2025年5月27日火曜日

フードデリバリー「ロケットナウ」いよいよエリア拡大!

フードデリバリー「ロケットナウ」新宿区、渋谷区、港区に次いで豊島区、中野区、文京区、千代田区、中央区、目黒区、品川区とエリア拡大しました!
ロケットナウについて・・・・Yahoo!ニュース
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キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

株式会社たこやき王子 代表取締役 青山直樹氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ZENJI 代表取締役 工藤拓也氏登場。

本文より~

恵まれた環境と父の背中。

青山氏は、大阪府寝屋川市で代々続くガラス施工会社の次男として生を受けた。3階建て自宅の1階は作業場で、2階と3階が居住スペース。父親の会社は代々地域教育機関のガラス交換などを請け負う老舗企業で、経営は安定し地元の信頼も厚かった。青山氏と兄は中学校から、妹は小学校から私立学校に通わせてもらうほど家庭は裕福だった。
真面目な性格で黙々と仕事に打ち込む父親の姿は、幼い青山氏にとって“働くこと”の原風景だった。「この仕事、おもしろい?」と問う息子に、「おもろいよ」と答えてくれた父。仕事は楽しいものだと教えてくれた父に、青山氏は今も深く感謝しているという。
一方、母方の実家についてはあまり記憶がないらしい。ただ中学生の頃、偶然二人きりになった母方の祖父から、こんな秘密を打ち明けられたことがある。
「おじいちゃんは昔、ある印刷会社で働いててな。そこはアサヒビールと付き合いがあってん。で、ブラックニッカのデザインをしたんは、実はおじいちゃんやねん。これ、絶対誰にも言うたらあかんで」。
子供心に「それなら、もっとお金持ちなんちゃう?」と思ったものの、律儀な青山氏は祖父との約束を固く守った。数年前に祖父が他界した後、意を決して母に真相を尋ねてみたが、母はただ笑うばかりで真偽を明かさなかった。
「これ、裏は取れてないんですよ。ブラックニッカのデザイナーを調べても、祖父の名前は出てこなかったですし」。
と楽しそうに語る青山氏は、どこか誇らしげだった。

「上には上がいる」敗北感を乗り越え、得たことも。

中学受験を乗り越え追手門学院大手前中学校に入学した青山氏は、同級生たちの金持ちぶりに圧倒された。自分の家もそこそこ裕福だと思っていたからなおさらだ。さらに、隣のクラスには後にプロサッカー選手となる柿谷曜一朗選手も在籍し、その才能には目を見張るものがあったという。
「月の小遣いが30万円というやつがいたんです。今でも覚えてるのは、天満橋のゲームセンターに連れて行かれた時、そいつがゲーム台に500円玉を積み上げてたんですよ。で、キャラメルフラペチーノを奢ってくれました。まだ中一ですよ。なんかもう世界が違うなって」。
自身を「井の中の蛙だった」と振り返る青山氏。悔しさ、敗北感、そして負けたくないという思いが強く、虚勢を張るようにもなった。この頃から「金持ちになりたい」という想いを漠然と抱き始めるが、具体的な夢はまだ見つかっていなかった。
中学卒業後は、サッカー推薦で東海大学付属大阪仰星高等学校へと進学。同校はラグビーと柔道の強豪校であり、体格に恵まれた生徒たちが多かった。どんなに強がっても体格差はいかんともしがたく、青山氏は徐々に「いきがっていても仕方ないな」と感じるようになっていったという。
「ラグビー部に友人がいたんですけど、そいつがすごい人気者なんですよ。で、『なんでそんなに人気者なん?』って聞いたら、『人のいいとこ、もっと見たほうがええで』って。こいつの考え方すごいな、喧嘩や武力で勝つんじゃなくて、なんていうか愛された方がいいんやなって思いました」。

商売の面白さを知った学生時代。

東海大学ハワイ校への進学を考えていた青山氏だが、周囲の助言もあり大阪工業大学を選択。サークル活動に勢いのないキャンパスで時間を持て余すも、中学の同級生に誘われインカレサークルに入会する。イベントの企画・運営を通して商売の面白さに目覚め、3年生の時は代表として手腕を発揮。芸能人を招いたイベントを成功させ、ビジネスへの意欲を高めていく。またこの時期に多くの著名人と知り合い、特に仲良くなったUVERworldのTAKUYA∞氏とは今も強い信頼関係で結ばれている。
卒業後、就職せず自分で商売をしたいと思うようになっていた青山氏は、一人の実業家と出会う。数々の事業を立ち上げ成功させてきたそのカリスマ的な人物は、青山氏の潜在能力を見抜いたのだろう。「俺と共同経営しないか」と誘ってきた。
「それがね、『一緒にやろう』って言ったくせに、実際にやってみると『はい、これ、給料な』みたいな感じやったんですよ。これじゃ一緒にやってるとは言えないと思って、半年くらいで辞めました」。
辞めるにあたり多少のトラブルもあったが、今でもその実業家とは互いに連絡できるくらいの距離を保っているそうだ。

初のたこ焼き屋は苦戦の連続。

リーマン・ショックと重なり、円高が進行していた学生時代。大学の長期休暇を利用して渡米した青山氏は、アメリカで買い付けた衣料品を販売するなど、イベントサークルでの活動に加え独自のビジネスも展開していく。
大学4年生の時、親が不動産業を営む中学時代の同級生から「100万円ほどで売りに出ているたこ焼き屋がある」と聞いた青山氏は、すぐに購入を決意。ただたこ焼きに関しては全くの素人だったため、アルバイト経験のある友人に声をかけ、週休2日・月給20万円という大雑把な条件で働いてもらった。
しかし現実はそう甘くなかった。売上は月に30~40万円程度で、友人の給料すらまともに払えない状況が続いた。自身も他の会社でアルバイトをして友人の給料を捻出するという、厳しい日々を送ることになった。

店名変更がもたらした転機。

1年ほど自転車操業が続いていたある日。青山氏のたこ焼き屋の店名を聞いたTAKUYA∞氏から、こんなアドバイスが届いた。
「もっとキャッチーな名前をつけた方がいいよ」。
こうして誕生したのが『たこやき王子』だ。言葉を操るプロフェッショナルのTAKUYA∞氏は、“たこやき”を漢字にするかひらがなにするか、字面にまで細やかなこだわりを見せてくれた。
25歳で法人を設立した青山氏は、道頓堀に『たこやき王子』をオープン。味の良さと斬新なネーミングセンスが相まって店は瞬く間に人気を博し、最盛期には大阪を中心に10店舗を展開するほどの盛況ぶりを見せた。

スクラップ&ビルドで高収益を実現。

集客力があり売上の立つ『たこやき王子』だが、利益率は低い。そこで青山氏は、もう一つの大阪名物である串かつ屋への転換を決意。パン粉やソースの配合には徹底的にこだわり、塩1グラムの単位で試行錯誤を繰り返した。完成後も改良を重ね、気になる点があればすぐにLINEで各店長に指示を出した。当初は「社長は何でこんなにコロコロ変えるねん」と戸惑っていた彼らも、指示通りにすれば味が格段に向上することを実感し、今では積極的に協力してくれているそうだ。
「串かつなら、やっぱり大阪だけに特化した方が多分価値が出ると思うし、全国に広げようとは1ミリも思っていません。ちょっと古い考えかもしれませんけど、『美味しかったら絶対認知される』って信じているんですよ。だからグーグルの口コミとかをチェックして、お客様の声を拾って、何かあればどんどん改良していきます」。
青山氏は現在、『串かつおうじ』3店舗と『たこやき王子』1店舗を展開。インバウンド需要には目を向けず、既存店の強化に全力を注いでいる。オペレーションを効率化するためデリバリーは行わず、徹底的に無駄を省き、過度な店舗拡大は目指さないというスタイルだ。

・・・続き

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24日、朗読劇の『家族草子』行ってきました。

ほとんど毎回、天現寺公演は観に行かせてもらってる。
今回もまたまた感動し、パワーを頂きました。
朗読ではありますが、動きあり、ただ椅子が置かれてのステージなんですが場面がイメージできるのは凄いです!

演者の方もかなり増え、森浩美さん率いる家族草子チームは大人数になられました。
やはり続けていくって凄いことです。
キイストンも再現ショートドラマを継続させて行きます。


2025年5月21日水曜日

株式会社ZENJI 代表取締役 工藤拓也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ZENJI 代表取締役 工藤拓也氏登場。

本文より~

原材料費が高騰するなか、現れた平均30%の営業利益率を記録する「油そば専門店」

今回、ご登場いただいたのは「らぁ麺善治」と「油そば専門店 麺と油」を経営する株式会社ZENJIの工藤社長。インタビュー時で29歳という若き経営者。
コロナ禍の下、2021年12月にオープンした「らぁ麺善治」はコロナ禍の最中に関わらず初日から大行列をつくり、坪売上80万円を記録。
現在は、そのノウハウをもとにフランチャイズ化を進め、開業支援も積極的に行っている。
現在の、原材料費が高騰するなかで注目されているのが、2024年11月にリリースした<油そば専門店「麺と油」>。通常のラーメン店と比べ、「原価率を約12%も削減できる」とのこと。
実際、オープンから平均30%の営業利益率を記録しているというから驚きだ。
もちろん、「油そば」、そのものが旨い。
油はサラダ油ではなく「鶏油(チーユ)」と「豚油(ラード)」の2種類。醤油、塩、赤味噌とバリエーションも豊富で、卓上調味料は10種類、トッピングも10種類(50円~)用意されていて好みによってカスタマイズできる。
「らぁ麺善治」同様、こちらの「麺と油」でもフランチャイズも進めていて、2025年3月現在、10店舗限定だが、「加盟金200万円が、0円」と大盤振る舞いのキャンペーンを打っている。
原材料費が高騰するなか、ラーメン店の経営者にとっても、気になるブランドだ。
さて、その話はいったんわきに置き、いつも通り、工藤社長の話である。
工藤社長は、1995年、生まれ。
父親は法律関係、母も、今は姉も行政書士という家柄。お父様は、北海道大学出身。
「父親はきびしい人でした。とくに勉強については」。
なんでも、小学生のときには「1日9時間勉強しろ」と命令されていたそうだ。「めざせ、開成中学」。「姉は父親が望むように育ちましたが、私はね」と破天荒な話が始まる。

両親が離婚。父親から解き放たれた少年は。

「小学4年生のときに両親が離婚します。父親から開放されたもんですから、今までの反動で漫画を読み漁り、卒業式にも出席しない少年になりました」。
<開成はどうなりました?>
「もちろん、頭のすみにもない(笑)、進んだのはふつうの中学です」。
進んだ中学はふつうだったが、工藤社長は、ぜんぜんふつうじゃなかった。
地元でいちばん顔が広い、やんちゃな中学生。
「通学が面倒で2年生は学校にも行かず、中学3年生からは心を改め、学校に行くんですが。進学には2年時の内申がカギなんだそうですね。そういうのも知らなかったから。だって、もう3年でしょ(笑)」。
進学したのは「『こころざしを漢字で書け』っていうのが、入試問題の定時制です」。
もう一つの設問は「あめにもまけずを同様に漢字で書け」という問題だったらしい。
もちろん、宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ…」の冒頭の一文である。
ともかく工藤社長は、雨ニモマケズ 風ニモマケズの、やんちゃぶり。
17歳のときには警察沙汰を起こし、退学している。町いちばんのやんちゃものが、野に放たれる。非行に走ったが、受験で書いた一文字、そう「志」はあった。
「ビッグになる」が少年の口癖だったそうだ。

26歳。ビッグになる一歩を踏み出す。

「やんちゃ」だが、ご両親譲りなんだろう。頭は、いい。ビッグになるという「志」もある。ただ、何をしていいかわからない。アルバイトの、その先に、飲食があった。
「飲食のアルバイトが、この世界に入るきっかけです。19歳からは飲食のキャッチをはじめます」。
21歳で、キャッチを卒業した工藤社長は、そのあと飲食店を2社、経験。人生の師匠という人物にも出会い、26歳のとき、かつての暴走少年は、事業家としてスタートする。
そのときの話もうかがった。
「デリバリーからのスタートです。業務委託のようなスタイルで、オリジナルでバーチャルレストランをはじめ資金をためて、いきおいにまかせて起業します」。
<それが2021年12月、横須賀にオープンした「らぁ麺善治」ですね?>
「横須賀に縁もゆかりもなかったんですが。もともと単価900円の飲食店が6年つづいていたもんですから、6年は大丈夫だろうと(笑)」。
<ビッグになる、一歩を踏み出したわけですね?>
工藤社長は、ちからづよく頷く。

直感力×マーケティング。ロジカル思考は、ご両親譲りか。

さすが、前職では若くして事業部長を経験している工藤社長である。
「いきおいで」とのことだったが、話を詳しく聞くと、マーケティングにもそつがない。やはり、ご両親同様、ロジカルな思考が得意なんだろう。
「横須賀は濃厚なラーメンの聖地で、ラーメン激戦区です。ただ、ラーメン店は多いものの、あっさり系が意外になかった。人口を調べてみると、若者だけじゃなく、60代以上の方も少なくない。だったら、その方々をターゲットにして、細麺のあっさり系で勝負してみるのもありかな、と」。
「あっさり系と、もう一つは濃厚なラーメン」と工藤社長。2本立てだが、あっさり系のラーメンがプラン通り年配者の志向をキャッチ。初日から大行列をつくり、わずか10坪で月商800万円。つまり、坪売上80万円を記録したのは、すでにお話した通り。 額にも驚くが、コロナ禍の下での記録というから、なおさら。
「ヒットしたのには、もう一つの仕掛けがあって」と工藤社長。
<もう一つの仕掛け?>
「ええ、じつは、380円のうな丼をメニューに入れていたんです。原価は60%でしたが(笑)」。「ミニサイズ」といいつつ、写真をみさせていただくと、ちょうどいいボリューム。
「横須賀って米軍の人もいるでしょ。彼らの志向を調べると『EDO(江戸)』が一つのキーワードになるとわかって。江戸って言ったら、天ぷら、あなご、うなぎ。そのなかから再現性が高い『うなぎ』をやろうということになって」。
<ラーメンとうな丼?>
「セットではなく、単品です。ミニサイズですが、380円でうなぎが食べられるのはうれしいでしょ。最初は、うな丼をめあてにしていらっしゃるお客様も多かったです」。
<思い切った発想が功を奏したわけですね。奇抜ですが、大きな差別化のポイントですね?>
「そう、ちなみに、月商は今もキープしていて、昨年12月には1000万円台を記録しています。善治のラーメンファンが多くなった証です」。
ちなみに、横須賀店の隣に出店したラーメン店(こちらは豚骨)が、今の「油そば専門店 麺と油」。2店で工藤ワールドをつくっている。

証明してみせたのは、修業しなくていい、という事実。

話を聞いていて、浮かんだ疑問を、そのまま質問してみた。
<いつ修業されたんですか?>
「ラーメンですか?」
<そうです。ラーメン店では勤務されていませんよね?>
「そうですね。じつは、そこが私の話の、また今の事業のなかでの、ポイントなんです」。
どういうことだろう?
「みなさん、ラーメンをどこで修業した?と、おっしゃるんですが、飲食の人って、キッチンでも、はたらいているから、何でもつくれちゃうでしょ。パスタだって、〆のラーメンだって。そもそも、ラーメン店って修業しないとオープンできないって思い込みにすぎないんです」。
「事実、私はラーメン専門店で、修業はしてないですから」。
「私に言わせれば、ぎゃくにそのほうがいいんです。ラーメンの経営者って、みんな『あとちょっと』って言うでしょ。たとえば『塩をあと少し、醤油を』なんてやる。それで味がブレちゃう」。
「だから、最初からOEMでと決めていた」と工藤社長。「もちろん、OEMと言っても、うち独自のレシピでつくってもらっています」。
<独自のレシピ?>
「私の祖父が飲食をやっていて、その時のレシピが残っていたんです。それを祖母から譲り受けて。じつは、『善治』は、祖父の名前なんです」。
<お祖父様のお名前?>
「そうです。ストーリー性もあるでしょ」。
たしかに、たしかに。
善治さんの手によって生まれ、工藤社長によって令和に再現された、ひとつのヒストリー。ネーミングも鮮やか。
「もうおわかりいただけたと思いますが、ラーメン店は修業しなくていいんです」。
乱暴なようだが、お手本が目の前にいる。
「もちろん、飲食の経験は大事です。ただ、うちではそれもゼロから指導していますので、まったくの未経験でもスタートいただけるパッケージになっています」。
ブレないことで、味が保証される。
もちろん、工藤社長は修業を否定しているわけではない。一杯のラーメンのオリジナリティを高めることも、否定はしない。しかし、ラーメン店の経営は修業をしなくてもできる、これが、事実。
それも、とびきり繁盛するラーメン店をつくることが可能だということを証明している。実際、繁盛ぶりを目にすれば、反論はむずかしいだろう。

株式会社ZENJI 代表取締役 工藤拓也氏

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2025年5月14日水曜日

営業未経験、2~3人採用したい。

私も最初は営業未経験でした。


キイストンは創業当時から営業マンはほぼ9割が営業未経験者の採用してきました。

営業未経験者の人たちは、学ぼうと一生懸命頑張ってくれるので教えがいもあり、また一人前なるのが早いです。

今期も黒字で4期連続となりました。

基盤はしつかりしてるので、営業未経験者中心に2~3人採用したいです。

キイストン採用ページ→こちら

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一世風靡したステーキけんの創業者、株式会社TWENTY NINE 会長 井戸 実氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社TWENTY NINE 会長 井戸 実氏登場。

本文より~

ロードサイドのハイエナ。

「ロードサイドのハイエナ」という二つ名をつけられた。メディアはこぞって、そのハイエナを追いかけた。「飲食の戦士たち」にも、ご登場いただいている。
「あれはたしか」。
今回のインタビューはそんな昔話から始まった。
<2009年の3月3日に掲載させていただいています>
「そうでしたね。エムグラントフードサービスを設立したのが2006年ですから3年経った頃ですね」。
<井戸さんは、まだ32歳。ご自身でも「ロードサイドのハイエナ」というブログを綴られていて。さぁ、いくぞ、と>。
「ただ、今だから言うと、あのときは3期目で、まだ赤字だったんです(笑)」。
<そうだったんですね。アクセル全開というイメージでお話をうかがっていました>
「全開だったのは、たしかで、あるファイナンスから2億円までの融資枠をいただいたんで、使い切るまで、いくぞ、と(笑)」。

「ど根性ガエル」の「梅さん」に憧れた少年。

井戸さんは1978年、3人兄弟の末っ子として生まれている。小学時代、アニメの「ど根性ガエル」に登場する佐川梅三郎こと「梅さん」に憧れ、寿司職人をめざす。
<これが、始まりですね?>
「『梅さん』とはずいぶんちがう世界に来ちゃったなと思いますが、『梅さん』がまちがいなく私の原点です」。
情に厚く、どこかおっちょこちょい。生きる世界はたしかにちがうが性格はどこか似ている。かつてハイエナと厳つい2つ名をつけられたが、イメージは、むしろ「梅さん」だ。
高校を卒業した井戸さんは「梅さん」になるべく、寿司の修業を開始する。
<たしか、異例のスピードでカウンターに立たれたんですよね?>
「そう。20歳でカウンターに立たせていただきました」。
<12名いた同期は、1年で2人になったと話されていました。16時から朝の4時まで勤務して、その日の午前中には、もう店にいたというお話が印象的でした>
「とにかく、少しでも早く、腕を磨いて独立する。その思いだけで突っ走っていた頃です」。
<方向転換されたのはいつでしたっけ?>
「22歳です。薄給だったこともあって、このままでは独立資金が貯まらないことに気づくんです(笑)」。

「けん」は、「けんちゃん」の名だった。

当時、井戸さんのプランでは独立資金は2000万円。たしかに寿司職人にとっては天文学的な数字。
「それで、牛角のレインズインターナショナルに転職します」。
その頃の話をかいつまんで紹介すると、「レインズインターナショナル」で寿司職人とはまったく異なる店舗開発の仕事に従事。立地開発とフランチャイズビジネスのノウハウを獲得する。とある会社で業態開発を経験したのち、「店舗流通ネット」に転職。
<「ステーキけん」は2006年の7月が創業ですね?>
「店舗流通で出会った上司が会社を立ち上げ、私は取締役として参画します。その後2006年1月に、取引先の肉屋さんの支援をいただき、郊外のロードサイドで運営されていた『ステーキ&ハンバーグ いわたき』の経営権を引き継ぎます。その際、経営権はOKだが、商標はダメっておかしな話だったんです(笑)」。
「創業者が『いわたき』の4文字に思い入れがあって』と井戸さん。
「創業した4人の頭文字をとって名付けられたそうなんです。そんな話を聞くと無下にできないでしょ。だから、どうしようって」。
<メディアでは、当時、もっとも有名だったステーキハウスがひらがなの2文字だったので、それを真似たと言われていましたね>
「あとづけでそうなっちゃったんで、パクったって思われても、まぁ、いいかって黙っていたんですが、実はステーキ事業のトップだったスタッフが小林けんと言って、その名を借りて『けん』でいいじゃんって。それが、店名の由来。『ステーキみのる』より響きがいいでしょ」。
<その話も今回、初めて聞きました(笑)>
井戸さんは前回のインタビューとかわらない。言葉の一つひとつに想いが乗ってくる。ただし、挫折を知った今は、当時より、心が底が深くなった印象を受ける。

夕刊フジの記事で、祭りが始まる。

「全盛期は、2012年」と井戸さん。
「2009年10月に、夕刊フジに掲載されたのが引き金ですね。千葉県の松戸のデニーズの跡地に『ステーキけん』をオープンしたことが取り上げられ、新進気鋭の若手経営者と紹介いただいたんです」。
この記事がきっかけとなり、メディアがロードサイドの救世主と、なかば崇め、なかば「ハイエナ」と揶揄し、井戸さんを追いかけ回すことになる。
改めて当時のいくつかの記事をみたが、そのなかに「ハイエナ商法で会社設立から4年で売上高140億円」という印象的な見出しがあった。
たしか、そうだった。4年で140億円。だれが実現できた数字だろうか。
<1号店は千葉県の南柏でしたね?> 
「ジョリーパスタさんの居抜きです。それが、2006年の7月です」。
家賃45万円、60席。サラダ・バーをつくったことで300万円かかったが、初期投資はそれだけ。オープン初日、窓からパーキングをみる井戸さんの目が丸くなる。
「つぎからつぎってあのことですね。30分も経たないうちに広いパーキングが満杯になりました」。
その様子をみて「金脈を掘り当てた」と、井戸さんは小躍りした。
初月の売上、1200万円。
500万円いけばいいと思っていたが、予想はいいほうに大きくブレた。2号店、3号店、フランチャイズも含め、つぎつぎにロードサイドに「ステーキけん」がオープンする。
そして、夕刊フジの小さな記事で、「祭り」が始まる。
「3期まではまだ赤字だったんですが、4期目になり年商は47億円、5期目には165億円になります」。
<5年で100億円を軽くオーバーって、そりゃマスコミも放っておいてくれないですね>
「当時、ファミリーレストランをはじめロードサイドから撤退する郊外店が少なくありませんでした。『ステーキけん』は、居抜きで入り、内装から設備、什器までもらい受けてスタートしますから、出店コストの低さは段違いです。そのうえ、当時、ドル/円は90円程度だったんです」。
ステーキ肉はミスジ。全量輸入。
「円安になった今じゃ絶対、無理。消費税も5%だったから、ステーキ150gとサラダバー・カレー・フルーツ食べ放題で税込み1050円です」。
たしかに、かなり破格。当時でも、暴力的な価格だったにちがいない。
ファミリー4人で、ミスジのステーキを食べ、サラダバーとフルーツと、なんといっても子どもが大好きなカレーも食べることができて4200円。
ちなみに、とある大手ステーキレストランチェーンのメニューをみて、現在の価格を調べてみた。ランチだったとしても、ステーキなら1000円を軽くオーバー。ライス・パン・スープは食べ放題・飲み放題だが、サラダとカレーは追加料金がかかる。
時代がちがうといっても、やはり溜息がでる。当時、「ステーキけん」に行く機会が少なかったのが悔やまれる。「ステーキけん」も今では、ミスジ150gは2000円オーバーだ。

祭りのあと始末。

「最盛期の2012年には『ステーキのけん』238店、『フランス亭』30数店、『ヴォーノイタリア』を含めると300店以上はあった」と井戸さんは振り返る。
すべて井戸さんが失ったものだ。
<聞きにくい話ですが、原因はなんだったんでしょう?>
「虎の尾を踏んだんでしょうね(笑)」。
<虎の尾?>
「うちは、所詮、ハイエナ。相手はファミリーレストランのガリバー企業です。競争だから仕方がないし、そりゃ、怒ると思うんです。いきなり小僧が、主戦場のロードサイドに現れて、ワーワー騒いでマーケットを食いあらしていくんですから。でも、最初は、逆に、飲み込んでやろうと威勢のいいことを言っていたんですがね」。
<相手にならなかった?>
「参りました。たたかうレベルじゃなかった」。
話をきいて、<そこまで、する?>と言ってしまった。
「そういいたくなりますよね。でも、これがリアルです。近隣のファミリーレストランを、うちとおなじステーキレストランにしていくんです。サラダバーも、カレーもいっしょ。1店舗できれば、そのぶん競合しますから、売上が数百万円単位で下がります」。
道路沿い、左右、数キロ先にある同系列のファミリーレストランが、「つぎつぎとステーキレストランに衣替えされていった」という。
「スパイまで送り込まれた」と苦笑いする。
「ビジネスって、そこまでしないといけないんだと、私の甘さを思い知らされた格好ですね。しかし、スパイまでとは(笑)」。
<巻き返すことはできなかったんですか?>
「じつは、その時、M&Aにからむ案件で6億円を取られてしまったんです。詐欺とまではいいませんが、ギリギリのひどい手口です。巻き返そうにも軍資金がない」。
「あれで、終了した」と井戸さん。
2012年をピークに業績は右肩下がり。防戦一方のハイエナに、巨大な虎は容赦なく襲いつづけた。井戸さんがジー・コミュニケーションに事業を売却したのは2019年。
自己破産も経験する。
最盛期には、肉の輸入で相場を動かすほどだったが、もう、何かを動かすお金も残っていなかった。
「昔、『100億円で買う』って言われたことがあったんですが、その時は、100億積まれても『なんだよそれ』って息巻いていたんです。ビジネスの怖さがわかった今だったら、3秒で売却しちゃいますね(笑)。若手の経営者には『いいときばかりじゃないんだぜ』って、体験者として心からいいたいです」。
お金は失ったが、信用は失わなかった。これが井戸さんのすごいところ。じつは、訴訟合戦も少なくないフランチャイズビジネスを行っていながら、加盟店から訴訟は1回も受けたことがないそうだ。
「笑い話なんですが、うちが逆に訴えたい会社はあったんです。『ステーキけん』の加盟店だったんですが、『けん』ではなく、自社で経営するほかの業態で赤字をだして、『けん』の仕入業者への支払いが遅れて。それで、契約を解除したんですが、ある時、業者さんが写真をもってきて、『あの店まだつづけてます』っていうんですね。『そんなはずはない』と言って写真をみると、たしかに『ステーキけん』って看板がでているんです。『おいおい』『…』『うん?』。でもよくみると、『けん』の下に小さく『しろう』ってあって『けんしろう』になっとるやん!」。
爆笑してしまったそうだ。
「こんな事で裁判沙汰にはしたくなかったんで、まぁ、いいかって。笑って済ますことにしたんですが」。
甘いといえば、甘いという人がいるかもしれないが、これが井戸実という人。なんとかつづけたいという相手の想いまで笑うことができない人なのだ。

・・・続き

株式会社TWENTY NINE 会長 井戸 実氏

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2025年5月8日木曜日

いつの間にか求人部門含め8部門(商材は複数)動かしてます。

キイストンはコロナ禍のあと求人部門だけでなく、全部で8部門(商材は複数)を動かしています。

コロナ禍の時は超ピンチがでしたが、逆転の発想でチャンスに転じ、今に繋がりました。

今考えたら、コロナがなかったら逆に厳しかったかもしれません。

もちろんマイナス面も多かったです。しかし今までやってきたことがプラスに働き、プラス面が多かった気がします。

そのプラス面の1つに「食べログ」があります。

コロナ禍後に、「食べログ」は現在正規代理店38代理店のうち、トップ10に入りできるほどになりました。

また「飲食の戦士たち」は2008年からスタートし、昨年5月30日で1つの大きな目標の1,000連載突破しました。そこで潮目が変わった気がします。

そしてこの5月には早くも1,100連載達成します!

時間はかかってますが、全てコツコツ積み上げてきた結果なので、そこは自信持ってます。

今期は特に求人部門を伸ばしたいと考えてますが、もちろん決めた全部門目標達成に向け頑張ります。

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2025年5月3日土曜日

今期、新たな部門にトライ!

 今期のキイストンはまたまた新たな部門にトライ!

電気代が高騰してるので、その“電気代削減“にも力入れたいと思います。

やるなら圧倒的な削減額目指し、実績作りのため先ずは店舗数の多い飲食企業様に限定して案内していこうと考えるます。

そしてより多くの飲食企業様のサポート出来れば…。

「キイストンに任せたら安心」を浸透させたいです。

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2025年5月2日金曜日

「書籍は武器になる」2025年は企業様の書籍を5冊は出版します!

自分の著書があるので書籍の強さ・メリットがわかってますから言えますが、「書籍は武器になる」です。

それを実感してもらうように、2025年はキイストン出版から5冊企業様の書籍出版させる予定です。

既に3月末に1冊目を出版、6月末に2冊目の出版を予定で、いずれも飲食経営者の書籍です。

あと3冊の書籍出版に向け営業提案を開始しよう。

といっても、無理にではなくお客様の武器作りのお手伝いって感じかな。

今ならブレーンの方もしっかりいるので年内7〜8冊は可能かな。

是非ともキイストンにご相談ください。

https://www.keys.ne.jp/keystone-publishing/

キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
 ~一つでも多く圧倒的に強い武器を持ち、 ワクワクしようぜ!ワクワクさせようぜ!~

戦略型総合人材採用サービス会社キイストン

2025年5月1日木曜日

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