5年経っても、まだ閑古鳥は店に居座ったままだった。

一発大逆転。

「一発大逆転」。ギャンブルなら、そうなる。
「地域の情報誌の小さい記事がきっかけだった」と本山さん。
「夜はあいかわらずでしたが、その頃には、ランチの評価が高く、満席になることも少なくなかったんです。それで記事になったんですが、そのあと、TVも取り上げてくださって」。
<一気に?>
先を急いで、口をはさんでしまった。
「そうなんです」。本山さんが笑う。
5年間、「儲かる、儲からない」じゃない。お金をバイトで補填しながら、仕事にはちゃんと向き合ってきた。肉のレベルも落とさなかったし、掃除もした。笑顔も絶やさなかった。
「おかげでというか、TVで取り上げられてからはランチも、ディナーも満席になって。従業員も採用できるようになりました」。
レジもたいへんなことになっていたはず。
なにしろ、日々の売上は、今までの10倍以上になっていたからだ。
<一発逆転ですね?>というと、本山さんは頷く。
ただし、ラッキーな逆転劇ではない。5年間、本山さんを試した飲食の女神が、ついにふりむき、微笑んでくれたのだ。
本山さんは「焼肉もとやま」を再構築する。
「両親には、引退してもらって、若いスタッフを採用していきます。工場も新設して、そこでは、鶴橋の店で同僚だった肉のプロが2人、目利きを担当してくれています」。
<現在、何店舗ですか?>
「6店舗です。2号店は白山、そして3号店は新宿にオープンします。とにかく、凡事徹底で。恵比寿にもオープンして、いま現在、直営で6店舗を経営しています」。
「工場も好調だ」という。
「2人が焼肉店出身でしょ。だから、目利きはもちろんですが、焼肉店仕様の加工ができるんです。そのおかげで、当社の店舗以外にも卸させていただいています」。
家族4人、1万円生活の時と風景はまるでかわっている。
じつは、飲食があくまでメインだが、デイサービスなど様々な事業へ進出。その理由をうかがうと、やはり、お父様が倒産されたことが根底にあった。
「一本足打法だと、どうなるかわからないから」と、経営者の顔になった本山さんがいう。
多彩な才能があるわけではない。そのぶん、愚直にできることをする。それが、少しずつ事業の多角化となっている。将来は?と聞くとやはり、本山さんらしい答えが返ってきた。

・・・続き

有限会社D&Cクリエート 代表取締役 本山雄貴氏


キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)   

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