2016年3月15日火曜日

株式会社ティクリエ 代表取締役 仲道敏夫氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ティクリエ 代表取締役 仲道敏夫氏登場。
本文より~

海が、料理の原点。

仲道氏が生まれたのは、1975年。出身は、静岡県浜松市である。兄弟は2人。お兄様は今、地元で塾を経営されているそうだ。
ところで、浜松市といえば浜名湖と天竜川に挟まれ、目の前には遠州灘が広がっている。仲道氏の自宅も海に近く、自転車で行ける距離だったそうだ。
「だから、自転車を漕いでしょっちゅう海に行っていました」と仲道氏。仲道氏の料理の原点も、実は、この海。
「小学生の頃から父といっしょに釣りに行っては、魚をさばきました。そういうのが楽しくて、いつか料理人になろうと決意したんです」。
海で、遊んでいたからだろうか。水泳も得意で、いつしか県でいちばん快速のスイマーになっていた。種目は平泳ぎ。
スポーツも万能だったが、勉強もできた。進学した高校は、地元ではいちばんの進学校である「浜松北高校」である。

フランス料理をめざして。

「大学には行かず、料理の専門学校に進もうと思っていたんです。でも、両親からすれば、『できれば大学』ですよね。それで、迷った末に大学を選択します。東京の武蔵大学です」。
料理の専門学校はあきらめたが、TVの料理番組を観てフランス料理に興味を持っていた仲道氏は、いつか役立つだろうと仏文科を選択する。
バイトも、むろん飲食で。初バイトはラーメン店だったが、フランス料理店でも、勤務するようになる。そのフランス料理店でアルバイトをしている時に、幸運が訪れた。
「店のオーナーが、フレンチの老舗『シェ・イノ』のシェフと知り合いだったんですね。それで、『シェ・イノ』を紹介してくださったんです」。
おかげで、学生だったが2年間、『シェ・イノ』で修業することができた。
「シェ・イノ」といえば、客単価5万円~10万円もする高級店であり、仲道氏が、本格的に飲食業界に入るきっかけともなった店である。

大学卒業、すぐさまフレンチレストランに就職。

小学生で、料理に関心を持ち、中学生の頃には料理人になる、と公言していた仲道氏は、迷いもなくその道を進み、大学を卒業して「ビストロボン・ファム」に入社する。こちらも有名なフレンチレストランである。
「『ビストロボン・ファム』では、約2年、お世話になりました。その後、表参道のレストラン『アン・カフェ』へ。こちらでも約2年間、勤務しました。学生時代にバイトをしていた『ビストロのみの市』に戻ったのは、この後で、シェフを任され、4年勤務します」。合計、8年。これが、仲道氏の修業期間である。
料理だけではなく、「ビストロのみの市」では、マネジメントも任され、経営のノウハウまで修得することができた。そろそろ、独立と考えた。
「『シェ・イノ』も『ビストロボン・ファム』も、そうでしたが、『アン・カフェ』はもう少しカジュアルなフレンチです。『ビストロのみの市』もそうで、私は、カジュアルなレストランをつくろうと思っていました」。
そして、2005年、「ビストロ・ヴァンテオ」を渋谷にオープンする。

「ビストロ・ヴァンテオ」オープン。

「『ビストロのみの市』で、私についてくださっていたお客様もいたもんですから、おなじ目白で出店するのは失礼と思い、渋谷に出店することに決めました。でも、渋谷の駅の近くでは、相手にしてもらえません。それで駅から少し離れた宇田川町に1号店をオープンしました」。
価格は2人で1万円くらいに設定した。フレンチを気軽に楽しんでいただこうという思いで設定した価格である。フレンチの老舗「シェ・イノ」と比較すれば、およそ10分の1程度となる。現在、5店舗を経営する仲道氏の原点のお店でもある。
2店舗目は、2009年、中目黒にオープンした「2ヴァンテオ」。ショーケースに数種類の牡蠣がならぶ、牡蠣自慢のお店である。
「私は、最初から複数店舗の出店を考えていました。価格帯をリーズナブルに設定し、カジュアルな店づくりにしたのも、その狙いからです。もちろん、フレンチを多くの方に楽しんでもらいたい、という思いが原点です」。
「そういう思いで店をつくってきましたが、店をつくる時には、チェーン店という発想ではなく、その店のウリをハッキリさせようと考えてきました。『2ヴァンテオ』で仕掛けたのは、牡蠣だったんです」。
仲道氏がいう「店のウリ」、それは立地によっても、違うのだろう。つづいて、2011年に3店舗目を、今度は酔っ払いの聖地「新橋」に出す。新橋とフレンチ、ふつう距離がありそうな気がするのだが。
「私自身、新橋とは縁がなかったんです。ある時、お客さんに行こうって言われて、やってきたんですが、『こんなにサラリーマンがいるんだ』って、冗談じゃなく、衝撃を受けました」。
それが出店の引き金になったのだろうか。「新橋をみて、一つ気づいたのは、手頃な価格帯のバルがないってことです。バルなら、この聖地でも勝負できるんじゃないかな、と思ったんです(笑)」。
3店舗目は、フレンチのバル。新橋にパテやシャルキュトリーをメインにしたフレンチが登場する。雑誌社が放っておかなかった。

・・・続き

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