2025年6月18日水曜日

エレガントエース株式会社 代表取締役 張 瀟俊氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”エレガントエース株式会社 代表取締役 張 瀟俊氏登場。

本文より~

中学生、海を渡り、ゲームの国へ。

張さんは、1988年12月22日、上海に生まれる。39歳で単身来日した料理人の父は、新宿の中華料理店で仕事を始め、のちに共同経営を開始。来日して2年後に、妻と1人息子を招き、移住を決意する。息子である張さんが中学に上がるタイミングだった。
張さんは、クラスで唯一「ゲームボーイ」をもっていたが、日本に特別な印象はもっていなかった。
「中国でも、日本のアニメは放映されています。だからコナンとか、北斗の拳とか、ドラゴンボールとかは好きでした。当時、日本のことはアニメとゲームの国だって思っていた気がします(笑)」。
ゲームとアニメが、少年の中の日本だった。
ところで、張さんが生まれた1980年代の中国は、「一人っ子政策」が敷かれていた。正確には、1979年~2015年まで敷かれている。
「私も、当然ですが、一人息子です。だからと言って、甘やかされたわけじゃなく、忙しい父母にかわって、中国ではよくあることですが、祖父母に育てられました。父や母ですか? とりわけ、こわいとか、怒られたって記憶はない。ルールは大事にしないと怒られましたが、『勉強しろ』と言われたこともないんじゃないかな」。
張さんの祖父は、有名なホテルのシェフ。だから、親戚筋にも料理人が多い。父親もその1人。
「両親はいま、上海に戻って暮らしていますが、私は日本で結婚もしたし、友達も日本人ばかりだから、中国に戻る気はありません」。
来日して、24年。中国で暮らした時間の、およそ2倍にあたる長い時間を日本で過ごしている。
「来日したときにはもちろん、日本語はわからないし、喋れません」。共通語があるとすれば、アニメとゲーム。それでも、普通に通学を開始する。
「来日して通ったのは日本語を勉強する学校ではなく、普通の中学校です(笑)。乱暴な話ですが、じつは、そのおかげで、発音も、ほぼ日本人とかわらないんです」。
「中国人からヘンな日本語を聞かされなかったから、日本人とかわらない発音ができるのだ」と張さんはいう。ともかく、ゲームの国は、ゲーム以外にもなかなか刺激的だった。

「やべぇやつが来た」。中学校の話のつづき。

「同じクラスの生徒は、私が日本語を喋れないし、分からないのは知っていました。年齢も違って、私が一つ上。中国と日本では、卒業月が違うのでそうなってしまったんです」。
中国から来た少年は、奇異な目でみられたにちがいない。ただし、それで萎縮するような少年でもなかった。
「こっちをみてなにか言いながら笑ってる子がいたとするでしょ。何を言っているかわからないから、そのぶん、腹が立つ。そいつの胸ぐらをつかんで、中国語で『うるせぇ』って」。
「やべぇやつが来た」とうわさになる。
「やべぇやつ」の話を、もう一つ。
張さんは、中学で卓球部に入部した。
さすが卓球王国からの使者である。先輩を含め、だれも相手にならなかった。「ラリーがまったくつづかなかった」と張さんは笑う。
<それでどうしました?>と聞くと、「ラリーがつづかないとつまらないでしょ。だから、おなじラケット競技のテニスに転向しました」との回答。
初めてのテニスにウキウキしてコートに現れた張さんだったが、手に持っていたラケットの大きさがみんなとちがっていた。
「中国はみんな硬式なんです。だから、父に『ラケットが欲しい』というと、硬式用を買ってきてくれたんです。私も、硬式用でいいと思い込んでいたもんですから」。
先生がなんだかんだと言ってきた。張さんは、意味がわからないまま、それに答える。こちらも通じない。
「結局、一人、硬式用のでっかいラケットで練習をするようになるんですが、なんだかなって。それで、今度はバスケットボール部に転部します。中国でもバスケは人気のスポーツの一つなんです」。
バスケは、高校までつづけている。
<ところで>と、心配になったことを聞いてみた。
<勉強っていうか、テストは?>
すると意外な答えが返ってきた。
「私も、来日してはじめて知ったんですが、教育レベルでいうと中国のほうが進んでいるそうなんです。実際、私も数学と英語は満点でした。言葉も、歴史もわからないんで社会と国語は苦手でしたが(笑)」。
社会と国語は、今一つだったが、難しい数学と英語が、満点。
「あいつは、できる」。
「やばいやつ」から「できるやつ」に昇格する。2年生になった頃には、日本語も会話ができるレベルになっていた。
「父も母も、中国のネットワークのなかで生活していましたから家では、中国語です」。
<そして、学校では日本語>
「そうです。私のまわりには、ヘンな中国語をつかう人も、ヘンな日本語をつかう人もいなかった。そのおかげで、日本人とかわらない発音になったと、私はそう思っています」。

早稲田は、カベたかし。

テニスのラケットの話ではないが、きっと文化の違いもあったに違いない。
「そういう違いは、日本人が私に合わせてくれたんじゃないですか。なにしろ基本『やばいやつ』ですからね(笑)」。
張さんは都立高校に進み、バスケットボールをつづける。高校に進む頃になると、日本語もなんなく操れるようになっていた。
「アルバイトにも支障がなかったので、学業の傍らで色々、バイトもしました」と張さん。ただし、アルバイトに励みすぎたんだろうか。大学受験に1度、失敗する。
「浪人して、深夜のコンビニバイトを始めます。それまで社会経験といっても、だいたいは学校での経験です。ただ、このバイトで知り合った年上のフリーターに、渋谷のクラブに連れてってもらって。あれが私にとっては初の社会経験だった気がします」。
バイトだけじゃない。勉強もした。今度は、合格圏内。
「早稲田大学の理系をめざしていました。でも力及ばずか、運が悪かったのか、2年目もダメでした。3年目はなんとしても避けたい(笑)。だから、もう絶対、合格ができて、都内にキャンパスのあるという基準で、拓殖大学を受験しました」。
もちろん合格。ただし、一つ想定が外れた。
「都内のキャンパスで、キャンパスライフを楽しむ予定だったんですが、4年間、東京の端っこにある、高尾キャンパスから離れられなかったんです(笑)」。
東京の片隅といっても、すでに日本人とかわらない青年は、日本人の友と笑い、有意義なキャンパスライフを送った。
もちろん、キャンパス外でも、青春の時間が流れる。
「大学でももちろん、バイトは色々。キャバレーでボーイもしたし、バルや居酒屋でも、じつをいうと、そのうちの一つが起業につながります」。
どういうことだろう?

ススメ、独立へ。

就職活動は、大学3年生くらいからスタートする。解禁日は、当時、3年生の12月くらいだった記憶があるが、そのときになっても張さんは就活をすることなく、逆に時間があるからとバイトに精をだした。
「就職は、最初から頭になかったんです。私は、おべっかも使えないし、人に好かれたいとも思わない、たしかにやべぇやつなんです。軋轢だって平気だから、言いたいことはズバリいう。そういう性格ですから、昔からサラリーマンとは縁がないと、自分で決めつけていたんです」。
<それで、バイト三昧? その頃にはもう、独立志向はあったんですよね?>
「父親も経営者でしたから、小さな頃から社長になるっていうのは、頭のなかにあったと思うんです。でも、じゃあ、何をするのかっていうのがハッキリしていなかった。『何をしようか』が『これをしよう』となったのは、大学時代、バイトを通して、見えてきたことの一つでした」。
張さんがいうアルバイトとは、大箱の飲食店でやっていた、ホールスタッフのアルバイトのこと。
張さんはバイトリーダーとなり、同年代のスタッフから頼られ、上司や社長からは高く評価された。スタッフのマネジメントも、経営にかかわるコスト管理なども行っていたそうだ。
その経験を経て、「これをしよう」がかたまる。
つまり、「飲食で独立」。ススメ、独立へ。
卒業と同時に、友人と2人で、バイトをしていたお店を業務委託で運営することになる。
そして、大学を卒業した2年後、張さんの野望がかたちになる。
「会社設立は2016年。今は、川崎で店をオープンしていますが、業務委託の時にお金を出し合った友人と2人で新しいお店をオープンします。このとき設立したのが、エレガントエース株式会社です」。
すでに記載したが、張さんは、来日時と、大学進学時に1年ずつ遅れている。<すごいですね>というと、「大学卒業と言っても、もう24歳でしたからね」と、謙遜なのか、言葉のトーンを下げる。
理系出身のロジカルな思考、旺盛な好奇心。
食に関しては、料理人の祖父、父をもつサラブレッド。ともかく、独立のゴールテープを切る。
ただ、問題はここからだ。
どうなっていくんだろう?
しかもすぐにコロナ禍が始まる。

見て、盗んで、分析する。

会社を設立して以来、張さんは、旺盛な好奇心をかたちにするように、異なったブランドの飲食店を次々とオープンする。経営スタイルはピュアでシンプル。
「すべて、私のコントロールできるところに置く。私ができないことはしない。人にこびるタイプじゃないから、教えてなんて言わない。昔の職人さんじゃないですが、みて盗むのが私のスタンスでした」。
だから、盗むことはもちろん、みることに長けている。
「うちの父親もそうなんです。最初のお店をずっと経営していて、カウンター8席とテーブル席だけだったですが、月商800万円。かなりいい業績です。だから、そのままつづけていればよかったんですが、大きな店をオープンして失敗しました。経営者と言っても、父は職人なんで、マーケティングも、経営もできていなかったんです」。
父だけではない。失敗するオーナーたちを鋭くウオッチした。
「その原因を分析することで、失敗の確率が減ります。ロジカルな話だけじゃない。だいたいの人はうまくいくと、初心を忘れてしまう。たいてい、それで失敗します(笑)」。
たしかに。ただ、その初心とはなにか。どこまで、純度を高めて、心の奥に止めおくことができるのか。これこそ、人の生き様によるのだろう。
その観点から改めて、張さんの今の事業についてうかがった。今、ブランド化をめざす「鳥居くぐり」の話だ。

・・・続き

エレガントエース株式会社 代表取締役 張 瀟俊氏

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キイストンだからこそ」を追求し続け 飲食業界になくてはならない企業になる 
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