2013年8月14日水曜日

有限会社フィックス 代表取締役 古川香織氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社フィックス 代表取締役 古川香織氏登場。
本文より~

「お母さん」と呼ばれた園児の話。

幼稚園の時のあだ名が「お母さん」だった。「体格が良く、活発だったから」と古川は、いまでも大きな体をゆすって笑う。
子どもの頃から運動神経も良かった。小学校高学年からは、本格的にバレーボールを始めている。「この時のことが、私のベースになっている」というほど、中身の濃い練習と、厳しい指導が待っていた。
「むちゃくちゃ強かったんです。でも、練習もめちゃめちゃさせられた。365日休みなし。いまだったら、大問題になること間違いなしの、スパルタです(笑)。あのとき、考えられないような理不尽な体験、恐ろしく厳しい体験をしたことで、肝っ玉が据わったというか。とにかく人生、『根性』『気合い』『死ぬ気』『やる気』で乗り越えられる、と知ったんです」。
「マゾっけがある」、と言って古川は、こちらを笑わす。たしかに、「厳しさ」を求める傾向はあるようだ。
「中学になってもバレー部に入ったんです。でも、ぜんぜん厳しくなくって。3ヵ月ぐらいで、もう辞めようかなと。そんな時、隣をみると剣道部が激しい練習をしていたんです。『これだ、この感じだ』と思って、剣道に乗り換えちゃいました。結局、中学時代は、剣道部で副部長を務めます」。
バレーに剣道。共通項は「厳しさ」。この頃から、古川は「あいまい」や「生ぬるさ」といった中途半端さを嫌っていた気がする。ただし、「厳しさ」や「激しさ」を求める性格は、ある意味、激動の人生を予感させる。

お笑いコンビで、芸能界デビューした話。

古川には兄が1人いる。なんでも習志野では、超が付く有名人だったそうだ。もちろん、いいほうではなく、悪い評判で。その影響を受け、古川には「古川の妹」という別名もあった。しかし、東京の高校に通いはじめたせいか、さすがに、高校になると「古川の妹」とは呼ばれなくなった。
ところが、今度はこの妹のほうが、とんでもないことをしでかす。
「ぜんぜん知らない子だったんです。いきなり声かけられ『お笑いコンビを組んで、いっしょにホリプロのオーディション受けよう』って誘われたんです。人を笑わせるのは、好きでしたから、『いいよ』ってことになって。でも、まさか合格するとは思っていませんでした。コンビ名ですか? 『果樹園』です」。
結局、2年で解散することになるが、いきなり芸能界デビューで、しかも、一時期は、かなり注目されたコンビだったそうだ。「ホリプロ所属の、お笑いコンビがまだ少なかったこともあって、注目されたんだと思います。でも、注目されると嫉妬や僻みが凄かった。結局、そういうのにもついて行けず解散してしまうんです」。
芸能界には、表も、裏もある。表がきらびやかであるぶん、裏は暗い。元々、なりたくてなったわけではない。ある日、誘われて「シンデレラ」のように、突然、芸能界にデビューした、それだけの話である。とはいえ、スターダムをかけ上がる夢をみたこともなくはない。ただ、コンビを解散したことで、迷いも吹っ切れた。 ・・・続き
有限会社フィックス 代表取締役 古川香織氏

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