2015年12月1日火曜日

大東企業株式会社 代表取締役社長 北尾拓也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”大東企業株式会社 代表取締役社長 北尾拓也氏登場。
本文より~

3代目、当主、逃げ出す。

戦後、焼け野原の東京のあちらこちらで、小さな飲食店が生まれた。今回、登場いただいた大東企業株式会社、代表取締役社長、北尾拓也氏の祖父が銀座に開いた喫茶店も、そうした店の一軒だった。
「元々、祖父はバスの運転手、祖母がバスガイド。それが縁で結婚したらしく、バスガイドを辞めた祖母が喫茶店を開いたのが、始まりだそうです」。
 北尾氏の話によれば、店は流行り、2号店、3号店も出店したそうである。
「そのあと、私たちの父の代となり、今度は、イングランド風の洋風パブに挑戦しました。こちらは100メートルほどの列をつくる人気だったそうで、このパブもすぐに4店舗ほどになったと言います」。
北尾氏が誕生したのは、この頃。
「貧しくはなかったですが、父も母もいそがしく、食卓を囲むこともなかった気がします。兄弟は、男ばかりの3兄弟で、長男が私。いそがしい父母を観ていたからでしょうか、家業を継ぐ気はまったくありませんでした」。
これには、もう一つわけがあって、子どもの頃の北尾氏は、親に反発していた節がある。中学時代には一度、家出もした。
「子どもの頃から、勉強、勉強です。TVゲームで遊んだこともありましたが、早くから塾にも行かされ、とにかくスパルタ教育です」。
勉強を強いられることよりも、期待をかけられていることが、息苦しかった。反動で、中学からはまったく勉強もしなくなったそうだ。
「弟たちは、私と違って、まったく自由です(笑)。それを観て、長男に対する期待がわかっても、私にとって、期待は重荷以外何ものでもなかったんです」。

高校卒業、就職へ。

中学ではバスケットボールの選手だった。いちおう、学校には通学していたが、前述通り、勉強とは無縁。ギリギリ、入れる高校をみつけて進学した。
「目黒にある高校でした。卒業後は、しばらくは家でぶらぶらしていたんですが、お父さんの目が段々鋭くなってくるのがわかって、それで、しかたなく藤沢にある、とあるおもちゃ関係の会社に就職したんです。もちろん、通うことはできないので、独り暮らしのスタートです」。
これが、北尾氏の社会人の始まり。正確に言えば、サーフィンの始まりでもあった。

サーファー、社員。社長になりたいと思う。

「従業員5~6人の会社だったんですが、とにかく、ゆるい会社でした。休憩時間になると、みんな波乗りに行ってしまうんです。私は、サーフィンは知らなかったもんですから、最初は戸惑っていましたが、そのうち、みんなといっしょにサーファー社員です(笑)」。
 サーファー社員といっても、仕事はきっちりしていたそうで、社長とも親しく、口をきいてもらっていた。
「そうですね。まだ30代だったと思うんですが、社長と話をしているうちに、私も社長業というのをやってみたくなったんです」。
その会社にいたのは、合計6年。当時の社長に刺激され、社長業に、憧れた。
「社長になるには、父親の跡を継ぐのがいちばん手っ取り早いと、思って、お父さんに会って、『会社に入れてくれ』と頼んだんです」。
日焼けした、息子が帰ってきた。動機はどうあれ、ご両親は、ひと安心されたことだろう。

社長の、試練。

両親の思いとは別に、突然、帰ってきた3代目への、社内の風当りは、相当きつかった。掃除や雑用が、北尾氏のメインの業務だったことからも、当時の様子をうかがい知ることができる。
一方で、北尾氏は、弟2人も会社に入れ、父親ともひんぱんに、会話をするようになった。
「弟を引き込んだのは、淋しかったからかもしれません。お父さんと会話するようになったのは、職場で、だれからも尊敬される父をみたからかもしれません。とにかく、そうやって少しずつ、私は、社長にちかづいていきました」。
ところで、会社の事業の話は、「洋風パブ」で止まってしまっていたが、その後も、居酒屋ブランドを出店するなど、挑戦をつづけ、いずれも好成績を残す。
その後、「個室会席 北大路」というアッパーなブランドが主流となる。「日本料理 うるわし」「個室居酒屋 番屋」も、その流れを受け継ぎ誕生した。
「アッパー路線は、料理人たちのことを思って、進んだ道です。彼らの待遇を上げるための、秘策でもあったんです」。
もちろん、アッパーな店になればなるほど、経営は難しい。
実際、経営危機にさらされたこともある。
「私が社長になって2年くらいの時です。2008年の世界的な同時不況。接待需要も、落ち込み、売上は30%ダウンしました」。
しかし、北尾氏はうつむかなかった。
「ピンチをチャンスに、という言葉があるでしょ。とにかく、いろんな方法を試し、ネットならリスティング広告も盛んに出しました。そういう、努力が、いま実を結んでいると思います」。
時代はかわって、アベノミクス。状況はいっぺんした。接待などで訪れる客がふえたうえに、いまや海外からの旅行者も少なくない。
時代はパッとかわった。しかし、時代の恩恵を、すべての店が受けているわけではない。

・・・続く
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