2019年4月19日金曜日

祝700連載目 株式会社麦酒企画 創業者 取締役 能村夏丘氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社麦酒企画 創業者 取締役 能村夏丘氏登場
本文より~

「案山子」を聞いて感動するのは、ピュアな性格の表れか。

「元気でいるか。町には慣れたか」。
さだまさし氏が歌う「案山子」に親子で感動したのは、15歳の時。「たまたま親父と紅白歌合戦を観ていて…」と能村氏。ブラスバンド部。フルート担当だったが、音楽で感動したのは、これが初めて。
むろん、さだまさし氏のファンにもなった。
「うちの高校が新宿の牛込にあったもんですから、早稲田に案外、ちかかったんですね」。その早稲田に「さだまさし研究会」なるものがあると聞いて、キャンパス内をさがし歩いた。
「そしたらね、ほんとにあったんです。もう、感動しまくりで…」。
ただ、大学は早稲田に合格したものの、上智大学に進んでいる。「上智っていう響きがオシャレだったから」と能村氏。たしかに、ピュアな能村氏らしい選択でもある。
「それにね。中・高男子校だったから、バンカラなイメージの早稲田よりも」と。早稲田ではなく、上智。いわば、贅沢な話である。

上智大学に合格。その日にバイト先を決める。

能村氏が生まれたのは、1981年のこと。板橋区出身。父親は一級建築士で、今も「能村設計事務所」を経営されている。「親父は旅行が大好きで、私が小学6年生の時に週休2日が導入されるんですが、以来、毎週のように家族ででかけます」。裕福でもあったんだろう。中学から中・高一貫の私立「成城学校」に進んでいる。
進学校と聞いていたが、比較的、のんびりした生徒や先生が多かったそう。中学では、陸上やテニスをやり、3年には「鉄道研究会」へ入部している。その時の影響で、今でも鉄道が大好き。いわゆる「乗り鉄」なんだそう。
「いろんな部を転々としていますね。つづかない性格なのかもしれません。高校でも、いったん『吹奏楽部』に入部するんですが、フルートがきつくて、きつくて退部しています」。
大学はすでに記載したが上智。
「上智の理工学部ですね」。
しかし、こちらも長つづきせず2年で退学している。
「両親には当然、反対されました。親父は、私の意思が固いと最終的にはOKしてくれましたが、母親は泣いて、反対のまま。2~3年は、会うたびに復学を迫られました/笑」。
そもそも1年の秋には、大学にもいかなくなっていた、という。
「バイトですね。いままで経験がなかったし、大人の世界を観たかったんです。だから、上智大学を合格したその日に、目についた赤提灯のお店に電話を入れて。ハイ、そちらで、はたらかせていただきました」。
何でも、応募の電話をすると、「この番号ですね。すぐ折り返しますから」という店長の気遣いに心を打たれたそう。今もじつは、その店長を慕っている。むろん、バイトは「めちゃめちゃたのしかった」そうである。

広告代理店とビールの夜。

「大学を2年で辞めて、それからも2年バイトをして、同年代の仲間が就職する時に合わせて、私も就職しました。広告代理店の会社です」。
小さな会社だったが、クライアントはでかかった。
「そうですね、キリンビバレッジさんやローソンさん、キリンビールさんなどもお取引先様でした。仕事はクリエイティブだったし、楽しかったです。むろん、相当な時間、仕事をしていましたが…」。
終電で帰れると、深夜1時を超えている。
「なんででしょうね。そんな時間なんですが、1杯だけ、飲のみたくなるんです。旨いビールを。たまたま『鳥貴族』さんが、駅前にあって。お通し代もないし、安いでしょ。しかも、この店は…」。
ビールが美しく注がれていたらしい。「泡もいい状態です。ほかでは、なかなかないクオリティでした。私も、取引先の関係でビールはたくさん飲んでいますが、1杯300円弱。それでいて、このクオリティでしょ。いつも、感動をもらっていたんです」。
セールスプロモーションとビールの夜は、5年2月で幕を下ろす。
「私のチョンボが原因っていえば、原因なんですが、その時の上司の対応もあって、すーっと波がひくように興味がなくなったんです」。
話を聞いていると、わからなくもないと思った。しばらくぶりに取れた奥様との休日。その日まで、台無しにする、上司の一言。「帰りの電車で、彼女の涙をみてね。これって、いい仕事じゃないなと。あばたも笑窪っていうでしょ。私の場合は、その反対。笑窪があばたになっちゃった/笑」。
・・・続き
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