2015年8月11日火曜日

株式会社ことこと屋 代表取締役 都外川景司氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ことこと屋 代表取締役 都外川景司氏登場。
本文より~

「カゴメ オムライススタジアム」グランプリ獲得

2015年5月16日、17日東京スカイツリータウンで開催された、オムライス日本一を決める「カゴメ オムライススタジアム」。
事前のWEB投票と当日の投票で争われたなかで、東海地区代表の「ことこと屋」が見事、グランプリを獲得した。2日間で、つくったオムライスの数は3000食にのぼるというから驚かされる。スタッフの息の合った見事なオペレーションも高く評価された理由の一つではないだろうか。
では、今回は、その「カゴメ オムライススタジアム」で見事優勝された「ことこと屋」の創業者、都外川景司氏に登場いただこう。

少年は、お菓子職人?

都外川氏は、1960年(昭和35年)、福岡県に生まれている。男兄弟の次男坊で、料理が好きな少年だったそうである。
「小学校の時、お菓子をつくるのが好きだったんです。自宅でクッキーやケーキをつくっては、翌日学校に持っていくんです」。
評判は良かったんだろうか。
「そうですね。みんな『おいしい』って言ってくれました。そう言われるのが嬉しくって、つくっていたのかもしれませんね(笑)」。
「母から教わったわけじゃなく、本とかですね。レシピをみて、ま、意味のわからないことは母に聞いていたかもしれませんが…」。
少年がだれに教わることもなく、本を片手に、クッキーやケーキづくりに取り組む。微笑ましくもあるし、いまの都外川氏の人生を示唆しているようにも思える話である。

ウエスト80cmのスコートで知った仕事の喜び。

大学卒業まで話が飛ぶ。中京大学を卒業した都外川氏は、岐阜県にあるスポーツ用品店に入社する。
「大学じゃなく『専門学校に』という思いもあったんですが、通っていた高校が進学校だったもんですから、国立に行く生徒も多く、全員、大学へという風潮だったんです。そういう風潮に流されて、私も大学生になりました(笑)」。
飲食店との接点はどうだったんだろう。
「高校の時、1ヵ月くらい焼肉店でバイトしていました。大学では4年になって1年間、カフェのバイトを経験。飲食も悪くないなと思っていました」。
それでも当時、大学を出て飲食を選択する人はまずいなかった。都外川氏もとにかく一般企業ということで、岐阜県にあるスポーツ用品店に就職したのである。
「テニス用品を担当していたんですが、なかなか売れない。それで、ちょっと頭をつかって、実験的にですが年配向けの品揃えを強化したんです」。
「すると客がドンドン増えていったんです。そりゃ、そうです。ウエスト80cmのスコートなんて置いている店はほかにはない。狙い通り、口コミでうちの店のことが広がっていったんです。この時ですね、仕事でも『喜んでいただけることが楽しい』と心から思えるようになったのは」。
しかし、退職。「大卒、50人いて全員辞めてしまったような、当時でいえば斜陽産業だったんでしょうね。とにかく、給料も低くって生活できなかった(笑)。背に腹は代えられず転職していった人もいたんじゃないでしょうか」。

キーエンスで、ビジネスマンの頭角を現す。

都外川氏は、「ビジネス」という言葉を良く使用する。ビジネスとして通用するかどうか。成立するかどうか。そういう観点を植え付けられたのは、次の会社、株式会社キーエンスでの日々だった。。
「案外、いい成績だったんですよ。国際会議場になるような会場の檀上にも何回も上げていただきました。当時、私は、工場を自動化するための計測機器などを販売していました。お客様のご要望に一つひとつ対応していくというのが、当時、私が編み出したオリジナルな方法です。すべてに対応できた時には、当然、受注もいただけます(笑)」。
なるほど、シンプルだけど、奥が深い気もする。
「当時はね。どうすれば、喜んでもらえるのか。売れない時には、どうすれば売れるのか。ということをつねに考えていました」。
「頭を使っていた」と表現する。この頭を使うことが、いまにつながっている。ところで、キーエンスといえば、いうまでもなく制御センサのガリバー企業だ。
そうした有名な企業で認められ、給料も良かったにも関わらず、39歳になった都外川氏は、ある日、あっさり退職を決意する。

・・・・続き

株式会社ことこと屋 代表取締役 都外川景司氏
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