2017年11月21日火曜日

株式会社サガミチェーン 代表取締役社長 伊藤修二氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社サガミチェーン 代表取締役社長 伊藤修二氏登場。
本文より~

高校卒業までの話。

名古屋市東区。「1958年、それまで農業をしていた父親が寿司店に修業にいって、寿司店をオープンします。実家の下が寿司店です。そういう意味では、小さい頃から飲食店に慣れ親しんで育ちました」。
今回、ご登場いただく株式会社サガミチェーンの代表取締役社長、伊藤修二氏は1955年に名古屋市中川区に生まれる。父親が開業したのは伊藤氏が3歳の時。伊藤氏が「慣れ親しんだ」という通り、物心がついた頃には、すでに飲食店が生活の舞台となっていた。
「兄弟は2人で、兄がいます。私とは違って、兄は頭もいい。2つ違いですから、いろいろ比較されたような気もしますね」。
小学2年から始めた野球は、中学2年まで続けている。それからはサッカーに没頭する。野球では、四番ピッチャーでキャプテン。サッカーでは左のウイング。
「サッカーには、ハマりましたね。当時はまだ野球に比べれば、マイナーなスポーツだったんですが、たまらなく楽しかった。成績は、インターハイに一度だけ出場しています。もっとも1回戦で敗退してしまうんですが。それでも、忘れられない良い思い出ですね」。
そういいながら、伊藤氏は目を細める。
伊藤氏の一つの原点なのだろう。

ディーラーのトップセールスマンに。

いまや、大学進学率は限りなく100%に近いが、伊藤氏が高校を卒業する頃はどうだったんだろう。「高卒」という肩書きもまだ一般的だったのかもしれない。
「そうですね。私はキリスト系の名古屋学院高校出身です。名古屋の私立では、うえから2番目です。それでも、大学進学はあまり考えていなかったですね。もっとも私は、勉強もしていなかったから、当然といえば当然なんですが」。
サッカーを引退すると、今度はバイクにハマり、バイクのローンを返済するためにバイトもしなければならなかった。だから、勉強どころではない。
若狭湾から京都を抜けて、大阪をひと回りして…、旅の記憶も鮮明だ。
「それで、大学にはいかず文具用品のメーカーに就職します。就職はするんですが、しばらくして『東京に行け』って言われたもんですから、それは『いやだ』ということで退職します(笑)。某自動車メーカーの販売会社に転職したのは、そのあとです」。
もともとバイクや車は大好きである。スポーツで鍛えた反射神経もある。人当たりもいい。成績は、常にトップクラス。伊藤氏の顧客は、相当数いたはずである。伊藤氏を新たな人生に導いた女性も、お得意様の一人だった。

サガミ創業者から、誘われた35歳。

「私が、サガミチェーンに入社するのは35歳です」。西暦でいえば1991年のことである。「私のお得様が、サガミチェーンの会長の妹さんだったんです。私のことを評価してくださって、再三『サガミに来ないか』と誘っていただいたんです。家族もいましたから、気軽に転職できません。1年間、悩みました。悩んで、悩んで、やってみようか、と」。
創業者の紹介といっても特別な待遇はなかった。むしろ、批判的な目と、プレッシャーがあった。年齢的にも35歳だ。「けっこうきつかったですね。朝7時からスタートし、翌日の3時、4時まで。休みも月1回しかなかった時もありました。ま、覚悟はしていましたが、いろんな人の目もあるわけで。特に創業者の紹介ですからね。プレッシャーも相当なもんです」。
それまではトップセールスマンとして、会社に君臨していた。35歳、いちばん脂がのっている時でもある。その席を投げうってきたにしては、待遇も微妙である。
「ええ、何度も『辞めようかな』って思いましたよ。でもね、私が辛い顔をしていたんでしょうね。パートナーさんが、『伊藤さん、元気ないけど辞めようと思ってない?』って聞いてくれるんです。『うん、辞めようと思っている』っていったら、『大丈夫、伊藤さんなら絶対店長になれるから。私、いっぱい観てきたらわかるんだ」って。もうジーンと来ますよね」。女子高生にも諭された。「『伊藤さんが辞めたら、面白くないから、私も辞めます』って、『おい、それはだめだ』って。でも、そういう一言一言が、私を元気づけてくれたんです」。
いま思えば、「伊藤」というサガミチェーンの7代目社長をつくったのは、その時の、パートさんや学生さんだったのかもしれない。ちなみに、このあと、伊藤氏は半年で副店長となり、2年目からは人事も兼務するようになる。
・・・続き
株式会社サガミチェーン 代表取締役社長 伊藤修二氏

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