in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社鶏ヤロー 代表取締役 和田成司氏登場。
本文より~鶏ヤロー、このヤロー。
和田さんに、ご登場いただいたのは7年前。当時、メニューをみて、ビックリした記憶がある。実際、前回の記事には<角ハイボール50円、焼酎99円、生ビール280円>驚きの金額を挙げている。
念のため、現在、2025年8月のメニューも調べてみて、ふたたび唸った。レモンサワー50円、ハイボール99円、焼酎199円、生ビール299円。若干の値上げはあるものの、それでも圧倒的な低価格をキープ。物価高の今、激安スーパーでもこの金額はなかなかないだろう。
その一方で、型破りな加盟金はさすがに値上がりしていた。鶏ヤローの<加盟店募集のページ>には<FC加盟者募集!!加盟金200万円!!(加盟金調子こいて値上げしました!!ちょい前は50万、もっと昔は50円)>と赤裸々につづられていて、いかにも和田さんらしいと、笑ってしまった。
愛着込めて、<鶏ヤロー、このヤロー>である。
ちなみに、<勝率95%以上(実績)の激安FCシステム!>とつづく。
前回のインタビュー時は、加盟金、50円。比較すると、天文学的なアップだが、加盟金200万円、ロイヤリティ月10万円は、けっして高くはない。
社内独立組も18名となっていた。店舗数は格段にアップしていて、2025年8月現在、88店舗。前回比で4倍以上となっている。
時代に竿をさしつつ、呑んべぇたちのオアシスを守り、快進撃をつづけてきた鶏ヤロー。今一度、経営者の和田さんにスポットをあててみた。
「超貧乏」。野心と、船井論語との出会いと。
和田さんが生まれたのは、1982年12月13日。
<起業という目標を掲げたのはいつ頃から?>と聞くと「超貧乏だった」と、子どもの頃の話をする。
「うちは兄弟が3人で、上に姉と兄がいます。私と兄は小学校がちがうんです。体育の時間になると、いつも指をさされます」。
理由を聞くと、体操服を買うお金がなくて、和田さんが着ていたのは兄のお下がりだったから。当然、他校の名が入っている。
「お金のことでしょっちゅう父と母がケンカをしていました。だからでしょうね。母はいつも『お金持ちになりなさい』っていうんです」。
<刷り込まれた?>
「でしょうね。お金があることが幸せだと。つまり、幸せになるためには、お金もちにならないといけない。お金持ちになるためには、社長にならないといけない。だから、起業」。
シンプルな論法。
小学生、中学生では、空手に、キックボクシング。高校はバイト三昧。
「偏差値30の高校です。だからじゃないですが、バイトにも寛容で初めて飲食店でバイトを始めます。これが面白くて。起業と飲食が結びつくきっかけになります」。
和田さんは、高校卒業後、専門学校で調理を学び、焼肉屋「鳴尾」で修業し、27歳で独立している。結婚はさらに早く、21歳の時。独立の際には2人目のお子さんができた頃だそう。
ところで、専門学校の頃までと、今の和田さんを比べると、同じ匂いがするものの、ロジカルな印象が加わってくる。
「『鳴尾』の社長と出会って、根っこは同じなんでしょうが考え方はかわりました。社長とお会いするまで、本を読んだこともなかったです(笑)」。
和田さんが「鳴尾」に就職したのは21歳の時。なんでもできると信じる年頃。その社長から、いきなり「本を読め」と言われたそうだ。
推薦本は「船井論語の人生編」<船井 幸雄著、中島 孝志著>だった。この「船井論語」を「人生で一番読んだ本」という。上司に進められてもたいていの人は読んだふりをする。実際、「ちゃんと読んだのは和田だけ」と言われたそうだ。
「読んだって表現じゃ物足りません。あの本、3回、ループしてますから(笑)。読んで終わりでもない。31章の1章ごとに、読み終わると作文を提出しなきゃいけませんでした」。
<教科書以外の本としてはハードルも高いですよね?>
「教科書だってろくに読んでないんですから、そりゃハードルどころじゃない。内容だって頭に入らないし、ぜんぜんつまらない。でも、社長にそういうと『じゃぁ』といって赤線を引くんです。そして『赤線のところだけでいいから読め』って」。
21歳、仕事も忙しい。だが、仕事の合間に、仕事、終わりに、「船井論語」を開いた。「2回、3回目になると、俄然、面白くなってきた」と和田さん。
本に没頭すると、活字の世界が立体になって現れる。和田さんの行動も変化したはず。まさに、バイブルとの出会い。
「当時は、流行っていたEXILEも知らなかった」と和田さんは笑う。TVも、ネットもみなかったからだ。
21歳から修業を開始し、27歳で独立。起業に向け、400万円を貯蓄した。本にも没頭した。嬉しいことに「飲食の戦士たちも毎週読んでいた」そうである。
理論だけじゃない。起業へのつよい思い。
「ほんとうは、親友といっしょにやるはずだったんです。でも、あいつは高校卒業して亡くなった。だから、あいつのぶんまで、やんなきゃ殴られます」。
波乱万丈、それゆけ鶏ヤロー、の、その前に「鮭ヤロー」。
さて、さて。話を進めると、1号店、オープンである。
<焼肉からのスタートでしたね?>
「柏駅の西口、雑居ビルの3階。店名は『牛ヒレ』。25坪、家賃は25万円。月商300~500万円でしたから、利益は悪くなかったです。スタッフもやる気があって、それで半年後、亀有の牛角のあとに2号店をオープンするんです」。
そして、和田さんは苦笑いする。
「昭和の焼肉っていうか、レトロ感をだしたかったんです。でも、歴史があってこその風合いなんでしょうね。つくりもんで、タイムスリップ感なんてでるわけない(笑)」。
「それにね」といったん言葉を切って、「亀有はマーケットがきつい」と。詳細を聞くとたしかに「きつい」。毎月60万円キャッシュアウトしていったそう。
もちろん、それで凹む和田さんではない。仲間もいる。
「それで、どうしたらいいんだろうか?って。で、つぎにオープンしたのが、居酒屋『鮭ヤロー』です」。
<鮭ヤロー?>
「ええ、居酒屋はロースターがいらないから初期投資が少なくて済みます。だから居酒屋だと思ったんですが、じつは、調理の学校に行っているのに料理ができません。ただ、鮭は大好きで、鮭だったらさばけたんです。サーモンだったらなんとかできそうだとヘンな自信があって」。
<それで、2号店の失敗を含め、大逆転しようと、サーモン一本で勝負する『鮭ヤロー』がオープンするんですね?>
「ええ、」と和田さん。
<波乱万丈の幕開け>と見出しをつけたが、その幕は、鮭ヤローのオープンと同時に、開けた。
「サーモンは当時から人気だったんですよ」。
<でも、来ない?>
「いくら好きでも、サーモンだけじゃだめだったんでしょうね。追い打ちをかけるようにサーモンの値段が上がっていくんです」。
その時、和田さんはTVに初デビューしている。
「TVニュースにでたんです。サーモンの高騰で苦しんでいるオーナーとしてインタビューいただいたんです」。
毎月、家賃以上のマイナス。
ただそれだけじゃなかった。
「2号店は3ヵ月でクローズします。3号店もマイナス。唯一、黒字だった1号店の売上まで下がります」。
業績が悪くなると、仲間と思っていたスタッフが蜘蛛の子を散らすように去っていった。
もっとも信頼していた店長にも裏切られる。
「450万円、口座の有り金すべてが下ろされていたんです」。
決裁しやすいように通帳を渡していたそうだ。
「最悪でした。お金がないから給料も払えない。それで、姉と父にお金を借りて、それでも足りなかったんで、消費者金融に行って」。
スタッフのため、仲間のためだったが、ついには、お金もなくなって。「1号店を閉めて、鮭ヤローでワンオペです。ポテトフライや、からあげとメニューも広げたから、少しずつお客さんも来て、ワンオペなら25万円くらいは給料が取ることができたんです」。
その時、和田さんはどんな顔をしていたんだろう。
やりたかったのは、そんな仕事じゃない。もちろん、お母さまがおっしゃった金持ちとはほどとおい。借金だけは人並み以上にある。
「1年半くらいですね。お店に泊まり込みです。深夜、お客さんがいなくなると、急につらくなるんです」。
涙をぬぐう。でも、とまらない。
「フライドポテトでしょ。枝豆でしょ。からあげだってやって。で、オレは何をしてんだって」。
「そんな、あるとき」と和田さん。
「あるとき、ふと思いついて10年後の自分に手紙を書いたんです。そのとき、10年後を想像するんですが、逆に業績が悪くなったのも、スタッフがいなくなったのも、全部自分の責任だと気付くんです」。
「どうして売上があがらないんだ」と、スタッフを責め、怒鳴ったこともあったという。
「そう、そういうことも含めて。問題はオレにあった。じゃぁ、オレがかわればいい」。
・・・続き
2019年2月掲載 (旧社名)株式会社遊ダイニングプロジェクト 代表取締役 和田成司氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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