2016年4月12日火曜日

株式会社とりとり亭 代表取締役 北川民生氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社とりとり亭 代表取締役 北川民生氏登場。
本文より~

三河湾に浮かんだ小さな島。

今回、ご登場いただいた北川氏の生まれは、三河湾に浮かぶ小さな島である「日間賀島(「ひまかじま」と読む)」。いまでは観光客も大勢訪れる人気スポットだが、北川氏が生まれたのは、1960年12月31日。昭和35年のこと。まだまだ「離島」という表現がぴったりだったのではないだろうか。
「祖父も、父も、海運業を行っていました。海運と言っても運送業のようなもので島に必要な生活用品を輸送する仕事です。母方は、島で金物屋を営んでいました。人口もそう多くない、小さな島です。仲間意識の強い風土で、育ちました」。
北川氏は、高校まで、この「日間賀島」で過ごしている。

名古屋へ。風呂もないアパート暮らしが始まる。

名古屋に出てきたのは、蕎麦屋に就職したからである。「風呂もないアパートです。そのアパートに先輩と寝食をともにしながら住み込みではたらきました」。
オーナーがいい人だったと北川氏。
このオーナーから社会人の基礎を学んだそうだ。
「こちらで勤務した2年半は、貴重な経験でした。しかし、もともと人の下ではたらくことに向かない性格だったんだと思います」。
2年半勤務して、退職。北川氏は、ふたたび「日間賀島」に向かう船に乗った。

「日間賀島」でみつけた新しい道。

「島に帰って、しばらく『やるべきこと』をみつけようと思っていた」と北川氏。充電期間というところだろうか。ところが、腰かけ程度のつもりでお世話になった「旅館」が、新たな道につながっていた。思いもしなかったところに広がっていた道だ。
「旅館を経営されている社長が、とても魅力的な方だったんです。アイデアマンで、『日間賀島』は今、観光の島になっていますが、そういう島のベースを考えたのも、その社長さんです」。
社長に惹かれ、社員として勤務するようになった。
「人軸」でものを考える北川氏らしい話である。
もっとも仕事はハード。「人がいないから、サービスからフロント、調理場まで、なんでもこなしました(笑)」。オールラウンドプレイヤーである。社長にとっても頼りになる存在だったに違いない。北川氏はさらにフィールドを拡大する。

オーベルジュ、オープン。軌道に乗る。

「私が24歳の時です。オーベルジュを出店することになったんです」。
北川氏が支配人に抜擢された。もっとも、会社にも、北川氏にもオーベルジュの経験はない。
「それどころか、フレンチなんて食べたこともなかったですからね(笑)。まったくゼロからのスタートです。いまならインターネットで検索すれば、情報も簡単に入手できますが、当時はそういうわけにもいかないでしょ。フレンチって言葉も、一般的ではなく、文献を探そうとしてもわずかしかありません。とにかく、フレンチのお店があれば、お店に行って話を聞かせてもらいました」。
行動力も、北川氏の魅力の一つだ。しかし、この時は、切羽詰まった思いが北川氏の行動に表れていた気がする。
努力が実ったのか、狙いが良かったのか、初挑戦のオーベルジュは、上手い具合に軌道に乗った。

・・・続き

株式会社とりとり亭 代表取締役 北川民生氏
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