2017年4月12日水曜日

株式会社ダルマプロダクション 代表取締役 古賀慎一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ダルマプロダクション 代表取締役 古賀慎一氏登場。
本文より~

秀才、バスケ少年たち。

小学生からバスケットボールをはじめ、中・高も続け、熊本大学でも、少しだけ続けた。子どもの頃の思い出は、バスケットボールに尽きる。とくに高校時代は、今尚、鮮明に記憶している。
「うちの高校は、背が低かったんです。183センチの私がいちばんでかいほうでしたから(笑)」。180センチをオーバーすれば十分、でかいが、バスケットボールの世界ではそうではないらしい。他校の選手はいうに190センチを超えていたそうだ。
「背丈で劣っているぶん、戦術重視です。時には、トリッキーな動きとか、そういうのを駆使して勝ち上がっていきました」。秀才たちがそろった学校だから、戦術が、肉体を凌駕する、それが、楽しかった。学業は、佐賀ではいちばん。それでいて、スポーツの成績もいい。「もっとも、県外にでれば、佐賀でいちばんでも、ぜんぜん歯が立ちません。とくに沖縄や福岡の高校は別格でした」と笑う。
勝敗はともかく、バスケットボールは青春の思い出である。
「チームというのを意識できるようになったのも、バスケットボールのおかげです」と古賀氏は語っている。

ジブン探しの2年間。見つけたのは、「稼ぐのはたいへんだ」ってこと。

大学は、「熊本大学」に進んでいる。九州では、「九州大学」に続く名門だ。
「親父が、工学部の教授だったこともあって、小さな頃から国立大学×工学部というのが、既定路線でした。でも、どこかに親父に反発する気持ちがあって、工学部でも、親父とはちがう分野に進みます。もっとも、進む方向は大学6年間のうちにさらにそれ、外食というまったく異質の分野に進むようになるんですが(笑)」。
大学に進んだ古賀氏は、少しばかりバスケットボールをかじるが、すぐに大学にも行かなくなった。親元から離れていたから、親の目もない。いろんなバイトをした。飲み屋のボーイもしたし、土方もした。ジブン探し、だと古賀氏はいうが、自分の足で歩き始めたのが、この時だったのかもしれない。
「ただ、2年間、ジブン探しをして、悟ったのは『お金を稼ぐっていうのは、たいへんだな』ということでした。ちゃんと大学を出る、その意味がなんとなくわかり、復学しました。もっとも2年間、授業にも出ていないので、もう1度、1年からやり直しです(笑)」。

「飲食」に心が奪われた、残り4年間の在学期間。

2年間、何をしても、ジブンが何者かわからなかったにも関わらず、復学してからはじめたアルバイトで、何者であるかのしっぽを簡単につかんだ。「おしゃれな中華料理の居酒屋です。最初はホールだったんですが、たまたまキッチンのスタッフが休みで、『入ってみるか』と言われて。これが、ある意味、すべての始まりです」。
いつの間にか、社員同様、どっぷり勤務するようになる。社長とも、距離が近く、時に誘われ、飲みに行った。古賀氏のことだから、自分から誘ったことがあったかもしれない。社長の知り合いの経営者たちとも会い、憧れる。「当時、会社はいきおいがあって、中華以外にもアジアン料理とか、いろいろな業態をやっていたんです。社長に直談判して、ぜんぶやらせてくれ、って言って」。
授業には顔をだしたが、やりたいことは教室になかった。「一度、不毛だと思って、親父に、早く大学を辞めて、料理の道に進みたいといったんですが、むろん却下です。たしかに親父がいうのも一理あったので、とにかく、卒業しようと、合計6年、大学に通いました。そして、卒業証書を受け取った、その日に、親父に証書を郵送し、私自身は、その足で東京に向かいました」。

・・・続き
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