2016年2月16日火曜日

株式会社たき航グループ 代表取締役 滝 航也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社たき航グループ 代表取締役 滝 航也氏登場。
本文より~

弱い者は、守った。正義の味方、参上。

兄とは4歳、弟とは11歳、年が離れている。「だから、兄弟喧嘩をした記憶はない」と、今回、登場いただいた滝 航也氏。
滝氏は、1970年6月29日、横浜市旭区に生まれる。父は自営業者で、母方の祖母は品川で焼鳥店を経営していた。
「父もそうですが、祖母もいわば自営。だからでしょうか。小さな頃から『人の下ではたらくのはイヤだな』と思っていたんです。当時から、人にアレコレ言われるのは、イヤというタイプでした」。
学校では、やんちゃ者だったが、正義感はつよかった。悪い奴が相手だと手がつけられなくなったが、一方で、弱い者は絶対に守った。
スポーツはなんでもできた。サッカー、水泳、陸上…、体育では、いつも注目されていた。ちゃんとスポーツをつづけていたら、なんらかの選手になれていたかもしれない。しかし、中学になって早くも青春を謳歌しはじめる。

パンチパーマをかけた、正義の味方。16歳から社会にでる。

「いま思えば、若気の至り」と滝氏は笑う。「パンチパーマをかけ、肩で風を切って、俺は強いんだみたいな…」。正義感も強かった滝氏は、みんなを束ねてもいた。
それでも、高校にはかろうじて進学。しかし、通ったのは半年に過ぎなかった。
「私は、16歳からはたらいています。板金塗装や、免許を取ってからはトラックにも乗りました。そうですね。21歳で大型や牽引の免許を取って、23歳になった時には給料が100万円を超えていました」。
それでも、仕事は将来独立するためと割り切っていた。だから、給料が良くても、ずっとトラックに乗るつもりはなかったそうだ。
「20歳から、仕事のかたわら、キックボクシングを始めました。精神力を鍛えるのが目的でした。サンドバックに向かっていると精神が研ぎ澄まされるんです」。
プロの試合にも出た。
「だいたい17時に仕事が終わり、それから1時間くらいかけてジムに通う毎日でした。当時、キックボクシングはまだまだマイナーなスポーツだったんですが、私は、全身を使いたかったから、それならキックボクシングだと思ったんです」。
からだを動かしているうちに、汗が滴となり、眠っていた強い精神が覚醒する。このジムで、もう一つ覚醒した心があった。
それが、起業である。

起業へ、と。

「元々25歳までには起業しようと思っていたんです。でも、何をしたらいいかわからない。ジムに入門したのも、そういう迷いを吹っ切りたかったからなんです。このジムの会長がホルモン焼の店を経営していたことで、飲食への道が開けます」。
ジムの仲間と会長の店に通うようになって、飲食に興味がわいた。23歳で、前職を退職し、会長の店で修業を開始する。
「ただ、小さな店だったものですから、学べるものも少なかった。それで、飲食で独立するなら、ちゃんと学ぼうと、数ヵ月して大型のチェーン店に転職します。この時には、もう気持ちも固まっていましたので、25歳までの2年でどれだけ勉強できるかが勝負だと自分に言い聞かせ、真剣に取り組みました」。
肉の仕入れ、調理、すべての仕事に真剣に向き合った。2年後、頑張る滝氏にジムの会長が「店を譲渡する」という話を持ち込んできた。
「ジムの会長には、飲食の楽しさを教えていただいたばかりか、起業のチャンスもいただけたと思って、今も感謝しています。会長がくれたチャンスというのは、元々、私もいたホルモン焼のお店の譲渡話でした」。
滝氏が25歳の時、たまたま会長が新店を開業することになり、元のホルモン焼の店を滝氏に譲渡するという話を持ちかけたのである。滝氏は、むろん快諾。
経営権を買い取るには、資金がいったが、屋号も内装も、そのままで始めることができた。
25歳、目標通り、滝氏は独立する。

・・・・続き
株式会社たき航グループ 代表取締役 滝 航也氏
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