2023年2月17日金曜日

株式会社アールディーシー 取締役会長 久志本 京子氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社アールディーシー 取締役会長 久志本 京子氏登場。 

本文より~

医学部に進んだ兄と、薬学部に進んだ妹。

2017年11月16日、「カンブリア宮殿」に取り上げられている。スシロー、くら寿司などの大手回転寿司とは一線を画す、いわゆるグルメ回転寿司が、海のない埼玉県からスタートした「がってん寿司」。大手と比較すると確かに値は張るが、その分、旨い。クオリティの差が、値段の差を軽々と埋めていく。
「がってん寿司」のモットーは手の届く贅沢の追求。今回は、この「がってん寿司」を経営する株式会社アールディーシーの取締役会長、久志本京子氏にお話を伺った。
「私たちは、埼玉県の大里郡寄居町という人口3万人程度の小さな町に生まれます」。
大里郡寄居町を、地図で調べてみた。荒川を遡上すれば、寄居町に着く。「寄居」は「よりい」と読む。昔は宿場町として賑わったそうだ。
「周りが大人ばかりだったので、本ばかり読んでいた」と久志本氏は笑う。本の虫だったが、成績は、普通の女の子。
「小学校6年生の時に、初めて先生に影響されます。国語の先生がいらして、言葉遣いを厳しく教えていただいたんです。本が好きだったこともあって、先生の教えに傾倒しました」。
中学に上がると、父親の同級生が音楽の先生だったこともあって、有無を言わさず吹奏楽部に入部することになる。
「理科の先生が好きで、私自身も科学に興味があったので、あの頃は、いつか理科の先生になろうと思っていました。ただ、熊谷女子高校に進んだあと、今度は医学部に興味がわいてきます。ただし、こちらも先に医学部に進んでいた兄から『女性が医学部に進学すると厳しい』とアドバイスされたこともあって、結局は、理科の先生でも医師でもない、薬学部を選択。当時、女子大だった旧共立薬科大学、現在の慶應義塾大学薬学部に進みます」。
「大学を卒業して最初に勤務したのが、埼玉医科大学の附属病院です。2年間、勤務するのですが、兄が歯科医院を開業することになったので、いったん退職し、兄をサポートすることになりました」。
仲のいい兄妹。信頼は厚い。

白衣を着た飲食経営者、現る。

兄をサポートする。最初は、開業した歯科医院を手伝うだけだったが、領域が思わぬ方向へと広がっていく。
「兄は、歯科医院を経営する一方で、RDCを起業します。『元禄寿司』寄居店をオープンしたのは、1987年のことです」。
つまり、がってん寿司の創業者は、兄の大島敏氏。
元禄寿司のフランチャイズからスタートした大島氏は、店舗数を拡大し、6店舗目にして「がってん寿司」をオープンする。
海のない埼玉県で、ホンモノ志向の回転寿司をはじめた歯科医師。白衣のまま店に現れたこともあるそうだ。
当時の物流状況を考慮すれば、まさにイノベーション。このチャレンジは、多くのお客様の笑顔となって結実する。
ちなみに、久志本氏のお父様も事業家で、日大の経済学部を卒業し、映画製作などに取り組まれたあと、飲食事業にも取り組まれ、最終的に不動産会社を起業されている。

専業主婦からの転身。

「実は私、RDCに就職するまで8年間、専業主婦だったんです。私が入社した頃は、まだ10店舗くらいだったと思います」。
今からすれば、まだまだ始まった頃の話。
先に話を進める前に、専業主婦時代の話も少し。
「結婚は、私にとって一つの挫折だった」と久志本氏はいう。悪い意味ではなく、思い通りにならない時代だったという意味。
「大学で寮生活を始めるのですが、2人部屋ということもあって、そちらでも『私』という個を主張することができなくなった経験がありました。一緒に生活していこうとすれば、相手に寄り添うことが前提になります」。
「その経験を経て、性格が変わった」と、久志本氏。
本の虫の、孵化が始まる。
「寄り添うという意味では結婚もおなじです。ただ、家族というのは思い通りにならないものの、絶対的な味方。その意味で、精神的な安定を得ることができたのも事実です」。
「自身の思い通りにいかない」という葛藤は、「挫折」という言葉に置き換わり、人生の伴侶と、子どもたちに囲まれ、日々の暮らしは明るく彩られた。
子どもたちが手を離れるようになったこともあったのだろう。平成5年から兄の片腕となるべく、RDCでの勤務を開始している。当時10店舗くらいだったというのはすでに書いた通り。
ところで、いつ頃から「がってん寿司」は、埼玉以外でも有名になったのだろう。
「TVチャンピオンじゃないですか。3連勝していますから」。確かにTVチャンピオンで3連勝のインパクトはでかい。「『がってん承知』の合言葉も面白がっていただけたのではないでしょうか」。
個人的には、絵本から飛び出してきたようなイラストも面白い。やがて、「がってん寿司」は海を渡っている。海のない埼玉県で生まれ、海を渡る。それ自体、ロマンのある話。
この兄の構想を実現すべくサポートしてきたのも久志本氏だった。妹は、兄にとって懐刀のような存在だったんじゃないだろうか。むろん、兄妹だから、だけではない。類まれな久志本氏の経営手腕を、兄大島氏は早くから見抜かれていたはずだ。

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