2019年2月1日金曜日

株式会社キングファクトリーグループ キング軒代表 渡部 崇氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社キングファクトリーグループ キング軒代表 渡部 崇氏登場
本文より~

広島県廿日市のベットタウン。

広島県廿日市は、広島県西部にあり、有名な宮島も廿日市にある。南を向けば海が広がり、北には中国山脈がつらなっている。今回、ご登場いただいた「キング軒」の代表、渡部崇氏が、この廿日市に生まれたのは1977年。
小学校は14クラスあったというから人口も多かったのだろう。調べてみると、大手の工場も少なくなかったが、主にベッドタウンだったようだ。
「小・中も地元です。高校は地元の工業高校に進みました。就職先は、みんなマツダ関係です」。
もっとも渡部氏の進路は違った。
「私は就職ではなく、アパレル関連の2年制の専門学校に進みます。でも、当時、就職先がなくって、京都にあるハーレーダビットソンのショップに整備士として就職しました。アメリカにも工場があったくらいですから、それなりに大きな会社でした。こちらで2年勤務し、広島にハーレーのショップを出店するんです」。
のれん分けだったそうだが、無謀に思えなくもない。どうだったんだろう。

22歳、ハーレーダビットソンのショップを経営す。

「22歳です。若気の至りというんでしょうか。結構、私も尖がっていて。当時ハーレーを買おうなんて人は、たいていお金持ちです。でも、私は、お金があるからじゃなく、『ハーレーが好きだから』って人に買ってもらいたかった。正確にいうと、そういう人にしか売らなかった/笑」。
一理あるが、ビジネスは、それではうまくいかない。
「そうなんです。全くうまくいきませんでした。本部とももめちゃって。で、ショップを閉めて、残ったのは1200万円の借金だけ/笑。いまだから笑えますが、笑うに笑えません」。
バイトをかけもちしたが、そう簡単に返済できる額ではない。1年後には、元気で明るい性格で、だれにも愛された渡部氏の、心がへしゃいだ。
「だれにも言ってなかったんです。親父にも、爺ちゃんにも。ただ、仲のいい先輩が私の異変に気づいてくれて。『商売の借金は、商売でしか返せないよ』とアドバイスしてくれたんです」。
たしかに、アルバイトで、それなりの金利がつく1200万円を返すのは、ちょっと困難だ。不可能にちかい。「それで、商売をはじめて、なんとか合計3年で借金を返済するんです。この時にお金に詳しくなった。そういう意味では、いい経験だし、財産ですね」。
「スタッフを恨んだこともあった」と渡部氏は正直に明かしてくれた。借金返済のために開始したのは、「健全」とは言い難い、夜の事業だった。しかし、それも隠さない。社員にも、ちゃんと明かしている。
壮絶な覚悟だった。だから、心の底では、だれも笑わない。「うちの代表ってな」って、だれかに自慢しているかもしれない。ともあれ、渡部氏最初の事業は、失敗に終わる。

人間、丸くなる。

「借金を返済できたので、事業をたたみ、30歳になるまで5年間、青果市場ではたらきました」。昼と夜が逆転する。その頃から性格も丸くなって、「ぜんぜん怒らなくなった」という。
角が落ちた? 「いろいろ、きつい経験をすると、丸くなるんですね、人間は」そう言って、渡部氏は笑う。たしかに、柔和な笑みだ。「そのあと、青果市場の社長が、ファッション系の広告代理店を紹介してくれて、そちらで2年です」。
思えば、いろいろやってきた。角が取れ、人間的にも色合いを深めた。それからもう一度、転職する。「広告代理店の社長の知り合いで、ワインの会社で働いてる方がいて、そちらで営業を中心に3年間勤務します」。
人間、丸くなる。ただ、祖父、父とつづく、渡部家の商売人のDNAは、そう簡単に角を隠さない。「ワインの会社で勤務していた頃に、カフェ・バーをオープンします。これが、けっこうあたって。サラリーマンとオーナーの二足のワラジです。ワインも、会社のワインを卸せましたから、一石三鳥ですね/笑」。
うまい具合になっている。しかし、それがなぜ、「汁なし担担麺」につづくんだろうか。
・・・続き
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