2016年3月1日火曜日

株式会社クリエイティブプレイス 代表取締役社長 中村雄斗氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社クリエイティブプレイス 代表取締役社長 中村雄斗氏登場。
本文より~

3年数ヵ月で、注目企業に成長。

記事作成のためインタビューさせていただいた時点で、店舗数は、10店舗。しかし、設立からまだ3年と数ヵ月と日は浅い。
設立からの軌跡を追いかけてみる。
2012年3月、株式会社クリエイティブプレイス、設立。同年7月に1号店「美食かほりや」新橋店OPEN。翌年8月に「和酒旬菜創魚ととのえ」新橋店がOPENし、2014年には拍車をかけるかのように3月、7月、9月、10月と4店舗をOPEN。2015年にもすでに4店舗のOPENを実現している。
何らかのバックボーンがあるわけではない。豊富な資本も、経験もない。ある一つのことをのぞけば、文字通りゼロからのスタートだった。
結果だけをみれば、「風雲児」。そう言えなくもない。
まだ、28歳。可能性も、でかい。今回は、そんな風雲児、株式会社クリエイティブプレイスの中村氏にご登場いただいた。

サッカー、小僧。めざすは、Jリーガー。

中村氏は、1987年6月25日生まれである。出身は宮城県仙台市。父親は国土交通省の役人。兄弟は3人。中村氏が長男である。
「もっぱらサッカーに育ててもらった」という。5歳からサッカーを始め、すぐに熱中した。
小学生、中学生時代は「ジェフ市原」のジュニア、ジュニアユースで過ごす。県大会ベスト4になった中学生時代は、キャプテンを務めていた。
練習に明け暮れる一方、勉強にはまったく興味がなかったが、それでも校内の成績はつねにトップだった。「5教科で、480点を下回ったことはない」というから、驚きだ。
頭脳も明晰。高校は、学区内でトップ校と言われていた仙台一高に進む。偏差値68。高校でも中村氏は、クラブチームを選択。「塩釜FC」に所属する。1年生から試合に出場していたというから、これにも驚かされる。しかも、中村氏が、1年生の時のチームは全国大会にも出場するほど、選手がそろっていた時期である。むろん、中村氏も全国大会でピッチをかけた。しかし、全国大会後、試合に出られない日々があって、悔しさから朝起きて練習を始めた時期でもある。「あの頃は、365日のうち、350日くらい練習していたイメージです」。
めざすのは、言うまでもなく「Jリーガー」だった。

サッカー選手から、路上でのキャッチへ。

大学は、「日本大学」の経済学部。卒業はしているが、大半は「キャッチ」のバイトで明け暮れた。
サッカーはどうしたんだろう。
「実は、大学1年の時、体育会のサッカー部を1ヵ月で辞めてしまいました。何だかんだと理由をつけていましたが、早い話、遊びたかったんだと思います(笑)」。
小さな頃からプロをめざしていた。ところが、高校時代になると目標が「プロではなく全国大会に置きかわった」そうだ。中村氏は、そうとは言っていないが、「プロ」というゴールがなくなったことが、サッカーを離れるきっかけだったかもしれない。
ともあれ、Jリーガーへ進むだろう話は、「キャッチ」の話に方向転換されるに至る。
「歌舞伎町で、居酒屋のキャッチをしていました。最初は、ホールだったんですが、『キャッチのほうが金になる』ということで始めたんです」。
1年生の時から計4年、「キャッチ」生活はつづく。「いちばんいい月で100万円くらいでした。ふつうは、40万円くらいかな」。
駆け出しのサラリーマンよりずっといい。親に金額を白状すると、「仕送りを打ち切られた」そうだ。
時間は1日4時間くらいで、月15~16日勤務。効率もいい。「この時、いまの副社長の今津に出会ったんです。店は違いましたが、2人ともキャッチで」。
意気投合したのだろう。「キャッチ」を辞めてからも、友好はつづいた。

・・・続き

株式会社クリエイティブプレイス 代表取締役社長 中村雄斗氏
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