2013年8月20日火曜日

株式会社IKD 代表取締役 笹間 章氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社IKD 代表取締役 笹間 章氏登場。
本文より~

1951年、生まれ。

1951年10月16日、笹間は、港区の六本木に生まれる。2人兄弟の長男。母方の祖父は九州から東京にでてタイプライターの輸入、販売で財を成した敏腕経営者。父もまた祖父同様、タイプライターの輸入・販売で独立したが、ワープロの普及とともに経営が悪化する。
記憶では笹間が小学2、3年生になったあたりから、きびしい経営状況が子どもたちにもわかるようになったとのことである。
それ以前、つまり笹間がまだ幼い頃は、会社もまだ好調で「六本木の高級レストラン」や「有名なホテルのレストラン」にしばしば通っていたそうだ。
一方、「小学生の頃はコマ劇前の広場が遊び場だった」と笹間がいうように、いまと違って当時は新宿もまた子どもたちの喧騒が聞こえる街だったようだ。

両親の離婚。育てられた偏見のない視点。

「父の事業が傾き始めたのは、私が小学2、3年生の頃。かなりの借金を抱え、家族4人で夜逃げ同然で町を離れたこともあります。親たちは暗澹たる気持ちだったんでしょうが、私たち兄弟はまだ子どもだったんで『貧乏だろうとそれはそれで別に構わない』という心境でした」。
家族4人の生活は、そう長くつづかなかった。笹間が中学生になったとき、両親が離婚したからだ。兄弟2人は、父の下に引き取られた。
多感なときの両親の離婚だったが、笹間はけっして非行には走らなかった。母を恨むこともない。「もう少し大きくなってからは、母とも、母の再婚相手とも自然と付き合っていました。いま振り返れば、人を色眼鏡でみることなく、また偏見を持つこともなく、どのような人ともフランクに付き合えるような性格になったのは、あの頃の経験があったからだと思います」と笹間は語っている。
「偏見を持たない」。これは経営をするうえでも大事な視点である。ちなみに辞書によれば「偏見」とは、<かたよった見方・考え方。非好意的な先入観や判断>のことを言うらしい。

ホテル業、志望。

「ホテル業」に興味を持ったのはいつ頃からだろうか。高校時代には「大学生だ」と嘘をついて、いろんなホテルでバイトをさせてもらった。高校卒業後は「ホテル部門」がある観光専門学校に進学。卒業後は「はとバス」直営のキャピタルホテルに就職した。
ところで、笹間が就職した1970年は、大阪府吹田市で万国博覧会が開催された年である。翌年には「マクドナルド」や「ケンタッキー」の1号店がオープンする。またチェーンストア理論をひっさげ、多くの「ファミリーレストラン」が誕生するのも、この頃である。
食文化という一点でみれば、日本の大衆のなかで洋風化が進み始めたのが、1970年代であり、その突端の年に、笹間は社会に出たことになる。
ホテル業に興味を持ち、ペンションで起業しようとも考えていた笹間であったが、あることがきっかけで、「飲食」で独立しようと心を定めることになる。これが21歳のとき。社会に出てわずか1年で「キャピタルホテル」を退職し、「飲食の戦士」の一歩を踏み出すことになった。・・・・続き
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