in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社マリノ 代表取締役社長 水野由太佳氏登場。
1982年、「サンライズ」創業。
多士済済である。父方の祖父は陶芸家、母方の祖父は大学教授、祖母は琴の先生。そして、父方の祖母が飲食店を経営していた。「ほかにも父方には喫茶店を経営している親戚もいて、そういう意味では昔から食とつながりがありました」というのは、今回、ご登場いただいた株式会社マリノ、代表取締役社長、水野由太佳さん。4人兄弟の長男。
「父も祖母の影響もあったんでしょう。飲食の道に進みます。創業のサンライズがオープンしたのは、ちょうど私が生まれた1982年です」。
サンライズは人気の喫茶店だった。
「父は高校を卒業して、名古屋の『キャンティ』というイタリアレストランで修業をして、21歳で独立。その後、3店舗まで展開します。父は陶芸家の祖父同様、芸術肌のところがあって、料理のクオリティが高く、それが人気の理由でした」。
------マリノがオープンしたのは1993年ですね?------
「繁盛していたこともあって、サンライズを3店舗まで展開して、そう、1993年にマリノがオープンします。マリノは本格的な石窯焼きピッツァと自家製生パスタを看板メニューとしたイタリアンレストランチェーンです」。
当時、本格的な石窯があるレストランは数少なかった気がする。
「そうですね。とにかく、繁盛していましたし、父は仕事で忙しく、母は、私を含め4人の子どもがいましたので、どちらもたいへんだったと思います。私は、父の背中をみていて、いずれ父の跡を継ぐのかな?と思っていました」。
------長男ですもんね?------
「そう、でも、じつは私を含めた子ども4人は今、みんなマリノではたらいているんです(笑)」。
野球少年の日々と、大学入学まで。
今回の主人公、水野さんは1982年9月3日、愛知県の長久手市に生まれている。2005年の愛知万博の開催地の一つとなり、人口も急増したが、水野さんが生まれた当時は「何もなかった」と笑う。
原っぱも多かったにちがいない。バットとボールがあればどこでも遊べる。そんななか水野さんは、小学2年生からリトルリーグに入り、本格的に野球をはじめる。
「高学年になった頃には父といっしょにキャッチボールをしました。仕事が忙しい中で、付き合ってくれたんでしょうね。感謝しています」。
お父様は、水野さんのためだろうか、チームのコーチも務めておられたそうだ。愛知といえば、野球が盛ん。東京や関西同様、だいたいの人が中日ファンだ。息子はサードで2番バッター。
「中学もクラブチームです。結構、つよいチームで、私は試合に出たり、出なかったりで」。
野球は中学まで続け、その後高校を卒業、大学へと進学する。
イタリアンレストラン就職。マリノに転職する。
水野さんは淡々と話をつむぐ。大学4年生の時にカナダに渡った話も淡々と進む。「9月から3ヵ月、カナダのバンクーバーで暮らしました」。なんでも学んだ語学学校は、「日本語をつかうと罰金だったそう」。
そのまま、カナダからイタリアに渡り、2ヵ月間、生活している。
------イタリアは将来を意識してですか?------
「いいえ、多少は、あったかもしれませんが、そこまで大層なことではなくて、父のつながりで知人もいたもんですから」。
ただ、そのあとの話を聞くと、道はまっすぐマリノにつながっている気がしなくもない。
------大学を卒業されたあと、イタリアンレストランに就職されていますね?------
「そう、じつはイタリアから帰国して、イタリアンレストランでアルバイトをはじめます。その延長で、社員にしていただきました。その頃にはもう、はっきりとマリノを継ぐという意志を固めていましたので修業の意味あいもつよかったです。ただ、30歳まで、いろんなところで修業するつもりでいたんです。でも、実際には25歳でマリノに就職します」。
------どうしてですか?------
「きっかけは。そうですね。弟が私より早く入社していて。ある時、父から『長男のお前どうするんだ?』って言われたことですかね。父にすれば長男に対する期待というか、そういう思いがあったんでしょうね」。
------25歳と若い。イタリアンレストランも経験されています。いかがでしたか?-----
「そのイタリアンレストランはハイブランドで、うちはミドルですから、おなじイタリアンでも客層からして違います。ただ、当社はそことはちがったスタイルで繁盛していました。私は一般社員からスタートし、副店長、店長、エリアマネージャーとなって、35歳の時に代表取締役、社長になります。もっとも父も代表権のある会長でしたから、代表2人制です」。
水野さんによると、意見が対立したこともあるそうだ。
「父の言う通りにしたいという気持ちはあるんですが、当然、社員に対する責任もあるわけで。数字からみると、父の構想はなかなか厳しい」。
どんな会話をされたんだろう。
これは、お二人にしかわからない。
尊敬する父、キャッチボールに付き合ってくれた父、一代でマリノを育てた父。おなじ経営者として、父に対する尊敬と、水野さん自身の自我が葛藤する。
社長就任、「ごちそう 焼きむすび おにまる」リリース。
「2022年6月ですね」と水野さん。
これは今注目の新ブランド「ごちそう 焼きむすび おにまる」の話に移った時のこと。上の日付は、「おにまる」のオープン日。
「コロナ禍ということあって、なにかできないだろうかと模索していました」。
------おむすびがブームになりますが、それ以前ですね?-----
「ええ、そうです。ただ、おむすびで行列をつくっているお店があって。知人からも、お米をつかったメニューを勧められて。当時、お米は今ほど高くなかったですから(笑)」。
じつは「おにまる」は、水野さんにとって起死回生のブランドだった。
「『おにまる』の前に、一つ新業態にチャレンジして、そちらは失敗しています。だから『おにまる』は失敗できなかったんです。ただ、これだけ需要があるとは思ってなかった」。
「おにまる」1号店は、イオンモールの一角でスタートする。水野さんによると「月商200~300万円を見込んでいた」とのことだが、蓋をあけると「1000万円を越えてきた」そう。
・・・続き
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