2016年6月22日水曜日

株式会社SOLE 代表取締役 上野陽治氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社SOLE 代表取締役 上野陽治氏登場。
本文より~

会津若松市にて、過ごした少年時代。

福島県の西部一帯を占める会津地方の中心が、会津若松市である。今回ご登場いただく上野氏が会津若松に生まれたのは1982年のこと。2人兄妹の長男である。
「小学校の頃は、近くの阿賀川で魚を取ったり、泳いだりして遊んでいました。周りの子は、ファミコンを持っていましたが、うちは買ってもらえなかった。ぜんぜん裕福じゃなかったからです」。
成績は10番目くらい。小学4年生からバスケットボールをはじめ、中学校ではバレー部に入った。「野外でするスポーツがどうも苦手だった」と上野氏。バレー部は結構な強豪校で、上野氏の1つ上の学年までは、会津市の大会でつねに優勝していたそうだ。「私たちの代で監督が代わって、急に弱くなりました(笑)」。なんでも監督自身、バレーの経験がなかったそうだ。

ツイストパーマをかけ、茶髪で決める。

会津工業高校に進学した上野氏は、音楽に熱中する。音楽は野外でやらないから問題がない。バンドを結成し、ライブハウスで演奏した。チケットをさばくついでに、女の子にアプローチし、連絡先を聞いたりもした。多少なりとも利益がでたというから、人気バンドだったのだろう。もっとも、親から小遣いを貰ったことがない上野氏である。ケータイ代のために、セブンイレブンでアルバイトもしなければならなかった。
「音楽は、高校1年からスタートしました。当時は、パンクが流行っていて、私の頭もツイストパーマで茶髪です。だからと言って、真面目じゃないわけじゃありません。ただ、担任の先生がおおらかな人だったから許されたものの、そうでなければ、ずいぶん怒られたかもしれない。バイトも、髪型も、校則違反です(笑)」。
「セブンイレブンのバイトは楽しかったです。オーナーがとてもいい人で、私らをかわいがってくれました。展示会にも連れていってもらったし、経営のことも、勉強させてくれました」。
仕入れから流通、販売まで。原価がわかれば、利益構造もイメージできる。すべてがわかったわけではないが、高校時代から、そういう経営目線を持っていたことが伺える。
「そうですね。たしかにあの頃から経営に関心があった気がします。ライブだって、チケットをさばいて会場費を払って、残りが利益でしょ。さばいただけ、利益になる。そういう単純な構造に惹かれたんでしょう」。

6年間の下積み時代。

「お金があったら、東京に行っていたかもしれません」と上野氏は言う。会津だけでは、なかなかいい会社に出会えなかったからだ。「当時、カリスマ美容師っていうのが流行っていて、一時は、美容師もいいなと思ったんですが、専門の学校に行くにも、とにかくお金がない。とはいっても普通の就職を考えていたのは最初だけで、卒業する頃には、独立を前提に考えていました。そして、就職したのがバーです。いちばん、給料もいいし、何より私にも独立できそうな気がしたからです」。
月23万円。たしかに給料も悪くなかった。両親に反対されたが、聞く耳をもたなかったそうだ。「合計6年間。昼夜逆転の生活です」。この6年間を上野氏は、「下積み」と明言している。6年間、独立という目標を見失わなかった証拠ともいえるだろう。
独立すると明言していたが、実際に独立すると、後指をさされたそうだ。あいつにできるわけがない、と。「いわば、同業のライバルですから、そう言われてもしかたありません」と上野氏は悪きっている。
ところで資金はどうしたんだろう。「いっときは300万円くらいまで貯めたんですが…」と苦笑い。
一人暮らしを始め、車も購入して、使ってしまったそうだ。
「そういう意味では、目標を見失いかけていた時期があったのも事実です。これではまずい、と思ったのが23歳の時です」。再チャレンジ開始。1年間で150万円を貯蓄した。これが、独立の元手となる。

・・・続き
株式会社SOLE 代表取締役 上野陽治氏
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