2018年12月11日火曜日

モンテステリース有限会社/株式会社花たぬき 代表取締役社長 星山真也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”モンテステリース有限会社/株式会社花たぬき 代表取締役社長 星山真也氏登場
本文より~

兄の背中を追いかけ、プロのドラマーをめざす。

「兄が始めた『ドラム』に興味を持ち、中学校3年生からバンドを組んでドラムを担当しました。高校生になると、学業よりも、バンドのほうがメインになります」。
今回、ご登場いただいた「花たぬき」の創業者、星山氏の回顧である。「高校2年生のときに、バンドはいったん解散しました。私は年上のバンドのメンバーとなり、活動をつづけます」。
ホームの京都はもちろん、大阪、兵庫、ときには千葉にまで遠征していたというから、ホンモノだ。ちなみに、兄は、そのままプロの道へと進み、有名アーティストのバッグでドラムを叩くまでになっている。
「一方、私のほうは悩みます。20歳のときです」。
二者択一。
「東京にいくか、バンドをやめるか」。
ずいぶん迷ったことだろう。ただ、答えは、ひょんなことから導き出される。
「当時、お好み焼き店でバイトをしていたんですが、絶妙なタイミングで正社員のオファーをいただいたんです」。
背中を押された格好だった。
「プロのミュージシャンをめざしていたんですが…」と星山氏。つよく思っていた。
逆説的な言い方だが、だから、きっぱりと、卒業できたのかも知れない。本人も「真剣にやればやるほど、厳しさを実感した」と語っている。
ともかく、ここまでが第一章。おそくなったが、生年月日は、1975年9月5日。京都市出身。

お好み焼き店で手にした、もう一つの目標。

「合計2年くらい」と星山氏。だから、独立はちょうど22歳のとき。たいていの大学生が、卒業する年齢だ。
「特別、何かをやりたくて、社員になったわけじゃありません」。
ほかに適当な道がなかったから、進んだにすぎない。しかし、それが星山氏のターニングポイントになる。
「いま思えば、20歳の選択がいまにつながっているのですから、たしかにターニングポイントです。アルバイトの時もそうでしたが、社員になってからは益々、信頼いただき、仕事も任されます。そうこうしているうちに、私でもできるんじゃないかと思ったのが独立のきっかけです。若かったから、できたことでしょうね。まったくの見切り発車です/笑」。
できるんじゃないか、という単純な思いつき。事業計画ひとつわからないし、みたこともない。ただ、走り出したら止まらない。資金を確保する前に、いさみあしで物件を押さえてしまった。「銀行からなんとか融資をいただき、周りの方にも助けていただいて、なんとか、なんとかオープンできました」。
むろん、オープンが起業の目的ではない。スタートラインに立ったばかりだ。そういう意識はあったんだろうか。
「そこからが、たいへんでした。創業店は『四条大宮』といって、繁華街から少し西に行ったところでオープンしました」。
チェーン店化をめざしていた。だから、創業店にもかかわらず、わざわざ「四条大宮店」と銘打った。
しかし…。

神かもしれない、おっさんズ。

「京都の幹線道路沿い。13坪・25席です。まぁ、だめでしたね」と星山氏は、苦笑する。むろん、当時は、笑うこともできない。
「中・高からのともだちが来てくれたおかげで、暮らしてはいけましたが、売上はぜんぜん立たないし…。現金商売なのに、現金がない/笑」。
カードローンにも頼った。
「今思えば、すべてが甘かったですね。お好み焼きをちょっとかじっただけ。鉄板料理いうたかって何も知らん素人ですよ。流行るわけもあらへん/笑」。
「だけど、ヘンな自信だけはあった。だから、たたむこともできへんかったんです」。
そんな日々が、5年間つづいた。
星山氏のねばりにも感心するし、通いつづけたともだちらの友情にも頭が下がる。ただ、その一方で、これが「粉もん」のちからだと思った。
もともと関西人は、「粉もん」との親和性が高い。いわゆる「粉もん」好きである。毎日はオーバーだが、つい食べたくなる。しかも、毎日、通ったとしても、財布はそれほどいたまない。
そのぶんライバル店は少なくないが、繁盛する素地はあるということだ。あとは、どう工夫するか。創業して5年、青息吐息でつづけた店に、春が来る。
ちなみに、春をよびこめたのは、神かもしれない、おっさんズのおかげである。
「どこの町でもそうやと思いますけど、京都にも『お好み焼きの通』みたいな人がいるんですわ。で、うちの店にも何人か、そういう方がいらっしゃるわけです。店主が20そこそこでしょ。だから、あれ、これと、アドバイスっていうかね/笑」。
「○○ちゅう店が旨いでぇ。行ってみぃ」。
週1回のやすみ。言われた通り、店を探す。
「そうやって、べた焼きを知るんです」。
「あの口数のへらへん、おっさんたちがいたから、いまがある。少なくても、『べた焼き』はしてへんのとちゃいますか。もっと恰好ええのんしてたと思うな/笑」。
・・・続き
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