2023年2月9日木曜日

株式会社LG&EW 代表取締役社長 中澤祐介氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社LG&EW 代表取締役社長 中澤祐介氏登場。 

本文より~

バスケットボールと中澤氏と。

「親が呼び出されるほど、落ち着きがない子どもでした」と笑うのは、今回ご登場いただいた株式会社LG&EWの代表取締役社長、中澤祐介氏。
ただ、小学4年の時、川崎に引っ越してから「ふつうになった」そう。
「環境がかわったから、ちゃんとしないといけないと思ったんでしょうね」。だれかに言われたわけではないらしい。中学になってハンドボール部に入部。「めちゃくちゃ強い部だった」とのこと。
中澤氏は、万年Bチーム。「からだも小さかったし、うまいのがゴロゴロいましたから笑」。ただ、万年Bチームだったが、ハンドボールは大好きだった。
日大三高に進んだ中澤氏は、バスケットボール部に入部する。こちらも強豪。練習もハンパない。
「みんな辞めていくんです。正直、楽しいとは思ってなかったですね」。
その頃、ご両親が離婚されている。
「ナーバスになっていたわけではないですが、それもあって、退部を監督に相談したら、全否定されて。その日、なぜか練習が楽しくて。やっぱりオレってバスケが好きなんだなって思うんです」。
ちなみに、中澤氏は今もバスケットボールをしている。ボールを自在にハンドリングし、キュッキュッとシューズの音を鳴らすし、リングに向かってシュートする。
いえば、たったそれだけのことだが、それが人を魅了する。
「高校時代より、背丈は20センチくらい高くなりました。ただ、大学ではつづけていません」。
大学は日大ですか?
「内部進学で商学部に進みます。ただ、進みたい学部だったわけじゃなかったし、バスケットもしなかったから、だんだん学校に行かなくなってしまいます」。
学校に行かず何をしていたんですか?
「じつは、アルバイトにハマりまくるんです」。

飲食人生の始まり、始まり。

「時給は800円ですが、なんだかんだで、月30万円になっていました」。
時給800円で30万円?
「当時、私がハマったのは、清掃のアルバイトです。ショッピングモールや大学などの床を綺麗にする仕事です」。
給料が高くなったのは、深夜が多かったから?
「そうです。だれも知らないうちにピカピカにする。あれはあれで、全国のコンテストもあるんですよ」。
清掃員というより、プレイヤー。バスケット選手のように館内を自在に走り回る。ピカピカに光った轍が床に描かれる。たしかに、面白そうだ。
4年間つづけ、就職先も清掃関連の設備会社に決まっていた。「そう、決まっていたんですが、飲食のバイトも楽しくて、バイトばっかりしていたもんですから、卒業できなくて笑」。
飲食ですか?
「そう、私の飲食人生の始まりです」。
「お台場にある、今のクリエイト・レストランツの前身である徳寿という会社のお店です。店長が現、グルメブランズカンパニーの社長、石井克二さんでした」。
かけもちで飲食のバイトを始めたのは、20歳の時。清掃の時同様、ドハマリした。もちろん、その当時、会社がこれだけ巨大になるとは思っていなかった。
「1年間、留年しちゃったので、内定も取り消しになりましたし、クリエイトレストランツの創業店で仕事をつづけます」。
それでクリエイトレストランツに就職したんですか?
「いえ。飲食で、とは思ったんですが、就職したのはグローバルダイニングです。むちゃくちゃ恰好いいし、サービスも最高だったんです」。

挫折と再開。

3年間のバイト経験はだてではない。だから、ぜったいいけると思っていた。「私は、たまプラーザのモンスーンカフェで勤務を開始します。むちゃくちゃ忙しかったです。それは、それでよかったんですが、正直いうと、私のサービスレベルでは、まったく通用しなかったです」。
「当時の店長から、『逃げ癖がつくぞ』とも指導いただいたんですが、逃げるように退職します」。早速、やってきた飲食人生初の挫折。
それでどうしたんですか?
「銀座の酒屋さんで仕事を始めます。体もガリガリになってしまっていたので、体も造れるだろうと思って笑」。
飲食は向いていない、飲食業界から離れようと思ったという。ただ、高校時代、バスケットボール部のコーチからもらった色紙に書かれた言葉がふいに蘇ったそうだ。
「耐えがたきに堪えたるは、ああ、愉快なり」
それで、飲食人生の再開ですか?
「そうです。やっぱり飲食だと思って、際コーポレーションに1年ちょっとお世話になります」。
副店長になったが調理師とぶつかって退職。「調理のことはわからないだろって言ってくるんですね。もちろん、わかりません。だから、『わかった』といって、退職して、向かいにあったお店に入って1年間、キッチンの仕事をします。きっかけは、ともかく、いい勉強になりました。段取りやしくみが理解できたことは、私にとって大きな財産の一つです。そういう意味では、喧嘩をふっかけてきた、調理師には感謝しなければいけないですね笑」。

石井さんが呼んでいる。

このあと26歳でクリエイト・レストランツに入社されるんですよね?
「キッチンで働いていた店舗の経営元がかわることになって、それでいったんそちらを辞め、フロムエーというバイト雑誌をペラペラめくっていると、クリエイト・レストランツが掲載されていて。それで、興味本位で面接に行くと、すぐに電話があって、『君、石井って知っているよね? 石井が呼んでいるよ』って。そう、バイト時代の店長の石井さんのことです。それで、即採用いただき、『ポルトフィーノ』で勤務を開始します」。
いよいよ飲食の戦士、中澤が姿を現し、始める。
26歳で入社し、27歳、最年少でスーパーバイザーになり、35歳で、株式会社LG&EWの前身でもある株式会社イートウォークに役員として出向している。
代表はグローバルダイニングで総料理長などを務めた、カリスマシェフの渡邉明氏。「株式会社イートウォークをクリエイト・レストランツがM&Aをした時ですね。私はナンバー2として送りこまれるわけですが、渡邉明さんと出会ったことも、私にとって大きな財産の一つです。あれだけピュアに料理に立ち向かっている人は知りません」。
数字は、中澤氏がチェックし、コントロールしていた。
「私が渡邉明さんをリスペクトしていたのはもちろんですが、渡邉明さんも、私をリスペクトしてくださっていました。だから、うまくやっていけたんだと思います」。
現在、渡邉明氏は相談役だとのこと。
「2020年9月に、グループ再編によりイートウォークとルモンデグルメが合併し、LG&EWが生まれます。現クリエイト・レストランツの社長である飯沼辰朗さんが、いったん社長に就任され、私は今年の3月に社長に就任しました」。
「社長業は思っていたよりハードだ」と中澤氏は笑うが、それがナンバー2とナンバー1の違いは大きいということだろう。ただし、ナンバー1になる準備は整えていた。

・・・続き

株式会社LG&EW 代表取締役社長 中澤祐介氏

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