2023年9月28日木曜日

株式会社SGマネジメント 代表取締役 勝山 聡氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社SGマネジメント 代表取締役 勝山 聡氏登場。 

本文より~

旅のはじまり。

氷点下の世界をシベリア鉄道が走る。
「上智大学に進み、ヴェルファーレでアルバイトをしてお金を貯めて、友達と2人でシベリアからオーストラリアまで南下する旅をしました。スタートはウラジオストク。シベリア鉄道に乗り、モンゴルまで南下し、中国を縦に横断。ただ、オーストラリアまで行くはずがバリ島で旅は完結します」。
特別な理由があったわけではなく、ただ、バリが終着点になっただけだそう。
氷点下の世界から南国のパラダイスまで、四季が車窓を通り過ぎる。
「モンゴルのホテルで友人がドアを蹴り破るというハプニングはありましたが、基本は楽しい旅でした。ただ、シベリアやモンゴルでの食事はギリギリ食べられたって感じです」と笑う。
旅のおかげでアジアが身近になった。のちに、上海でバー「Speak Low」をオープンするのだが、その源流はこの旅かもしれない。
さて、今回ご登場いただいた、株式会社SGマネジメントの代表取締役、勝山聡氏は、1972年、現在はさいたま市に併合されているが、元の名でいうと埼玉県岩槻市に生まれる。
「父も母も長野の果樹園育ち。父は普通のサラリーマンで、母は専業主婦です。兄弟は兄がいます。私たちらの世代は第二次ベビーブームで、小学校は6クラスくらいあって、1クラス40人をオーバーしていました。私は背がちっこくて…(笑)」。
背丈はないが、すばしっこい少年だったそう。
「中学生では野球をやっていたんですが、プレーもできないくらいヒザが痛くて。成長痛ってやつで、痛みは高校1年まで続きます。その代償が、今の背丈です(笑)」。
実は、この痛みが最初の旅のはじまり。背丈を伸ばした少年は、空をかける青年になっていく。

4メートル80センチ。

「高校では陸上部に入り、棒高跳びを始めます。陸上競技の中でも競技人口が少ない種目だったこともあって、埼玉県の大会で2位にもなっています」。
ポールをかがげ、走る。タイミングを合わせ、地上を蹴り、ポールをしならせ。そして、バーを超える。下から観れば、青空をバックに鳥人が宙に舞うシーンが目に映る。
「大学は上智大学に進みます。大学に入ればキャンパスライフを謳歌するはずだったんですが、体育会の陸上部に勧誘されて。ベストの記録は4メートル80センチでしたね」。
ちなみに、このインタビューを行った2023年6月、アルマンド・デュプランティス(スウェーデン)によって、ワールドレコードが更新されている。その記録は6メートル17センチ。1センチ、記録を破ったそうだ。
大学時代には「ヴェルファーレ」の立ち上げにも参加している。
「ライターの仕事などアルバイトは色々するんですが、ヴェルファーレもその一つです。旅行の費用は大体50万円持っていったんですが、すべてヴェルファーレで貯めて、1月に新潟空港から旅立ちます」。
「旅費目的でしたがかなり刺激されました。多士済々、色々な人がいましたからね。私が今あるのは、ヴェルファーレでアルバイトをしたことがきっかけになっていると思います」。
ディスコチックな音楽が支配する世界は、その空間だけもう一度、バブル経済に向かっていくようだった。

「円」の価値と「たゆまぬベンチャースピリッツ」。

冒頭の旅の話。シベリアに向かったのは大学4年生の時。
「友達は卒業旅行で、私は留年が決まっていたので友達の卒業旅行に便乗した旅でした。新潟空港からボロボロの飛行機で3時間。ウラジオストクに到着します」。
ウラジオストクは極東ロシアにあり、ウラジオストク駅はモスクワのヤロスラフスキー駅までの世界最長の「シベリア鉄道」の東の起点となる。
ただ、その旅が次の旅に繋がる。大学生5年目、勝山氏は就職活動を開始する。
「旅行に行ったおかげで世界を意識し、円の価値に気づきます。当時は円高ということもあって、ドルじゃなく、『日本円だ』ってマインドになって。日本で仕事をする意味を見出すことができたんです」。
「帰国してすぐにヴェルファーレにも復帰しつつ、就職活動を開始します。当時、ヴェルファーレの副社長だった折口さんに誘っていただいて、タレントやモデルをマネジメントする会社に新卒で就職。マスメディアや芸能界のネットワークもできます」。
ただ、2年ほどで会社が解散。無職になる。
学生時代に経験していた女性誌のライターの仕事を改めて開始。
「学生時代にはリクルートでもライターの仕事をしていて。その時の上司から、音楽レーベルの立ち上げに参加してくれないかってオファーをもらい、未経験ながらそちらでも仕事を始めます」。
映画のサウンドトラックやCMソングなど数々のCDの企画・制作からセールスまでを行っていたそうだ。ちなみに、プロ野球の楽天イーグルスの球団歌は、プロデュースと作詞も担当しているとのこと。勝山氏のマルチぶりがうかがえるエピソードである。
「当時はそれ以外に恵比寿のバーで店長を務めていました」。ヴェルファーレではVIPルーム専属のバーテンダーだったから、バーテンダーのスキルや知識はそれなりにあったから、と。
ライターに、バーテンダーにと、忙しい。仕事を通してバーの経営・運営にも長ける。稀代の経営者である折口雅博氏を近くで見てきたことで、経営に対する意識は高い。折口氏が日頃言っていた「たゆまぬベンチャースピリッツ」は今でもつい口をつくそうだ。

・・・続き

株式会社SGマネジメント 代表取締役 勝山 聡氏

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