2012年3月14日水曜日

株式会社銀座ルノアール 代表取締役社長 小宮山文男氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社銀座ルノアール 代表取締役社長 小宮山文男氏登場。


小宮山
本文より~


自衛隊、入隊の計画はやむなく頓挫する。


「昔の家は長男がいちばんです。兄が、体が弱かったこともあるのでしょうが、両親からも兄を守るように言い聞かされていました。私はその言いつけを守り、兄が苛められていると聞けば相手がだれであろうと向かっていきました」。
ヤクザとも闘った、そんな武勇伝も持つ。それはともかく兄を助ける指令を与えられるあたり、当時の長男と次男の関係が良く表れている。次男はあくまで、次男に過ぎない。長男と次男に対する期待度の違いが平然と親の口から語られていた時代でもあった。
中・高と私立で学んだ小宮山は、東海大学に進み、空手部に入部する。
小・中と柔道を習い、大学では空手。硬派ないちめんを伺わせる話だが、兄と同様、体はけっして強いほうではなかった。空手部に入部しようと思ったのも、本格的に体を鍛えるため、と語っている。余談だが、大学1年の時には、休学して自衛隊に入隊しようと試みた。こちらは、学校の許可が下りず、やむなく計画は頓挫する。・・・・。


株式会社銀座ルノアール 代表取締役社長 小宮山文男氏


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株式会社俺カンパニー 代表取締役 山本昇平氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社俺カンパニー 代表取締役 山本昇平氏登場。


山本
本文より~


バイトと旅行と人生勉強。


大学への進学を前に、TV局のディレクター、映画監督などクリエイターという職業に興味を抱き始めるが、ただ、漠然としたものに過ぎなかった。それでも、進路を決める際には、情報?クリエイターの勉強ができる東京電機大学理工学部の情報社会学科という新設学科へ進む事を決意する。大学に進学すると同時に一人暮らしも開始した。
大学での授業も興味深かったのだが、一人暮らしを始めた事も有り、自由な時間が多くあった。自分の好きな事が出来る時間が豊富にあったのだ。
大学での授業もそこそこに、東京へ遊びに出かける事が多くなる。オシャレなカフェやアパレルショップを多く見て回る中で、みんなが流行を追っている事に疑問を感じ、自分の個性の表現を強く意識するようになる。これまで、周囲の人と同じでいようと思っていたのとは逆に、他の人とは違うことに価値を感じるようになっていく。
「大学の頃は、大学での勉強よりも自分の個性を磨く人生勉強ばかりしていました。アルバイトもたくさんやりました。飲食業との出会いはこの頃です」。
旅行にも良く出かけた。2年生の時には友人と2人、車で日本中を回り、3年生の時にはタイまで一人で出かけた。出発3日まえに思い立ち、まるでふらりと旅立った感じだ。所持金は10万円。タイの物価は安いだろうが、不安はなかったのだろうか。ただ、こうした行動力に、ふつうはなかなか越えられない壁をあっさり乗り越えてしまう、山本という人間の強さをみる気がした。ちなみにタイでは、ドルも通用しない田舎町まで出掛けたそうだ。・・・。


株式会社俺カンパニー 代表取締役 山本昇平氏


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2012年3月11日日曜日

インターン生、早速受注!!

早くも2日目にしてインターン生のTさん、初受注!!


Tさんのアポイント先に一緒に営業に行ったので横にいて感じてくれたと思うが、我々の営業はとても簡単である。


どこに営業するかは、現在募集していてニーズある企業やニーズの高い業界、それと自分の好きな企業、得意分野。


アポイントさえ取れればすぐ入るんで、頭だけで考えすぎず、数をこなし慣れるトレーニングさせ自信つけてあげたい。


営業は話しがうまくないとダメとか強引に押していかないとダメとか考えている人が多いが全く違う。


それを体感させたい。


そして、就職活動真っ只中の3年生ばかりなんで、早く皆が内定決め、学生だけのチーム『新戦組』を稼動させたい。


これからのニッポンを背負う人材の育成に少しでも力になれば・・・。



優秀なブレーンの方がたくさん増えてきた。

いろんな分野の専門家がブレーンとして集まって頂けている。


それによりお客様に提案できることが増したり、


新しいアイデアも生まれたり、


いろいろな組み合わせも可能となり


おもしろいことが仕掛けられる。


超・楽しみである。


20周年の今年、“チャレンジ2012”とし業界No.1目指して、


他社にはできない、また今までにない仕組み、コラボ、企画やっていきます。


そのためには、一つ一つコツコツと。



2012年3月7日水曜日

日本外食新聞トップ面に俺のハンバーグ山本の山本社長登場!!

‎3月5日掲載の日本外食新聞トップ面に、“俺のハンバーグ山本”を経営されている俺カンパニーの山本社長がトップ面に登場!!


日本外食新聞は紙メディアだが、編集長のフットワークと経営者の皆さんから好かれるためいい情報集めておられる。お奨めです!!


俺カンパニーの山本社長は、“飲食の戦士たち”の3月中旬更新でも登場してもらいます。


山本ハンバーグ



株式会社インタ-ナショナルダイニングコーポレーション 代表取締役C.E.O 中村清彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社インタ-ナショナルダイニングコーポレーション(International Dining Corporation) 代表取締役C.E.O 中村清彦氏登場。


中村


本文より~


目立ちたがり屋の少年は、野球、テニス、そして丸坊主に、学ランの青年になる。


両親が共働きなので兄弟3人は、何の規制もなく、自由に育った。子どもたち3人で出前を取るなどしていたらしい。想像するとほほえましい様子が思い浮かぶ。夏休みや冬休みは、両親のそれぞれの実家に遊びに行った。忙しい合間をぬって外食にも良く連れて行ってもらったそうだ。
兄弟3人の様子を伺うと、それぞれ個性的だ。
長男は優秀で、本好き、勉強が良くできた。中学からエスカレーター式の学校に進んでいる。弟は両親の影響からか小さな頃からピアノを習い、今現在も音楽関係の仕事に携わっている。
中村本人は、小学生の頃から目立ちたがり屋で、少年野球クラブに入って甲子園を目指していた。成績も悪くなく勉強もできスポーツもできた。学級委員や生徒会にも積極的に参加する。3人3様の道を進んでいる。
ただし、影響を受けないわけではなかった。中村は兄同様の高校に入り、同じテニス部でコートを駆けた。この頃になると、思春期のせいだろう。夜遊びもするようになる。その結果、2浪することになってしまう。2年後、晴れて法政大学1年生になった。
大学でもテニス部に入った。サークルではなくあえて部に入ったが、全国から集まったプロ級の選手ばかり。多少の自信はあったがまるで歯が立たなかった。それでも、負けるわけにはいかない。テニス部にもかかわらず、丸坊主に学ラン。男の世界。ボルテージが上がった。この時の経験は、授業よりも、ある意味、中村の財産になったのではないだろうか。


株式会社インタ-ナショナルダイニングコーポレーション(International Dining Corporation) 代表取締役C.E.O 中村清彦氏


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株式会社easygoing 代表取締役 濱野浩一氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社easygoing 代表取締役 濱野浩一氏登場。


  濱野


本文より~


新幹線通学。


中学校の頃は成績が良かった、と濱野。14クラスもあって、たいてい10番以内に入っていたというのだから、頷ける。弟も兄も、成績もスポーツも同じ程度できた。必然的に高校も同じ学校に進むことになる。高校には、野球部がなかった。それで、弟も、兄とおなじサッカー部に入る。「私は中学生の時からサッカー部です。弟は野球をやっていたのですが、野球部がなかったので、しかたなくサッカー部は入ったんでしょうね。野球ではぜんぜん弟には敵いませんでしたが、サッカーは私のほうが上でした(笑)」。弟とともにあゆんできた道は、大学進学で別れる。濱野は、1人親元を離れ、日本大学工学部に進んでいる。
日本大学工学部のキャンパスは福島にある。
「埼玉より田舎で何もすることがなかった。それが退屈で、1年で一人暮らしを辞め、新幹線で通学するようになります。もっとも4年生になると研究に追われ、再度、福島で一人暮らしを余儀なくされてしまったのですが…」。・・・。


株式会社easygoing 代表取締役 濱野浩一氏