2019年3月12日火曜日

株式会社zans 代表取締役 水谷大輔氏登場。

(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社zans 代表取締役 水谷大輔氏登場
本文より~

高校までの、水谷少年。

長野の高原は、風が透明で天空はどこまでも青かった。
「経験したアルバイトは種類だけでも30種以上」といって、今回ご登場いただいた株式会社zansの社長、水谷大輔氏は笑う。長野の話も、じつは農家のバイトの話。
水谷氏が生まれたのは、1974年12月7日。京都市の南区出身。父親は、友人と共同でプラスチック製造の会社を経営されていた。母親もはたらいていので、かぎっ子だったそう。
5歳離れた妹がいる。
「小学校の頃から、活発なほうでした。スポーツは苦手だったんですが、小学生の頃は野球もやっていました」。
中学は、地元の洛南中学。全校で生徒3000人ほどのマンモス校だ。そのなかでも、成績は常にトップクラス。超名門の洛南高校にも、70~80%の確率で入学できる成績だったというから、すごい。しかし…。
「じつは、成績がいいのは中学2年までの話なんです/笑。3年からちょっと道を外したっていうのか/笑」。高校にも進学はしたが、2学期になる前に卒業してしまっている。

人生初の師と、放浪と漂流。

「それからですか? 大工を3年くらいやって、親父の会社でもはたらきました。こちらは4~5年です」。
父親が経営する会社の取引先は、京都の大手メーカーが主。業績は悪くない。
「共同経営者が、岩崎さんって人で、私の最初の師です。親父が営業で、岩崎さんが技術。私は、岩崎さんから様々な思考やアプローチの方法を教えていただきました」。
ぜんぜん、人をほめない方だったらしい。「でも、たまーに『いいな』、なんて言われる時があって。ふだん、ほめられないもんだから、その一言がうれしくて。ハイ、自信を生む魔法の一言でした」。
4~5年も務めたのに、会社を継ぐ意思はなかったのだろうか?
「ぜんぜんなかったですね。まだ若かったし。5年目でも、まだ23歳です。高校を辞めてから、大工も経験しましたが、いっても小さな世界です。それで、23歳だと思うんですが、外の世界をみてみようと。長野で百姓をしたのも、その時です」。
28歳になるまでの、およそ5年間。流されるように、渡り歩いた。ただし、この5年は無駄ではなかったはず。人は、そうやって人間の幅を広げるから。しかし、水谷氏はどこにたどり着くのだろう。

もう1人の師、山口氏との出合い。

「リゾートバイトってあるでしょ。その時、知り合った子といっしょに東京に行きます。そして、飲食店を紹介してもらって。ハイ、その店のオーナーが、私のもう1人の師である山口氏です」。
水谷氏が、紹介された店というのは、株式会社エヌイーエスの運営店である。その会社のオーナーであり、代表取締役が山口義成氏。和食、ワイン酒場、沖縄料理、鉄板料理、創作ダイニングなど、バラエティ豊かな店舗展開を行っておられる敏腕経営者だ。現在、店舗数は、30数店舗オーバー。
 そして、弟子である水谷氏のほうはというと、現在、おなじく業態の異なる飲食店を6店舗運営している。「かいかぶり」や「えんなすび」などとネーミングにもヒネリが利いていて、面白い。もっとも、店名は、山口氏やスタッフが名付け親だそうだが。
「ともかく、今の原点になるのが、エヌイーエスですね。山口社長に採用いただいて、すべてがスタートします」。
最初の1年間。休みも返上した。何も知らないから、時間でカバーするほかない。明るく、楽しく。何ヵ月経った頃だろうか。月商は、過去最高に。
「あの頃は、やるしかなかったですね。エヌイーエスも出店攻勢をかけていましたから、店長、マネージャーに昇格。2年半で、私自身は独立しました。最初は業務委託です」。
いよいよ、水谷ワールドが始まる。しかし、水谷氏が偉いと思うのは、けっして独りよがりにならず、ちゃんと山口氏の方法論をトレースしている点だ。ちなみに、山口氏とは今でもファミリーとして付き合う仲だそうだ。
・・・続き
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