2014年1月14日火曜日

カリスマパティシエの株式会社スーパースイーツ 代表取締役 辻口博啓氏が登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”にあのカリスマパティシエの株式会社スーパースイーツ 代表取締役 辻口博啓氏登場。
本文より~

辻口少年の決意。

地図で確認すると、七尾市は能登半島の東側の海沿いにあり、金沢駅から七尾線を北上すれば、到着する。自然に囲まれた町で、少年、辻口は、海と山でよく遊んだ。とくに祖父と行く釣りが好きだった。いまもサザエを獲るのが好きで、時々、海に潜るのだという。
その祖父が「和菓子屋」を開業したのはいつ頃だろう。辻口が生まれた頃には、父が店主となって、市内にすでに3店舗を展開していたそうだ。
幼い頃から和菓子職人になりたいと思っていたのは、父の仕事をみてきたからだろう。
そんな辻口が洋菓子に興味を抱いたのは、小学3年生の時。友人の誕生日に招かれた時のことである。
「バースデー・パーティで、初めてショートケーキを食べたんです。それが、洋菓子に目覚めたきっかけです」とのこと。
ただし、悔しい思いもした。
「田舎だったこともあり、バースデー・パーティなんかに呼ばれたのは、あれが最初です。私は熊の貯金箱をプレゼントしました。パーティでは、鮨や食べたことのないような料理がでて、それで最後にショートケーキだったんです」。
とても、この世のモノとは思えなかった、と辻口。生クリームとスポンジの鮮烈なハーモニーにすっかり魅了され、行儀も忘れ、気づいた時にはお皿を舐めていた。
それを観ていた友人の母親が、悪気があったわけではないだろうが、「こんなに美味しいケーキは、辻口くんの家にはないでしょう?」といった。和菓子屋の息子である。和菓子をバカにされた気もした。
「それで、反論しようとするんです。『うちの和菓子のほうがうめぇよ!』って。でも、皿まで舐めちゃっているわけでしょ。だから、なにも言えなかった。あのときは凄く悔しい思いをしました。私が、『絶対、美味しいお菓子をつくってやる』と誓ったのは、実は、この時で、洋菓子を選択したのは、悔しいですが、いただいたショートケーキがとんでもなく旨かったからなんです(笑)」。

高校、卒業まで。華やかな日々と、暗澹とした日々。

洋菓子屋になる、と決意したことで、勉強は捨てた。だから、授業中はろくにノートも取らない。机に釘を差してピンポンゲームをやったり、消しゴムを飛ばしたりしていたそうだ。
一方、スポーツは好きで、万能。好きな絵では展覧会で何度も賞を獲ったりもした。中学から始めたテニスでは能登エリアで3位という好成績を残している。
ブルースリーにも憧れ、少林寺を習った。
高校に進学すると、テニスと空手に熱中。2年時には、3年生も含めた全児童が参加するスポーツテストで1位になったこともある。
生徒会長も応援団長も、務めた。
正義感が強く、弱い者いじめは許さなかった。代わりに、自分より強そうな相手とは、進んで拳を交えた。結果、極真の「茶帯」。能登では黒帯はそういない。だから、茶色の帯は、上位者の証だった。
生徒会長になったことで、責任感も生まれたのだろう。学校の成績も「最下位から、上位25位に、いっきに食い込んだ」と胸をそらす。生徒会の挨拶では、登場するたびにCDラジカセのスイッチをONにして、バックミュージックを流した。「高校を私物化していた」と言って笑う。社交性も生まれ、何をするにも辻口が中心だった。
得意満面だったにちがいない。
学校では、自由に振舞う目立つ存在だったが、家に帰ると、そういうわけにもいかなかった。
「高校に進学する頃から台所事情がきびしいな、と思っていたんです。卒業する頃には、もう資金が回らなくなっていました。もっとも私は最初から就職するつもりでいましたから、それが進路に影響することはなかったんですが。妹や弟もいましたから、どうなるんだろうと心配にはなりました」。
とにかく、卒業。学校の紹介で、都内の洋菓子店に就職。上京のために1人、列車に乗り込んだ。・・・続き
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