in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にヴァリオ株式会社 代表取締役社長 利川邦浩氏登場。
少年、利川。
今回、ご登場いただいたヴァリオ株式会社、代表取締役社長、利川邦浩さんは1974年生まれ。東大阪市出身。男ばかりの4人兄弟。おじい様は地元大蓮の名士と言われていて、なんでも鉄工所、養鶏、建築、不動産と手広く事業をされていたそうだ。
ちなみに、これは父方の話で、母方のほうの祖父も輸入商社をされていたらしい。両家とも事業家一家である。
利川さんのターニングポイントは? と質問すると、その一つに高校時代が挙がった。
「中学は地元の公立です。高校は私学に進学するんですが、2年生に上がるタイミングで、向こうから辞めてくれ、と(笑)」。
<いろいろあったんですね?>いうと、「そうそう」と笑う。
「母親に相談すると、母は祖父に相談して、母方は頭がいい人ばっかりですから、『うちの家系から高校を卒業しないような人間をだすわけにはいかない』と一喝されて帰ってきます」。
もちろん、手ぶらではなかった。
「祖父はネットワークも広いですから、とある学校の理事長に連絡してくれて、裏技でその学校に2年から編入させていただきました」。
そのおかげで、退学勧告を受けた少年は、大学まで進んでいる。ただし、本州の、端の端の大学だったが。
高校2年生の店長。
「そこしか受からなかった」と、利川さんは笑う。試験日が4月、入学式は5月。雪がまだ大量に残っていた。
「これもターニングポイントですね。やんちゃ盛りの時に、大阪から離れられましたからね。刑務所に入るつもりで、青森に行きました」。
利川さんは、不自由な生活を強いられたようにいうが、当時、ハマっていたスノーボードでの写真には、満面の笑みの利川さんが映っている。
ちなみに、利川さんは大学でバイトをした記憶がないそう。バイトは、高校時代がはじめて。「カラオケです。ともだちの面接に付き添って行ったら、君も来なさいってことになって(笑)」。
「オーナーにむちゃくちゃ気にいってもらった」と利川さん。実際、1ヵ月後にはアルバイトながら店長に就任。言っておくが、高校2年生。「お客様からの評判もよかったですね。あの時くらいからサービス業が天職だとわかりはじめるんです」。
当時、カラオケがまだ少なかったこともあって、利川さんは、TVや雑誌のインタビューに受け答えしている。
2013年、39歳で創業する。
大学を卒業した利川さんは、親戚が経営する不動産の会社に就職。ただし、27歳で退職している。
その後、兄の事業の経営に参画し、年商50億円の到達に寄与。のちに独立。
<独立は、39歳の時だとうかがっています>
「そうです。創業は2013年です」。
<社名のヴァリオというのは、どういう意味ですか?>
「イタリア語で、バリエーションという意味です。ひとつの業態だけで運営するのではなく、様々な業態を展開していくという私たちの想いを表しています」。
<イタリア料理店につづき、粉もんのテイクアウト専門店をスタートされています。これも、バリエーションの一つですか?>
「『てこや』ですね。私は長く飲食の仕事をしていますが、やはり関西人ですからね」。
<「てこや」は、大阪の主要な駅でみかけます>
「南大阪や東大阪、大阪市内、北摂、神戸や東京にも出店しています」。
駅があれば、そこが出店エリアとなる。ホームページで数えてみると50店舗(2024年6月現在)、つまり、50の駅前に、「てこや」があることになる。
メニューのページをひらくと、関西人には定番中の定番、「たこ焼」と「お好み焼」「焼そば」の御三家が現れる。なんでも、ソースは3年の月日をかけて開発したオリジナルソースということ。
たしかに、ソースは、粉もんの決め手。
「それだけじゃないんです。高級真だこを使用したたこ焼や、最上級一等粉を100%使用した極太麺の焼そばなど、素材に妥協はいっさいしていません」とのこと。
さらに、「それだけでもない」と利川さんは笑う。どういうことだろう。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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