2015年8月4日火曜日

株式会社フォーユー 代表取締役 諏訪下正俊氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社フォーユー 代表取締役 諏訪下正俊氏登場。
本文より~

2015年4月、社長就任。

「博多一番どり」や「大阪王将」などのフランチャイズ店に自社ブランドを加え、九州や東京に38店舗の飲食店を出店しているのが、株式会社フォーユー。
創業は2001年となっている。ただし、今回ご登場いただく諏訪下正俊氏が、フォーユーに参画するのは2013年から。元々、勤めていた会社が飲食部門を「フォーユー」に譲渡した時に、諏訪下も同社に転籍することになる。
元々、諏訪下氏自身が、執行役員として取り組んでいた飲食部門ということもあって、入社後も譲渡した店舗の責任者となり、更に、フォーユーがそれまで運営してきた店舗も含め、すべて諏訪下氏の管理下に置かれた。そして、2015年4月、晴れて社長に就任。
「今期は東京、九州に4~5店舗出店する」と、鼻息も荒い。鼻息という言葉を使ったが、諏訪下氏の話を聞いていると、極めてスマート。情熱をスーツの下に隠しながら、淡々とビジネスを語る、クレバーな経営者という印象である。

野球とサッカーと、バイトと。

諏訪下氏が、生まれたのは1975年8月4日。鹿児島市内の生まれである。「父は公務員。兄弟は男3人で私は真ん中です」と諏訪下氏。小学3年~6年までは、父親の仕事で大阪でも暮らしていたそうだ。
運動が大好きで、野球やサッカーは特に大好きだった。「小・中はサッカー少年でした。高校でもサッカーはつづけましたが、それまでのようにはいかなかった。なんだか、ぜんぶが『めんどくさい』なと思うようになったのは、この頃です」。
北九州大学に進学する。「私は、高校の卒業式にも出ていないんです。大学にも進学はするんですが、ぜんぜん学校には行ってなかった。ちゃらんぽらん、ですよね(笑)」。
大学に進学しても、授業には出席しない。だからといって代わりに没頭するものもなかった。
「ただ一つ、バイトですね。大学1年から4年まで、バイトするんですが、大学に行かなかったのも、退学せずに4年間で大学を卒業できたのも、このバイトのおかげだと思っています」。
諏訪下氏がいうバイト。最初は、レストランバーだった

バーで知り合った師匠のゲンコツ。

「最初は、地元のケーキ屋さん、といっても5~6店舗を持つ会社が経営しているレストランバーだったんです。その店に、8歳年上の先輩がいらして、私が2年生の時に独立されて、洋酒をメインしたバーをオープンされるんです。私の師匠みたいなもんですから、私も連れてってくださいと、そちらの店に移りました。ウイスキーにこだわったお店。いまもまだありますよ。結構、有名なバーですから」。
店名を聞いたので、ネットで検索すると、たしかにいまも健在で、口コミのグルメサイトでも高い評価を獲得されていた。
 「いまでも年に何度かは海外に買い付けに行かれているんじゃないですかね」と諏訪下氏。諏訪下氏が、その店の店主をいまも師匠と呼ぶのは、バーの運営を2人で行い、いろいろと教えてもらったからだけではない。むしろ、それ以前、レストランバーの時代に、師匠の手によって、社会人の意識を叩き込まれたからだ。
「それまでの私は、すでにお話したように、ちゃらんぽらんだった。だから『だめ』なんですが、なかなか改まらない。師匠のゲンコツが、その姿勢を正してくれたんです」。
殴られる、蹴られるのが日常茶飯事だったそうだ。それでも、師匠の人間性に魅了され、卒業するまでつづけた。「1度だけ、逃げ出して。でも、すぐに連れ戻されました。懇々と説教までされて(笑)」。

・・・・続き

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