2014年1月7日火曜日

有限会社食匠厨房 代表取締役 坂本紘一氏登場。

本文より~

転勤家族。

1981年7月8日、坂本は山口県に生まれる。いまの風貌からは想像しにくいが、わがままでガキ大将。きかん気の強い少年だったそうだ。
父は大手生命保険会社のサラリーマン。大阪からスタートした転勤の数々は、代理店として独立開業されるまで計7回。その度に母と坂本と妹と弟の計5人も、引っ越した。引っ越す度に、友だち作りもゼロから。ガキ大将は、だんだんまるい性格になっていったのだろうか。
「まさに転勤家族です。今となっては、いい経験だったと言えなくもないですが、子どもの頃ですから、楽しいだけではありません。それを砕いてくれたのが、スポーツでした。小学生から始めたサッカーは中学生いっぱいまで続けました。」

ラグビー部からヨット部へ。

中学までサッカーボールを追いかけた坂本は、高校に入り「ラグビー部」に所属する。強豪校ではなかったが、サッカーとはまた違う、チーム競技を楽しんだ。
「一度、高校に入ってから父に想像していた学校と違うから辞めさせて欲しいといったことがあるんです。それなりの進学校で、窮屈だったんでしょうね」。
「ぼくは昔から『職人』という響きが好きで、料理人に憧れていたこともありました。だから高校を卒業する段になって、何をしようかと思った時、職人という言葉も頭に浮かんだんですが、両親からの説得もあり、とりあえず大学だと。適用範囲の広い、経営学部に進みます」。
坂本が進学したのは「横浜国立大学」。大学時代にはヨット部に所属した。職人への思いは脇に置き、ともかく海に向かった。

皿洗いからスタートした飲食人生。

「人生の転機を挙げるなら、ヨット部に入ったことと、卒業後、リンク・ワンに就職したことです。うちのヨット部は入部当初はぜんぜん強くなかったんですが、いつの間にかヨットの魅力に惹かれ、主将として素人集団を率いて全日インカレや日米親善大会へ連れて行きました。4年間、休日になると海に向かう、そういう生活を送りました」。
「大学生になって初めてアルバイトも経験しました。飲食がほとんどです。初めてバイトを開始したのは、年末。今なら年末が飲食店にとってどういうものかわかるんですが、何しろ初めてだったものでわけもわからず、ひたすら皿洗いをさせられました(笑)。
年が明け、客が落ち着いた頃になって初めていろいろ教えてもらったんですが、この時は、一生、飲食をするなんて思いも寄らないことでした。もっとも、その後の進路に株式会社リンク・ワン(※)を選んでいるんですが…」。
リンク・ワンでの4年半も、坂本にとっては貴重な時間、貴重な経験の毎日だった。
「独立志向は、なかったですね。トップに立つよりも、ナンバー2がいい。そういうタイプなんです。リンク・ワンでは『知恵を出せ、知恵がないなら汗をかけ』という言葉に代表されるように、わからないことだらけの環境で成長するために、馬車馬のようにがむしゃらに働きました。リンク・ワンを退職したのは、結婚したこともあって落ち着こうと思ったから。とは言っても飲食戻ってきてしまいましたけど(笑)『大関商品研究所』に転職するのは、そのあとのことです」。・・・続き

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